第30話:繁盛

「何が喜ばれるかは、やってみなければ分からない物でございますな。

 お嬢様はこうなる事を予測されておられたのですか?」


 筆頭番頭の角兵衛がほとほと感心したという表情で問いかける。


「私もこのような事になるとは思ってもいませんでした。

 全てはお伊勢様の大いなる御意思でしょう」


 全くの偶然がこれほどの金儲けを生むとは思いもしなかった優子は、全てお伊勢様のお陰ということにした。


 角兵衛が何に感心しているかといえば、馬車だった。

 体の不自由な者が少しでも楽に移動できるように、優子がお伊勢様の御神託を利用して、伊勢山田でだけ利用できるようにした馬車だった。


 1番安く早く作れる馬車は、大八車を馬に牽かせるだけの、雨風に対する備えも何もない馬車だった。

 

 最初はこの大八車馬車が、体の不自由な者の移動を助けた。

 昔のあいような者を、住んでいる裏長屋から門前にまで移動させ、できるだけ楽に参詣者に辻勧進ができるようにした。


 だが大八車馬車では、雨の日の移動がとても不便だった。

 盲人の芸達者が、雨の日に御師宿の座敷や神楽舞台に行くには不便だった。


 雨風の強い日は、参詣する者もほとんどおらず、門前での勧進は行わないのだが、その分御師宿に呼ばれる回数が増えるのだ。


 以前のように辻駕籠を利用すればいいのだが、1里400文もする辻駕籠を利用するよりは、自前の馬車を作って利用する方が安くて便利だった。


 なにより辻駕籠では、質の駕籠かきに当たった時に危険だった。

 特に女の盲人だと何をされるか分からない。

 お伊勢様のお膝元である伊勢山田であろうと、悪人はいるのだ。


 そこで急いで作られたのが、雨風を凌げて町人が乗っても文句を言われない、四つ手駕籠と同程度の屋根と側面を設けた馬車だった。


 後に四つ手駕籠級馬車、四つ手馬車と言われる物だが、当初の予想を大幅に上回る評判となった。


 御師宿に逗留している檀家衆はもちろん、路銀に余裕のある参詣客までが、幾ら掛かっても好いから乗ってみたいと言ってきた。


 だがそう簡単に乗せる訳にはいかなかった。

 幕府にはお伊勢様が体の不自由な者を助ける為に御神託を下したと奏上している。

 金を貰って参詣客を乗せる訳にはいかない。


 とは言え、色々と奉納までしてくれている檀家衆を無碍にはできない。

 伊勢山田奉行所に相談した結果、無位無官でも神職ならば、体の不自由な者を手助けする場合は馬車に乗る事を許す事になった。


 神職でない場合でも、怪我や病気を押して親兄弟のために参詣する場合は、馬車に乗ってもいい事になった。


 乗っていい事になると、今度は料金を決めなければいけない。

 料金というのが問題ならば、お伊勢様が体の不自由な者のために作らせた馬車の使用料、制作費用の足しにして欲しいと言って渡す、奉納金だと言えばいい。


 色々な言い訳を経て決められた料金は、あくまでの御師宿から宮に行く場合や宮から御師宿に戻る謝礼として、一律銭2000文・銀20匁・金2分となった。


 この時代は銭、銀、金の三貨が使われており、全国から人の集まる伊勢山田周辺では、宿賃も物品も三貨で表示されていた。


 中には銭や銀でしか売らないという店屋もある。

 両替するには手数料が必要なので、店側が三貨を選ぶ習慣だった。

 

 だが今回は、あくまでも同じお伊勢様を信じる神職同士のお礼という事になっているので、日々の三貨相場は無視して、幕府の公定相場に準じていた。


 それにしても、1里400文が相場の駕籠代と比べると、とても高い。

 馬と大八車が必要で、屋根と側面作らなければいけないとはいえ、本当に高い。


 駕籠なら最低2人の担ぎ手が必要で、乗れるのも1人だけだ。

 だが馬車なら、馬は必要だが轡持ちの人間1人だ。

 乗れるのは1人ではなく最大6人も乗れる。


 1度に6人乗せる事ができれば、片道で銀120匁にもなる。

 腕の好い大工の日当が銀5匁4分なのだから、どれほど儲かるか分かるだろう。

 こんな値段になったのも、相手が豊かな檀家である前提だからだ。


 いざ四つ手馬車を運用しだすと、檀家でない者の中からもどうしても馬車に乗ってみたいという者が現れた。


 お伊勢参りに来る間に、本当に怪我をした者もいる。

 怪我人まで無碍に断るわけにはいかない。

 またしても伊勢山田奉行所と相談する事になった。


 伊勢山田奉行は江戸にいる幕閣と相談する事になる。

 奢侈を禁じ質素倹約を旨とする幕閣ではあるが、信心を無視する事はできないし、怪我人を無碍に扱う事もできない。


 まして相手が、夫や主人の病気平癒を願ってお伊勢様を参詣しているとなると、特別な許可を与えるしかなかった。

 幕府が忠孝を否定する事だけはできないからだ。


 そこで幕閣が許可したのは、奢侈ではない馬車なら許可するという事だった。

 身体の不自由な者が乗る馬車が偶然現われ、難儀している参詣者に手を差し伸べて同乗させるという詭弁の上にだ。


 これによって、ほとんど何もできない、体の不自由を見せて辻勧進するしかなった者が、馬車の同乗者として銭金を稼げるようになった。


 芸が未熟な者も、才能がない者も、重い体の不自由が有る者も、幼い頃から銭金を稼げるようになった。


 お伊勢様に行って馬車に乗らないのは馬鹿と貧乏人だけだと言われるようになり、 あまりにも人気がでて、大急ぎで多くの馬車が作られた。


 そうなると、四つ手馬車では満足できない者が現れる。

 身分的に四つ手馬車に乗るわけにはいかない者がいる。


 急ぎ法仙寺馬車と権門馬車が作られた。

 権門馬車は布衣以上の官職を得た幕府役人しか使用できない。

 公家は、従六位下以上の官位を受けた者だけとなった。


 それも公務に限られたので、滅多に使われることがないのだが、これにも抜け道があって、あいと優子が宮や御師宿に行くときに、介添えとして同乗する事が黙認される事になった。


 あいと優子のための権門馬車が大至急で作られたのは言うまでもない。

 ただ権門馬車は公務が前提なので、使用料はなしだ。

 参勤交代の本陣と同じ扱いで、心付けを渡す程度で済む。


 問題は庶民が乗れる最高の馬車、法仙寺馬車の礼金だった。

 基本は御師宿から宮までの片道で銭4000文・銀40匁・金1両だが、あくまでもこれは乗り合いの料金だ。


 法仙寺馬車に乗ろうとするような者が、他人と同乗する訳がない。

 本人1人で乗るか家族で乗る。

 結局料金は相談となってしまう。


 最低でも銀240匁・金6両以上となり、滅多に使われなくなる。

 それも当然で、商売のいろはを学んだ真っ当な者が、わずかな距離を乗るだけのために6両もの大金を使うわけがない。


 だが、恐ろしい事に、何処にも馬鹿な若旦那はいるもので、家業を傾ける事になっても、法仙寺馬車や権門馬車に乗ろうとした。


 大馬鹿になると、お伊勢様の天罰など信じず、お伊勢様の寵愛を受けていると評判の巫女、あいと同じ馬車に乗ったと自慢しようするのだった。

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