第29話:隠居2
「これは流石に問題があるのではありませんか?」
角兵衛が眉間にしわを寄せて心配している。
「奉納と繁殖で増え過ぎてしまっているのです。
このままでは神域に野犬が入り込んでしまいます。
檀家の方々が御参詣している時に、神鶏が御神域で狼や山狗に襲われでもしたら、お伊勢様の権威が地に落ちてしまいます」
優子も苦悩の表情を隠そうともしない。
「それはそうでございますが、お伊勢様の御力でしたら、狼や山狗ごとき撃退できるのではありませんか?」
「お伊勢様の力を過信してはいけません。
お伊勢様には人間界の事よりも大切な事が山のようにあるのです。
些細な事にかかわっている暇などないのです。
それに、これは内緒の話しですが、神々全てが仲良しではないのです」
「それは、私も存じておりますが……」
「神々の中には、狼や山狗を神使にしておられる方がおられます。
お伊勢様の評判がよくなるのを快く思っていない神もおられるのです」
「なるほど、そういう事でしたら理解できます。
ですが幾ら何でも元神鶏の卵を食べるというのは……」
「元神鶏を食べるのなら問題ですが、卵なら問題ありません。
ちゃんとお伊勢様から御神託を頂いております。
お奉行様にも確認していただき、山田三方の名主一同の合意も頂いています」
「その通りなのですが……どうも府に落ちません」
角兵衛が腑に落ちないのも当然だった。
今回の神鶏隠居は、追い詰められた優子の苦肉の策だった。
今まで散々神鶏として利用してきたが、鶏に力があったわけではない。
鶏を操って動かし、実際に力を行使していたのは式神だ。
式神がいない所で狼や山狗に襲われたら簡単に喰われてしまう。
それでも、今までと同じ数の神鶏なら、鬼神や妖怪変化に好かれる優子の式神は強く数も多いので、護りきる事ができた。
だが、馬を奉納できない信心深いお伊勢様の信者は、お伊勢様の神使いと崇められている鶏を奉納したのだ。
馬を受け入れているのに、鶏を断る事などできなかった。
一気に数の増えた神鶏を狙って、狼や山狗はもちろん、狐や狸、鼬や黄鼬が数多く外宮周辺に集まってきている。
式神を使ってこちらから先制攻撃を仕掛ければ、神鶏を狙う者達を皆殺しにする事はできるが、優子は無駄な殺生は嫌いなのだ。
だから、今の式神で護れる神鶏以外は隠居させ、檜垣屋と系列の御師宿で飼う事になったのだが、事もあろうに、元神鶏が産んだ卵は食べていい事にしたのだ。
食べずに育ててしまったら、鶏が際限なく増えてしまう事になる。
それでなくても神域にいる神鶏は式神に護られているから、毎年とんでもない数が増えて行くのだ。
檜垣屋達が引き取った神鶏まで増えてしまったら、伊勢山田は鶏であふれかえってしまい、野生の獣に襲われる事になる。
結局お伊勢様の権威が地に落ちてしまう事になる。
もし野生の獣に襲われなかったとしても、その先にはもっと悪い事が待っている。
増え過ぎた神鶏とその子達によって、伊勢山田の田畑が荒らされる事だけは絶対に避けなければいけないのだ。
そんな優子の苦渋など分からない角兵衛は、しきりに頭を捻っているが、もう神鶏の事を割り切ってしまった優子にはどうでもいい事だった。
そんな事よりは、体の不自由な者達の今後の事の方が遥かに大切だった。
体の不自由な者達を助ける存在として、今1番役に立っているのは妖怪変化や付喪神達なのだ。
彼らが十分な食事がとれるようにしなければいけないが、表に出せるような存在ではないので、隠れて食料を確保しなければいけない。
自由にさせる事ができるのなら、野山にいる野生の獣や魚を狩らせる事もできるが、多くの妖怪変化や付喪神を常時働かせようと思えば、こちらで食糧を確保しなければいけない。
そんな中で、元神鶏の卵を使えるか使えないかは、とても重要だった。
栄養価の高い卵を妖怪変化や付喪神に与えられれば、他の食糧を購入する費用を抑える事ができる。
特に、助けてくれている妖怪変化や付喪神に、食糧を与えなければいけないという自覚のない、あいを手助けしている妖怪変化や付喪神が助かるのだ。
実際には、優子が卵を集めて与える訳ではない。
妖怪変化や付喪神が自分達で自由に食べるのだ。
だが卵を食べる事が許されていないと、誰かが盗んだと大騒ぎになってしまう。
そんな時、お伊勢様に仕える眷属神や神使が食べた事にすれば、全て丸く収まると優子は考えていたのだが、実際に元神鶏を飼いだして思っていた通りだと実感した。
「ねえ、日によって卵の数が随分と違うのだけれど、誰か盗んでいるのかしら?」
「檀家の方々を疑うのはいけない事だけれど、御師宿に奉公する者が盗んだとは思えないわよね」
「そうよね、神罰を恐れて盗むとは思えないわよね」
「お嬢様は眷属神か神使が食べているのだろうと仰っていたけれど、昔は同じお伊勢様に仕えていた神鶏の卵を食べるなんて、とても思えないわよね」
「お嬢様の事だから、檀家衆に愚行を庇っておられるのだろうけれど、幾ら何でも神々が元神鶏の卵を食べたりはしないわよね」
優子は檜垣屋に務める女中達の噂話を耳にして、自分の考えが至らなかったのだと思い知らされていた。
前鬼や後鬼、酒吞童子や茨木童子を式神にしている優子には、神々の残虐性や身勝手さは当たり前の事で、元神鶏の卵どころか現役の神鶏だって平気で食べてしまう事を痛いほど知っている。
だが鬼神の本当の恐ろしさを知らない人々から見れば、同じ神の範疇にいる者を他の神が喰らうなど考えもしていなかったのだ。
何の罪もない檀家衆が、優子の理想の犠牲になって、元神鶏の卵を盗んだと噂されるのは嫌だった。
直ぐに何とかしなければいけないと解決策を考えた。
よく考えたが、どうしても同じ方法しか思いつかなかった。
頼れるのは、あいの御神託だけだった。
それ以外に、全ての人を納得させられる方法を思いつけなかった。
優子はまた本家の禰宜にお願いして、あいに御神託をしてもらう事になった。
お奉行や名主達に集まってもらい、神鶏の卵を誰が食べているのかを明らかにして、檀家衆の受けた疑いを晴らす事にした。
もちろん、優子が操る筆の付喪神が、優子の意に反する事を書くはずがない。
神鶏の卵を食べていたのは、お伊勢様の眷属神と神使だと紙に書いた。
これからも同じように食べるから、人を疑うなと書いた。
檀家衆に受けさせてしまった冤罪を晴らす事には成功した優子だったが、自分の至らなさに打ちのめされ、内心では忸怩たる思いだった。
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