青井とユキのやりとりは、険悪とは言い難い微妙なラインだった。少なくともユキの物言いは険悪だったけれど、青井のそれは暖簾に腕押し、ユキの嫌悪や苛立ちを相手にする気もないようだった。

 ユキの方が多分青井より2つ3つ年上なのだろうに、世慣れているのは青井の方だという匂いがした。ユキは、もしかしたら生まれや育ちはこの町ではないのかもしれない。

 「どっか行って。つーか夜は仕事だろ。ケイ子さんのところに早く行けよ。」

 ユキの言いようはやはり攻撃的で、けれどそれはなんだか、青井本人に向けられた言い草とはどうしても思われなかった。

 ユキにはおそらく、青井に似た、けれども青井ではない嫌悪する誰かがいる。

 そのことだけは、まだ幼い渚にも分かった。

 ユキというこの男娼には、誰か青井ではないキライなひとがいる、と。

 ヒモ。夜の仕事。分かったふり。

 渚は口の中でそれらの言葉を転がした。それでも彼女にはまだ、ユキが嫌っているのがユキ自身だという正解まではたどり着けない。その正解したどりつくまでは、あと数年を要する。

 「じゃあ行くけど、その子は親のところに帰した方がいいよ。なにも変な感傷で犯罪者になることはないだろう。」

 ふらりと身体を起こした青井は、右手に握り込んでいたひしゃげた煙草の青い箱から一本、白い細い煙草を唇で抜き取り、けれど火は点けずに観音通りの奥へと消えて行った。

しばらく、間の悪い沈黙が続いた。青井が来る前までの沈黙とは、どこかしら種類が違う沈黙だった。耳に刺さるような、内臓に染みつくような、じりじりと胃の腑を犯すような、沈黙。

 嫌な静かさ、と、渚は単純にそう思った。

 その沈黙を破ったのは、ユキだった。それは少し、意地になったような口調で。

 「いたいだけここにいればいいよ。ここじゃなくてもいいけど。別に親のとこにも後藤先生のとこにも、戻りたくないなら戻る必要なんかないよ。」

 なんと答えていいのか分からないまま、渚はとにかく頷いた。母の仕事場をちょっと探検してみたいだけの、思いつきのそぞろ歩き。それがなぜだかここで、女装の男娼をざくりと深く傷つけている。

 罪悪感を抱けばいいのだろうか。それにしては渚は、なんにもしていないだけなのだけれど。

 それとも青井とか言うあの男を恨めばいいのか。それにしてはあの男は、案外まともそうだったけれども。

 「……帰る。」

 渚はそう言って、側溝に引っかけていた腰を引き上げた。

 「送って行くよ。」

 当然のことながら引き留めることはなく、ユキも渚に合わせて立ち上がる。

 「1人で平気。」

 「そう言うわけにもいかないでしょ。」



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