暗夜剣
AVID4DIVA
暗夜剣【時代劇台本・男性3名】
(ある日の稽古終わり。耕三が師範の部屋に呼び出される)
耕三:失礼いたします。先生、私にお話とはなんでごぜえましょう。
先生:菊の嫁入りが決まった。
耕三:嫁入り。そうですか。このたびは、誠におめでとうごぜえます。
先生:お主には話しておこうと思ってな。
耕三:ご高配おそれいります。
お祝いにいくらかばかりでもお包み出来ればよいのですが。
お恥ずかしいながらの貧乏暮らしで。
……ああ、そうだ、畑の野菜、採れたてをありったけ持ってきます。
せめてもの気持ちです、どうかお納めくだせえ。
先生:野菜なら毎日もらっておるではないか。
耕三:それは、お支払いできない稽古料(けいこりょう)の代わりに、とお渡しさせていただいているものですから。
今はキュウリが盛りです。ざる一杯に、もいで参りますよ。
先生:待て。まだ話は終わっておらん。
お主、菊(きく)に想いを寄せていたな。
耕三:何をおっしゃいます。
私のような小作人(こさくにん)の三男坊が、先生のお嬢様を思い慕うなど、身分違いも甚(はなは)だしい、烏滸(おこ)がましい話でごぜえますよ。
先生:儂(わし)の目は節穴ではない。
お主はずっと菊のことを慕っておった。
耕三:先生、もうやめましょう。
こんなめでたい話に、水を差すようなものでごぜえます。
菊お嬢様が心に決めた方ならきっと、素晴らしいお人でしょうね。
先生:相手は光鷹(みつたか)だ。
耕三:光鷹……様。師範代の光鷹様ですか。
先生:そうだ。光鷹と菊は明日、夫婦(めおと)になる。
光鷹にはいずれこの道場を継がせ、宗家(そうけ)を譲るつもりだ。
耕三:そうですかァ。そうですか。
実にめでたいことです。これで道場も安泰ですね。
先生:ときに耕三。お主、光鷹の技量をどう見る。
耕三:光鷹様はこの道場の師範代です。
私のような一門下生が口を出すなど、とてもとても。
先生:良い。この場限りに留める。申してみよ。
耕三:はぁ……それでは僭越(せんえつ)ながら。
光鷹様は、とても力強く雄々(おお)しい剣を振るわれます。
迂闊(うかつ)に近づけば切り落とされると紛(まが)うのほどの鬼気(きき)を感じます。
先生:鬼気か。言い得て妙だな。流石だ、耕三。
儂が懸念(けねん)しておるのはまさにその鬼気のことだ。
耕三:あいすみません。口が過ぎました。お忘れくだせえ。
先生:いや、良い。
光鷹は、どうも剣に振るわれるきらいがある。
技量も先天(せんてん)の才も、お前には及ばん。
そのくせ、自らの力量を恃(たの)む悪癖(あくへき)がある。
耕三:まあまあ。光鷹様は先生のお跡継ぎになられるのですから、先生が微に入り細に入りご指導されたら一件落着ですよ。
先生:耕三。剣の腕は、お主が道場筆頭(ひっとう)だと思っている。
お主がまだ小僧の頃から、儂は実の子のつもりで稽古をつけてきた。
どんな厳しい鍛錬にも泣き言を言わなかったな。
いつも笑顔で剣を振り続けたお主は、剣に振るわれることなく、剣に愛されるように育った。
耕三:身に余るお言葉です。先生から受けた御恩(ごおん)は、私が死ぬまでに、果たして返し切れるでしょうか。
先生:出来ることならば、お主に跡を継がせたかった。
しかし、剣の腕だけでは、人の上には立てぬ。
お主は道場の古株だが、いまだに段位の一つもないな。
耕三:家の神棚に初段の免状(めんじょう)も飾れないほど貧しいのは、お恥ずかしい話でごぜえます。
先生:お主を責めている訳ではない。
だが、お主が古くからの門下生であり、天賦(てんぷ)の才を持ち合わせ、剣に真摯(しんし)に向き合っていても、こんな小さな村道場では、お主を特別扱いは出来ぬ。
何より情けない話だが、長く道場をやるには金がいる。
光鷹は代々続く庄屋(しょうや)の息子だ。あれと菊が夫婦(めおと)になれば、諸々(もろもろ)の気苦労もなくなる。
すまぬ。分かってくれ。
耕三:へえ、弁(わきま)えております。
先生にそうまで言っていただけて、私は果報者でごぜえますよ。
先生:耕三、今夜道場に来い。
儂からお主に授(さず)けるものがある。
耕三:私に、でごぜえますか。
先生:さよう。お主に渡しておきたいものだ。
では、下がって良い。
(耕三が師範の部屋を辞して道場に戻ると、光鷹が待ち構えていた。)
光鷹:お前、宗家(そうけ)と何を長々話していた。
耕三:これは光鷹様。お疲れ様です。
光鷹:言え。何の話をしていた。
耕三:へえ。実は、光鷹様と菊お嬢様が明日夫婦(めおと)になられると、お知らせ頂きまして。
光鷹:それだけか。
耕三:へえ。それだけでごぜえます。
光鷹:宗家はなぜお前なぞに知らせたのだろうな。
耕三:へえ。私にも分かりません。とにかく、おめでとうございます。
光鷹:はっ、とぼけるなよ。
お前、菊のことを好いていただろう。
耕三:い、いえいえ、滅相もございません。
私なんぞはお相手にもしていただけませんよ。
光鷹:そうだ。
月謝も払えなければ、免状代も工面できない貧乏人が、宗家の一人娘に横恋慕(よこれんぼ)するなど、ヘソで茶を沸かすわ。
耕三:いやいや、ごもっともでさぁ。へへ。
光鷹:……気に食わんな。
いつもいつもそうやって卑屈に笑って。
免状貰う金もないのに朝一番に来ては最後まで稽古してやがる。
そんな暇があったらもっと働け。
食うに困る貧乏百姓が、剣なんて振るってんじゃねえ。
大体、宗家も宗家だ。
一門の面汚しのような剣術乞食(けんじゅつこじき)にばかり目をかけて。
いくら小僧の時分から手塩にかけたからと言っても贔屓(ひいき)が過ぎる。
耕三:へえ。全くおっしゃる通りです。素振りをするいとまがあるのなら、土の一つも余分に耕(たがや)せと親父殿からよく小言を言われております。
光鷹:そうやって、最後はのらりくらりと暖簾(のれん)に腕押しだ。
全くもって気に食わねえんだよ、お前。
……ああそうだ。
お前がずっと好きだったあの女だけどな、まあまあ良かったぜ。
耕三:はぁ。それはそれは。
光鷹:気ばかり強い芋娘(いもむすめ)だが、尻だけは良かった。
あんころもちみたいでよ。まぁ、他は全部芋だ。
耕三:ご自身の妻(つま)になられる方のことです。
どうか、そのくらいでお納めくださいな。
光鷹:好いた女を小馬鹿にされて腹を立てたか、昼行灯(ひるあんどん)。
耕三:お戯れを。お身内を軽(かろ)んじるのは御身(おんみ)を軽んじるのと同じこと。
光鷹:……もうよいわ。とっとと去(い)ね。
耕三:へえ。失礼させていただきます。
(陽も落ちてしばらく、夕べの野良仕事を終えた耕三は無人の道場に舞い戻る)
耕三:ただいま戻りました。耕三にございます。先生、先生。
(耕三、辺りを見回して正面に一礼してから道場の端に正座する)
耕三:早く来すぎてしまったかの。素振り稽古でもして待つか……。
(耕三が木剣を手に取ろうとした刹那、肩口すれすれに真剣が振り下ろされる)
(耕三、短い悲鳴を漏らし、すぐに深く息を呑む)
耕三:せ、先生、いつからそこにいらしたのですか。
先生:こちらを振り返るな。そのままで聞け。
耕三よ、お主には無影一刀流(むえいいっとうりゅう)の秘伝を授ける。
耕三:秘伝、この、私めにですか。
先生:そうだ。これは即(すなわ)ち、無影一刀流の皆伝(かいでん)を意味する。
耕三:先生。私は初段の免状も持つことができぬ、剣術が好きなだけの貧しい百姓でごぜえます。
お授けになる相手が、違うのではございませんか。
先生:この道場でお主を差し置いて、他の誰にこの秘伝を継がせられる。
耕三:……私に、この小作人の倅(せがれ)に、授けてくださるというのですか。先生。
先生:無影一刀流奥義・暗夜剣(あんやけん)だ。受け取れ。
耕三:暗夜剣……。
先生:相手の背後に音もなくたどり着き、これを必殺する。
耕三:相手の虚を衝(つ)く仕掛け技ですか。
先生:仕掛け技か。そんな美しいものではない。
これは不意打ちの極みだ。卑怯と蔑(さげす)まれようと弁明もできぬ剣だ。
暗夜剣は無明(むみょう)の剣。敵を必殺し、己の矜持(きょうじ)もまた、殺す。
耕三:己を、殺す。
先生:この奥義はいわば歯止めだ。
心・技・体を磨き続け、己の技量を高め続けた剣客(けんかく)が最後に辿り着く技が、確実な不意打ち。
なんとも、虚しいことよ。のう。
耕三:……私には何もいうことができませぬ。
先生:暗夜剣は果てのない剣術修行の一里塚(いちりづか)であり、同時に剣客が刀と技量に溺れることを戒(いまし)める技だ。
己(おの)が息を殺し、気配を殺し、昂(たかぶ)りを殺し、殺意さえ殺し、闇に紛れて一太刀に相手を屠(ほふ)る。
その先に、一体何があるというよ。
耕三:……どうして、先生はこの奥義を私めに授けてくださったのですか。
先生:宗家のみが継ぎ受けるのが習いだ。残念ではあるが、光鷹はその器ではない。
耕三:そう、でしょうか。
先生:暗夜剣は軛(くびき)の意味を持つ。修(おさ)めこそすれど遣(つか)うことはない。
だが、光鷹は違う。奥義を知れば、奴は衝動に駆られるだろう。
この技はお主を最後に失伝(しつでん)する。これが儂からの、お主への皆伝の免状じゃ。
(耕三、床に額を擦り付けて、男泣きに濡れる)
耕三:かたじけのうございます。かたじけのうございます。
先生:よい。全ては儂の覚悟の甘さから出た身の錆(さ)びよ。
緩やかに滅ぶ道も、算盤(そろばん)づくで生き延びる道も、選び切ることができなかった。
……もう泣くな耕三。立て。手ほどきいたす。
(道場からの帰路、耕三は家のすぐそばで光鷹に遭う)
光鷹:随分と遅かったじゃないか。明日の畑仕事に障(さわ)るぞ。
耕三:これは光鷹様。どうして、こんな時分にこんなところへ。お召し物が泥で汚れますぞ。
光鷹:何、一寸(ちょっと)野暮用があって、な。
(耕三、違和感に気づき、一歩光鷹へ歩み寄る。月明かりの下、彼が血まみれであることに気づく。)
耕三:光鷹様、どうなされました。顔から手まで血まみれではありませんか。
光鷹:野良犬を斬ったのよ。
耕三:野良犬、ですか。
光鷹:うむ。どこで野垂れ死んでも誰も気に留めぬ、チンケな野良犬だ。
耕三:そう、ですか……。明日は貴方様の、祝言(しゅうげん)です。老婆心ながら、殺生(せっしょう)はいかがなものかと。
光鷹:取るに足らぬ犬っころを斬って捨てたところで、仏も閻魔(えんま)も怒るまい。
足を止めさせて悪かったな。病気の父親が心配するぞ。早く帰りなさい。
耕三:ええ、ご存じだったんですか。父が肺を病んでいることを。
光鷹:ああ。いつまでもコンコンと煩くて難儀した。肺病みが感染(うつ)ったらかなわん。
耕三:……今なんと。
光鷹:急げば間に合うかも知れんぞ。ほれ、走れよ、犬の子。
(耕三、家までのわずかな距離を駆け抜け、息を切らして引き戸を乱暴に開ける)
耕三:遅くなりました!今帰りましたぞ!
親父殿!親父!起きておられるか!親父!
(耕三、狭い貸屋の端で、袈裟に斬られ事切れた父の遺骸を見つける)
耕三:親父!しっかりしろ!
(後から追いついた光鷹、戸口にもたれて笑う)
光鷹:よかったな。これで病気の父のために畑仕事を増やさなくてよくなった。感謝しろよ。
お望み通り、もっと剣術に専念できるぞ。なあ。
耕三:光鷹様。あなたが、父を斬ったのですか。
光鷹:はて、どうであろう。
耕三:お答えください。
答えろ。親父を斬ったのか。
光鷹:人を斬った覚えはない。斬ったのは野良犬だよ。
耕三:父を野良犬というか!
光鷹:うちが貸した畑の端くれで、その日をどうにか食うためだけに、鍬(くわ)を振っていただけの男だ。
肺を病んでそれすらもままならなくなった。野良犬の方が自分の餌を探してくるだけいくらかマシだ。
耕三:もはや鬼気などではない、鬼だ。お前は、人でなしだ。
光鷹:なんだその目は。恨みがましい目をして。
この村で起きたことなど、俺はいくらでも揉み消せるんだ。
お前の親父は、完全な犬死(いぬじに)だよ。ハハハッ。
耕三:どうしてこんなことをした。殺すならば、私を殺せばよかった。
光鷹:そうするつもりだった。だが、聞いてしまった。
お前が宗家から一子相伝(いっしそうでん)の奥義を授けられるのをな。
耕三:どうしてそれを。
光鷹:お前が宗家に呼ばれるなど、どうも臭いと思って張っていたのだ。
蒸し暑い便所の陰で耐えた甲斐があったというものだ。
あの男ときたら、次期宗家であるこの俺を差し置いて、お前のような貧乏人に流派の奥義を授けよった。
わかるか。この屈辱が。小作人の倅のお前なんかにわかってたまるか。
耕三:そんなことのために、そんなことのために親父は殺されたのか。
光鷹:金もある。権力(ちから)もある。俺が欲しいのは、強さと名声よ。
もとより、あの芋娘(いもむすめ)と祝言(しゅうげん)をあげたら、さっさとお前を殺すつもりだった。
耕三:ならいっそ殺せ。この場で私を殺してくれ。
光鷹:気が変わったんだ。
金もなければ暇もないお前が、後生大事に持っているものを、全て奪ってやらないと気が済まなくなった。
そうでもしなければ、お前のような野良犬に、無影一刀流の奥義を横取りされた怒りは収まらん。
(耕三、父の骸に泣き崩れる)
光鷹:明日の祝言には顔を出せよ。おやすみ。
(翌朝、祝言を執り行う道場大広間にて)
(耕三、泥で汚れた野良着で現れる。道場の隅、小声で)
先生:おい耕三……。今日は光鷹と菊の祝言だぞ。なんだそのひどい恰好は。
耕三:父の墓を掘り、弔(とむら)っておりました。
先生:墓だと。お父君に何があった。
耕三:昨夜、殺されました。
先生:殺された……誰にだ。
耕三:光鷹様にです。
先生:光鷹にだと。それはまことか。
耕三:はい。
光鷹様は、私が先生から秘伝を教授されたことを知っておられました。
その腹いせに、私から全てを奪うと仰られました。
先生:なんということだ。それほどまでに人の心を失(しっ)しておったか。
全て私の見込み違いであった。耕三、すまぬ。詫びても詫びきれぬ。
耕三:先生、どちらへ。
先生:光鷹の元へ。この祝言、取りやめる。
(耕三、出て行こうとする先生を制する)
耕三:なりませぬ。彼の顔に、彼の家に泥を塗ろうものならば先生にも菊お嬢様にも累(るい)が及びます。
先生:後生(ごしょう)じゃ耕三。離せ。
(光鷹、泥酔し高砂から二人の元へ歩いてくる)
光鷹:どうも犬臭いと思ったら、本当に来たのだな。それにしてもまぁ酷い恰好だ。
耕三:おっとり刀(がたな)で馳せ参じましたゆえ、このような形(なり)で誠に申し訳ございません。
光鷹様、こたびは誠におめでとうごぜえます。
光鷹:おめでたいのはお前の頭だよ。親父が死んだってのに、よく祝言に顔を出せものだ。
先生:光鷹、なぜ耕三の父君(ちちぎみ)が亡くなったことを存じておる。
光鷹:ええ、あぁ……なんででしょうねえ。ハハッ。別にどうでも良いではありませんか、そんなこと。
先生:兄弟子の父上の訃報(ふほう)を、そんなことと申すか。
光鷹:祝いの席なんです。そう怖い顔をなさらないでくださいよ、義父上(ちちうえ)
(光鷹、にたりと笑い千鳥足で高砂へと戻る。二人はまた小声で続ける)
先生:あれはもう駄目だ。人の皮を被った鬼だ。道を違(たが)えてしまった。
耕三:心中お察し申し上げます。
先生:すまなんだな、耕三。せめてもの償(つぐな)いに、儂がこの手で、あれを斬る。
許してくれなどとは、お前には口が裂けても……言えぬ。すまぬ。
耕三:先生、そんなことをされては菊お嬢様が悲しまれます。
先生:菊はお前に嫁がせればよかった。たとえ貧しくても、人として豊かに生きることができただろう。
高砂(たかさご)のあれの顔を見よ。角隠しの下は、心ここに在らずではないか。
儂は親として、師として、道を違(たが)えてしまった。
もはや、これまでよ。
耕三:どうあってもあの男を斬るおつもりですか。
先生:是非もなし。
耕三:そうですか。しかし、どうか今日だけはご辛抱くだされ。菊お嬢様の祝言に、血を流させてはなりませぬ。
先生:耕三、すまぬ。すまぬ。
(先生、息を殺して啜り泣く)
(場面は光鷹の寝所に移る。強かに酔った光鷹、用心棒に語りかける)
光鷹:その時の顔ときたら傑作だ。実の親を斬り殺されて、恨めしそうな顔でこちらを見るばかりだ。
親を斬られてなお、今日の祝言にノコノコと顔を出してくる。あいつこそ、負け犬というものよ。
……とはいえ、剣の腕は捨ておけぬものがある。逆上して寝首を掻きにくるかもしれんからな。
確(しっか)と見張れよ。
何、女房はどうしただと。ハハ、あんな芋女(いもおんな)祝言が済めば用済みよ。
男衆(おとこし)どもに手慰(てなぐさ)みに嬲(なぶ)らせて、今は土間にうっちゃってあるわ。
おう、見回りに行け。あとでお前らにも好きにさせてやるから。ふふ。
(光鷹が独りになった折を見計らい、襖の陰から耕三が音もなく現れ、鬼哭啾々の震えた声で呟く)
耕三:聞くに耐えぬ鬼畜(きちく)の所業。貴様は生きていてはならぬ男だ。
(光鷹、咄嗟に枕元の刀を抜き、鞘を投げ捨てる)
光鷹:耕三……お前、一体どこから潜り込んだ。
耕三:暗夜剣は無明の剣。剣客の矜持(きょうじ)も美学も捨て、ただ相手を屠るだけの殺し剣。
道を見誤らぬよう、戒める軛(くびき)の剣であると、先生は仰った。
光鷹:暗夜剣。なるほどそれが宗家から受け継いだ無影一刀流の奥義か。
お前のような負け犬には荷が重かろう。この俺が、引き受けてやろう。
耕三:お前は道を違(たが)えたのではない。自ら踏み外したのだ。
光鷹:ほざけ。ここで死ね、負け犬。暗夜剣はこの俺が相伝する。
(光鷹、鋭い掛け声と共に切り払う)
殺(と)ったッ!
……消えた、だと。なぜだ、確実に手応えがあったはずだ。
(耕三、光鷹の背後の陰からゆらりと現れ、落ちた刀の鞘を拾い上げ、大上段に構える)
耕三:なぜ父を殺した。
光鷹:死ぬのに理由がいるほどの人間か。
耕三:それは、お前だ。
(耕三、構えた刀の鞘を振り下ろし、光鷹の頭を砕き割る)
(光鷹、悲鳴をあげ、もんどりうって倒れる)
光鷹:誰か!出会え!出会え!何をしているんだあいつらは!おい!賊はここだぞ!早く来い!早くしろ!
(刀を携え、返り血に塗れた先生がゆっくりと部屋に入ってくる)
先生:誰もおらんよ。一人残らず斬って捨てた。
光鷹:宗家……気は確かか。俺をこんな目に遭わせて、この村でどうやって生きていくつもりだ!
先生:流派を汚(けが)され、娘を辱(はずかし)められ、猶(なお)もおめおめと生き伸びるつもりはない。
全てこの手で蒔いた種だ。この首ごと、刈り取るまで。
光鷹:よせ。考え直せ、やめろ、やめろ!宗家、先生!助けて、先生ッ!
(耕三、砕けた鞘を投げ捨て、合掌し経を上げる。読経は光鷹の絶命まで続く)
耕三:南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……
光鷹:何故だ、何故俺じゃなく、こんな奴に、こんな何もない奴に流派の秘伝を授けた!
先生:耕三には剣がある。お主には、無い。
光鷹:解せぬ。段位どころか真剣の一振りも持てぬ貧乏百姓をして、何が剣か。
先生:笑止。全て、お飾りよ。
御免。
(先生、刀を振り上げ、光鷹の首を刎ねる)
(光鷹、悲鳴をあげ、絶命する)
先生:……耕三、お主ならばきっとこうすると思っていた。相変わらず嘘の下手な男だ。
耕三:今こそ先生に御恩をお返しするときです。
全ての罪は、私がお引き受けいたします。
先生:未熟者が。笑わせよる。
暗夜剣は必殺の剣。たとえ鞘でも木端(こっぱ)でも、人の頭蓋(ずがい)など容易く砕く。
一撃の元に奴を殺せなかった未熟なお主に、全ての罪を引き受ける器量はない。
耕三:では、私はどうしたらよいのですか。まだ先生に何も御恩返しができていないのです。
先生:頼みがある。
菊を攫(さら)って逃げてくれ。
耕三:菊お嬢様を。
先生:親に婿を殺され、破落戸(ごろつき)共に辱(はずかし)められて、どうしてこの小さな村で生きていけようか。
先生:耕三、最後の頼みだ。菊と共にいずこかへと逃げ延びよ。
夜が明ければ全てが明るみに出る。無影一刀流は、儂と共に今宵限りだ。
不手際の幕は、この手で引くとしよう。
耕三:私は剣を捨てとうありません。まだこれからなのです、もっと強くなれるはずなのです。
先生:さよう。まだまだこれからだ。未熟ゆえに伸びる芽がある。
お主はこれより暗夜を往(ゆ)く。されど無明ならず。一縷(いちる)の灯明(とうみょう)を見つけよ。
人を殺めるも剣。されど苦難を退(しりぞ)け、道を拓(ひら)くもまた剣。
生きよ。
すまなかったな、耕三。
(耕三、うめくように涙を堪え、別れを告げる)
耕三:先生、どうぞお達者で。
光鷹:かつてこの地では、剣術道場師範である義父が
祝言の夜に婿とその共連れたちを惨殺するいたましい凶行があった。
その日を境に姿を眩ました花嫁と、一人の小作人の行方は終(つい)ぞ知れなかった。
完
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