第28話:隠居

「優子殿、本当にいいのだろうか?」


 檜垣家の本家、世襲禰宜家の当主が恐る恐る聞いている。


「これがお伊勢様の御意志です。

 無視する方がよほど不敬だと思います。

 それとも禰宜の方々は、お伊勢様の御神託など、無視すればいいと思われているのですか?」


「滅相もない!

 お伊勢様の御神託を無視するなど絶対にない。

 ただ、その、ほんの少し心配になっただけなのだ」


「我々人の考えなど、お伊勢様の大いなるお考えの足元にも及びません。

 衆生の方々が思い悩み間違うのは仕方がない事ですが、我々お伊勢様にお仕えする神職が、お伊勢様の御神託を疑い無視する事は絶対に許させません。

 禰宜の方々はそう思われないのですか?」


「思う、そう思っているぞ」


「では、お伊勢様の御神託通り、粛々と隠居させてください」


 お伊勢様の外宮では多くの奉納があり、馬や犬、鶏があふれかえってしまう状況となっていた。


 流石に高価な馬は溢れかえらないが、それでも10頭を神馬として維持するのが限界の所に、32頭もの神馬が奉納されてしまったのだ。


 普通なら内々で馬の奉納をお断わりして、他の形で寄進していただくのだが、絶対に馬で奉納して頂けと御神託されたら、今の禰宜達に断る術などなかった。

 誰だって本当の神罰を喰らいたくはないのだ。


 奉納して頂いた馬だから、絶対に神馬として維持管理し続けなければいけないのだが、またも御神託が下り、22頭は隠居させろという。


 しかも隠居先として、体の不自由な者達を集めた新たな座を指定されたのだから、外宮の禰宜達が慌てふためくのもしかたがない。


 お伊勢様に逆らうのは恐ろしいが、同時に現実世界の権力者を怒らすのも怖い。

 馬を奉納してくれた人の中には、大名や旗本までいるのだ。


 大名旗本から神馬にするように奉納してもらった馬を、座頭や非人の座に下げ渡すなど、恐ろし過ぎて腰が引けるのも当然だった。


 唯一禰宜達を安堵させたのは、御神託に具体的な馬名と役目が記されており、自分達の責任ではないと言い訳できる事だった。


 お伊勢様が隠居させろと命じられたのは、体格の劣る小さな農耕馬だった。

 理由も、お伊勢様の慈愛を衆生に知らせる為に、体の不自由な者達を助ける役目を与えるという理由だった。


 もちろん本当にお伊勢様が命じられた事ではない。

 優子が筆の付喪神に命じて書かせた事だ。


 だが優子が付喪神に書かせたと知っている者は誰もいない。

 御神託の場にいた者全員が、宙に浮いた筆が書き記すのを見ている。

 それを見てお伊勢様の御神託だと信じない者など1人もいない。


 その場には、馬を奉納した者や代理の者が御神託を受けに来ていた。

 自分の奉納した馬が、奉納後直ぐに引退させられるのだから、理由を確かめに来るのは当然だった。


 当事者が御神託の場にいたからこそ、文句も言わずに受け入れられたのだ。

 いや、単に受け入れた者だけではなかった。

 涙を流して感激した者もいた。


 虚栄心が強くて、自分が奉納した馬が外宮の御厩で飼われ、行事ごとに着飾られるのを望む者もいる。


 だが中には、本当にお伊勢様を信心し、お伊勢様のお役に立ちたいと思って、馬を奉納した者もいる。


 そんな者にとっては、自分の馬がお伊勢様直々に役目を賜り、衆生救済を携われと命じられるのは、無上の喜びなのだ。


 1人が感激して涙を流せば、多少は不満に思っていた者達も、これが名誉な事なのだと理解する。


 いや、名誉な事だと思った方が、単に神馬として扱われるよりも、自分に利益があると考えを改める現金な奴もいる。


 馬を奉納していた者達が納得すれば、禰宜達もひと安心だ。

 新たな無理難題を言ってくる御神託も、唯々諾々と従う事になる。


 全く前例のない事であっても、御神託が下されたのならしかたがない。

 誰だって神罰が怖いし命が惜しい。


 新たな御神託とは、隠居した元神馬の扱いだった。

 これまでは、1度神馬となった馬は死ぬまでずっと神馬だった。

 元神馬が神域の外で暮らす事などなかったのだ。


 元神馬は、現役の神馬のように、高価な馬具で煌びやかに着飾ったりしない。

 だが、元神馬であった事を明らかにするために、首にしめ縄を付ける。

 そして御神託通り、体の不自由な者達を助けるのだ。


 馬を自分で操って良いのは騎乗資格のある武士だけだが、荷物扱いで、馬子が引く馬に乗るのは禁止されていない。

 だが、馬子が引くとは言え、体が不自由な者が馬に乗るのは難しい。


 人が楽に乗れる牛車は、朝廷から上級の官位を授けられた者、公家でも武士でも特に身分の高い者しか乗る事を許されない。

 だが、馬車に関しての規定はない。


 だから、馬子が馬の手綱を取り、車を引かせるなら、体の不自由な者が乗っても問題はないという結論に達したのだ。


 とは言え、何の根回しもせずにやってしまう優子ではない。

 事前に伊勢山田奉行の檜垣常行に相談し、何処までが許されてどこからが許されないのか、幕閣に問い合わせてもらっていた。


 当然だが、上級公家が使うような立派な車が許されるはずもない。

 馬子が元神馬に乗る事も絶対に許されない。

 事故を起こす事も絶対に許されない。


 実際江戸では、大八車による交通事故が多発していた。

 荷物を満載して先を急ぐ大八車が、人をひく人身事故が後を絶たない。

 だから江戸では大八車を登録制にしている。


 それは幕府の支配している伊勢山田も同じだ。

 新たに馬車という物を使うのなら、奉行の許可を取り登録しなければいけない。


 江戸の幕閣と伊勢山田奉行が手紙による頻繁なやり取りをして、お伊勢様が体の不自由な者に対するお慈悲を施すというのなら、伊勢山田に限り認めるという条件で馬車が許された。


 とは言っても、雨風を凌ぐための立派な屋根を儲ける事は許されない。

 今駕籠で許されている物に準じる事になった。

 そして神職にある者と町人では厳格な差が設けられた。


 朝廷から位階が授けられるような神職は、権門駕籠に準じて、屋根と壁が木製で、乗り口に引き戸があり、紺色を使うことが許され、屋根や側壁、扉窓の下などを黒漆塗りで仕上げた豪華な馬車に乗れた。


 位階を授けられていない神職や名字帯刀を許された富豪は、法仙寺駕籠に準じて、屋根や壁は木製だが、引き戸と紺色を使う事は許されず、漆も春慶塗までとされた馬車に乗る事ができた。


 神職でもなく、名字帯刀も許されていない平民は、四つ手駕籠に準じて、屋根や壁に木を使うことが許されず、竹で屋根や壁の骨組みを作って、そこを畳表で覆って雨風を防ぐ馬車に乗る事ができた。


 身分差はあるものの、体の不自由な者が馬車に乗れるようになったことは大きい。

 それが例え大八車の上に急ごしらえの屋根と壁を設けた四つ手馬車でもだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る