第60話 五十嵐記念病院10


「あぁ、それは門脇さんですね。最近はずっとトイレ掃除しかやらされてませんから気が立っているみたいで」


205号室の前で部屋の住人である星野家のご主人と挨拶を交わし、この階に暮らしている人の情報や院内のことを聞いた。


人当たりの良さそうなご主人は細かい質問にも丁寧に答えてくれたため、2階の住人についてはほとんど把握できた。



現在2階には僕らを含めて10人の避難者がいる。


病棟の一番ハジにあたる205号室には星野さん夫妻と一人娘で今年年長になる一花いちかちゃんが暮らしている。


その隣にあたる203号室には僕と深夜、そしてハルエちゃん。


202号室には最近避難してきた若い女性が3人で暮らしている。


そして残りの201号室で暮らしているのが門脇裕也かどわきゆうやさんと、2階のとりまとめ役である工藤涼くどうりょうさんらしい。


星野さんから聞いた限り、2階で暮らす人々は全員が病院と無関係の人間で、騒動の後に逃げ込んできたりたまたま院内にいた人のようだ。


「ありがとうございます。助かりました。奥様にもよろしくお伝えください」


隣室になるわけだし奥さんにも直接挨拶をしたかったのだが、どうもここ数日具合が悪いらしく部屋の奥にあるベッドでカーテンを閉め横になっているらしい。


ちらりと見ると、ベットの横に置かれたパイプ椅子で娘の一花ちゃんと思われる幼女が日焼けした絵本を読んでいる。


去り際、一花ちゃんと目があったので笑顔をつくり「バイバイ」と手を振ってみた。

しかし、一花ちゃんは途端に読んでいた絵本で顔を隠してしまう。


「すみません。娘は人見知りでして……」


……人見知りならしょうがない。


「いえ、気にしないでください。これからよろしくお願いします。それではこれで」

爽やかに答え205号室を後にした。


「次は202号室に行ってみようか」

隣の深夜に声をかけ廊下を進む。


「うん。……改めて思ったけどやっぱりここって変だよね」

星野さんとの会話の最中、終始無言だった深夜だがしっかり話は聞いていたらしい。


「そうだね。伊豆子さんは話すべきことはあれで全部みたいなこと言っていたけど、全然足りてなかった。四訓よんくんなんて最初に教えてくれても良いだろうに」

伊豆子さんとしては大したことがないという判断だったのだろうが、数日でもここに滞在する以上、この四訓とやらは知っておくべきだった。


「だよね。1つ目が『和を以て貴しとなす。』2つ目が『権利には義務が伴う』、3つ目が『宗主総愛』、4つ目が『適者生存』だっけ?」

深夜が指折り数えながら僕の方を向く。


「あぁ、その4つだね。2つ目まではわかる。喧嘩せず仲良くしましょうっていう話と、働かざる者食うべからずっていう当たり前の話だからね。門脇さんのトイレ掃除みたいに僕らにもそのうち役割が与えられるだろう。ただおかしいのは3つ目からだ」


改めて星野さんから聞いた四訓について考えながら話す。


「3つ目の宗主総愛っていうのは、『宗主』つまりはビッグマザーを全力で愛しなさいってことだ。ここまではっきりカルトだとむしろ清々しいね」

廊下を歩きながら、一応声のトーンは落として話を続ける。


「うん。僕も気持ち悪いなって感じしかなかったよ。多分あの感じは星野さんもそう思ってたよね?」

深夜も僕を真似て同じように声のトーンを落とした。

小学生ながら空気の読める子だ。


「だろうね。それに4つ目の『適者生存』。これはもうカルトを超えてオカルトだ。適した者しか生きることを許されない、つまり前項を全うした者だけが生きられるって言うんだから」

人の生き死にをルールで縛ろうだなんて正に神の所業だろう。


「……うん。星野さんは僕らのために遠回しな言い方をしてくれたけど、結局はそういうことだよね? 自分を信じないものや異論を挟むものは死んで当然っていうのをわざわざ教えにしているなんて……」

異常だよ、と続けたかったのだろうがその言葉はギリギリ飲み込んだようだ。


「普通、こういった宗教団体の教えみたいなものは抽象的な言葉や当たり障りのない考えなんかを説くことが多いからね。神隠しにあうなんてのは裏側のルールだったり、暗黙の了解的な扱いのはずなんだ。それをここまで前面に出すなんてね」

これ以上は批判的な言葉になりそうなので話さず、無言で廊下を歩いていく。

立ち入った話を誰が聞いているかもわからない廊下で話すべきではないだろう。


だが、間違いなく四訓の中に『適者生存』なんてものがあるのは神隠しの正当性を示すためと、信者にも加害者意識を持たせるためだ。


それは共犯者意識とも呼べる。


神隠しに対し批判的な立場でいられれば宗教と一定の距離を保てるだろう。


しかし、消極的にでも「あぁ、あの人は教えを守らなかったのだから消されても仕方ない」という考えを持ってしまえばそこがスタート。


その考えはいずれ「教えを守らないものは死んで当然」という積極的な教えの肯定に至り、自分達こそが正しいと歪んだ認知を得ることになる。


それは典型的なの姿だ。


ビッグマザー。

あのヒキガエルのような容貌からは想像がつかない狡猾さで信者を団結させている。


正直良い印象は全く持てないがもめ事を起こしに来たわけではない。

当たり障りなく過ごし、準備が整ったらとっとと出て行こう。


改めてそう心に決め、202号室のドアをノックした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る