両脚の間が痛くて、まともに歩けない。

 ぐっと唇を噛みしめ、痛みに眉をしかめる夕佳を見、青井は学校から出るとすぐにタクシーを止めた。

 「大丈夫?」

 シートに腰を落ち着けるとともにそう問われれば、他に応える言葉も浮かばず、夕佳はただ頷く。

 「病院だけでも行かないと……もし、」

 もし、の先に続く言葉くらいは夕佳にも分かる。きっぱりと首を振りながら、被せられた黒い外套の襟をかき寄せる。

 「妊娠なんかしないよ。淫売だもん。」

 やめなさい、と、青井が言った。その語気の強さに夕佳が驚いて硬直するくらいの物言いだった。

 「自分を痛めつけようとするのは、やめなさい。」

 夕佳は黙った。そして、何度も瞬きを繰り返し、睫毛の内側でなんとか涙を食い止めた。

 泣いてもいいのだ。分っている。こんな目にあったんだから、泣いてもいい。それでも泣きたくはなかった。

 油断していた私が悪い。

 精一杯の虚勢だった。

 「病院行こう。」

 先ほどとは打って変わって低い、青井の声。

 「……。」

 黙ったまま、夕佳は小さく頷いた。

 そしてようやく認めたのだ。この男が本当に自分の父親であろうがなかろうが、そんなことはもうどうでもいい。本当に肝心なことは、輪姦された夕佳が頼った相手がこの男だと言う事実だけだ。それだけが、肝心なこと。それだけが、夕佳にとって大切なこと。この男のことを、好きではなくても。

 タクシーは行き先を代え、産婦人科の病院へ向かう。

 夕佳は窓の外をじっと見ていた。青井は少しだけ俯きながらまっすぐ前を見ていた。

 「青井。」

 「なに?」

 「いてもいいよ。うちに。」

 「……ありがとう。」

 脈絡があるようなないような、微妙な会話だった。

 ちらりと青井を見やった夕佳は、彼がひどく真面目な顔をしているので驚いた。

 「青井?」

 「……嬉しいんだと思う。俺にもよく分らないけど、すごく、嬉しいんだと思う。」

 ありがとう、と青井は言った。

 そしてその割に彼はその夜、夕佳にも小夜にもなにも告げず、ひそかに家を出て行った。

 夕佳は自分が喜んでいるのか悲しんでいるのか全然分からないまま、死んだんだ、と胸の中で強く念じた。

 あの男は、死んだんだ。

 そして学校のグラウンドに小さく土を持ち上げ、木の枝を刺して墓を作った。

 「なに。それ。」

 傍らの渚が問うた。

 ちょっと考えた後夕佳は、お墓だよ、とそれだけ言った。

 なにを弔っているのかは、自分でも分かっていないので、説明できそうになかったのだ。

 もしも本気で夕佳と小夜に家族の情を抱いたとしたら、離れていくしかその情を示せない場所に、あの男はいたのだろう。

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