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青井が追ってきているのには気が付いていた。そして、その追い方すら気にくわなかった。
夕佳を捕まえようとする追いかけ方ではない。淡々と一定の距離を保ったまま夕佳を追っている。いずれ彼女の体力が尽きるのを、じりじりと待つみたいな追い方だった。
「いやだ。」
言葉は勝手に喉を滑り落ちた。
「なにが。」
ごく微かに空気を揺らしただけのはずの言葉に、しかし背後の青井が問いかえしてきた。
「全部。」
あんた、と言おうとしたつもりなのに、唇が夕佳を裏切った。
ぜんぶ。
多分、正直なのは唇の方だ。
本当は、嫌だった。
青井のことだけじゃない。母が拾ってくる様々なものが。さらに言えば、母の職業が。その職業故に怯えて暮らす学生生活が。父親もなく、この観音通りに生まれて育ったという事実だって。
全部全部、夕佳は嫌だった。
「ごめん。」
そう青井は言った。夕佳の息はぜいぜいと上がっていたけれど、青井のそれは平静だった。見るからに酒と紫煙にまみれた暮らしをしているくせに、随分と健康的な男だ。
「バカにしないでよ。」
もう、夕佳はなにも考えなかった。ただ唇が動くがままにしているだけだ。
バカにしないでよ。
あんたの存在一つで私がこんなに動揺しているとでも思っているの。もっともっと山ほど嫌なことがあって、あんたの存在なんて、表面張力の最後の一滴。ただ、タイミングが最悪だっただけ。普段の私だったらあんたのことだって、今日の夜までにはどうとでも片付けておけた。犬や猫や赤ん坊を片付けたみたいに。
息切れが激しくなって、空洞になった肺の奥から血のような嫌な味がこみあげて来る。
はあ、と長く息を吐いて、夕佳は仕方なく脚を止めた。面白いくらい膝が笑っている。しゃがみ込みそうになるのを、両膝に手をついて何とか堪えた。
気が付けばとうに観音通りを抜けており、目の前には夕佳の通う中学校があった。
背中で青井の気配を感じる。青井の呼吸はとくに乱れてもいなかった。
「長距離やってたんだ。」
ぽつりと、青井が言った。
「ここのグラウンドで。」
中学時代の思い出を語るにしては、硬くて重い響きの声をしていた。
多分、長距離走にもグラウンドにも、青井はいい思い出を持っていない。
肩で息をしながら不可抗力的に黙っている夕佳に、青井は静かに笑いかけた。
「無理なのかな。色んなめんどくさい感情とか手続きとかなしで、家族になるのって。」
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