第58話 五十嵐記念病院8
「ねぇ谷々兄ちゃん、どうして」
「……深夜、まずはお母さんのことを探そう」
伊豆子さんが去り、部屋の中は急に静かになった。
あの人1人で3人分くらい騒がしかった。
「う、うん。わかったよ。まずはどこから行こうか?」
「とりあえず深夜の荷物を置かなきゃだし、与えられた部屋に行ってみよう」
「わかった!」
元気よく返事をした深夜が椅子から立ち上がり部屋の外へ向かう。
伊豆子さんの話だと、院内の居住区は2階から4階に限定されているらしい。
1階はゾンビこそいないものの、正面玄関や封鎖した地下出入口が突破されればひとたまりもないため人が住まないようにしているらしい。
元が病院のため各階にはそれなりの数部屋があり、避難している全員が部屋を割り当てられているそうだ。
ただし、その部屋割りはビッグマザーへの信仰度で優遇されている。
高い者ほど安全な高層階の部屋に個室を割り当てられ、低いものほど危険な低層階の部屋に団体で割り当てられるようだ。
当然、新参者である僕らは2階の203号室を2人で一つ与えられた。
恐らく2階からスタートして、なんらかの形でビッグマザーに信仰を示せば上の階に上がっていくのだろう。
ここでずっと暮らすならそういった努力も必要だろうが、あいにく長居するつもりはない。
部屋を出てすぐの階段を使い2階へと下りていく。
階段を降りるとすぐに病室が並んでいて、端の部屋には『201』というプレートが掲げてあった。
そこから順に202、203と続き、その隣が205となっている。
「あれ? なんで僕らの病室の隣が204じゃないの?」
部屋の前で深夜が不思議そうな顔で問いかける。
「あぁ、ほんとかどうかわからないけど、病院では4の付く番号は『死』を連想して不吉だからあえて部屋番号を飛ばしているらしいよ」
迷信の類だが、病気を抱える人にとっては大切なことなのだろう。
「ふーん。そういえば僕知ってるよ。お見舞いに菊の花を持っていくのもそういう意味で駄目なんだよね?」
こちらを振り返った深夜がドヤ顔で話す。
「あぁ、良く知ってるね。菊はお葬式なんかで使われることが多いから縁起が悪いって考えらしいよ。鉢植えなんかも『根付く』って意味でお見舞いには向かないみたいだね」
わざわざお見舞いに鉢植えを持っていくという発想がすでに嫌がらせのような気もするが、ガーデニングが趣味の人には逆に良いのかもしれない。
そんな他愛ないことを考えながら並んでいる部屋を通りすぎていき、203号室の扉を開けた。
中は8畳くらいの広さで、真ん中に黒髪の少女が座ったベットがある。
ベットの足先にはテレビが置かれ、脇には申し訳程度の白い棚と見舞い人用のパイプ椅子がニ脚置かれていた。
あれ……?
ベットの上の少女と目が合う。
突然の来客に驚いた様子もなく、じっと無言でこちらを見つめている。
誰だ? なんで僕らの部屋にいるんだ? 親は?
一瞬で様々な疑問が浮かんだものの、口をついて出たのは
「……こんにちは」
というなんとも情けない声の挨拶だった。
「こんにちは」
少女は突然の訪問者に対しても挨拶を返してくれた。
良かった、とりあえず悲鳴をあげられなくて済んだ。
「君は……誰?」
深夜の時もそうだったが、こういうとき子どもにかけるべき言葉が咄嗟に出てこない。
「ハルエはハルエっていうみたい」
少女は何も考えていないようにずっと無表情だが、その口調は意外とはっきりとしている。
見たところ10歳になるかどうかという年齢に見えるが、この歳にしたらしっかりしたほうなんじゃなかろうか。
もちろん少女の知り合いなんてものはいないのだが。
「ハルエちゃんね。えーっと、お母さんかお父さんは?」
「知らない」
……困った。
どこにいるか知らないのか、父母そのものを知らないのか、会話から意図がつかめない。
迷子センターの係員さんはこんな難解な会話をしているんだろうか。
どうしよう。
困った顔で後ろを振り返ると、僕よりも困った顔で固まっている深夜がいた。
「僕ちょっとトイレに行ってくる……」
深夜はそれだけ言い残し足早に去っていく。
思春期真っ盛りの少年に同年代の女の子は荷が重かったようだ。
……しょうがない。
ここは僕が腹をくくろうじゃないか。
覚悟を決め、入り口の扉は開けたまま部屋の中に入った。
そして大人の余裕を見せるため、できるだけ笑顔で少女に話しかける。
「好きなプリキュアは黒い方? それとも白い方?」
無表情だった少女が初めてキョトンとした顔をした。
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