第27話:奉納
優子が犬を探していると聞いた伊勢山田の人達は、自ら進んで犬の子供をお伊勢様に奉納した。
子犬だけでなく、元々神鶏として大切にされてきた、鶏を奉納する者もいた。
普段でも伊勢講に入っている大富豪や大名家が色々な奉納を行っている。
そして今は、お伊勢様の名声が特に高まっている時期だ。
神罰という恐ろしい噂だけでなく、体の不自由な者を受け入れるだけでなく、奇跡の癒しまで行うほど霊験あらたかだと評判になっているのだ。
だから、権威のある寺社なら絶対にいなければいけない、神馬を奉納する者まで複数も現われたのだ。
古には、神に祈願する時に馬を奉納する習わしがあった。
だが、力のない寺社では馬を世話する事ができない。
奉納する者もとても、高価な馬を奉納するのは負担が大き過ぎた。
そこで徐々に本当の馬ではなく、等身大の馬の像を奉納するようになり、今では絵馬を奉納して祈願するように変化していた。
これまでも外宮と内宮は神馬の数で張り合っていた。
経済的に一歩劣る内宮は、苦心して外宮と同じだけの神馬を揃えていた。
外宮と内宮は、戦国乱世の時代には実際に槍を合わせて宮に放火するほど敵対していたのだ。
徳川の世になったからといって、急に仲良くはなれない。
立地に恵まれ御師の活動も活発だった外宮前の山田が栄えるのに比べれば、内宮前の宇治の賑わいも霞んでしまう状態だった。
外宮の面前には三日、五日、八日に市が立つ。
門前で勧進する非人達も外宮の方が芸も上手いし実入りもよかった。
市が立つ日以外でも、外宮は常設の店で賑わっている。
内宮の御師宿が最後まで優子に敵愾心を持っていたのは、そういった経済的な反発も大きかった。
優子とあいのお陰で完全に勝負がついた外宮と内宮の力関係の結果、神馬が奉納されるのは外宮ばかりになった。
内宮は外宮に張り合う事を安全に諦めた。
とは言え今までなら、5頭も6頭も神馬を維持するのは外宮でも難しかった。
だが今なら、それくらいの神馬なら維持管理する事ができる。
奉納された馬を神馬として飾り立てて維持できる経済力と人手が、外宮にはある。
何故なら、新たに江戸からやってきた、武士から乞胸に身を落とした者が手塩に掛けて神馬の世話をするからのだ。
今回外宮の非人頭が江戸から連れてきた者の中に、長嶋礒右衛門を頭とする元武士の乞胸集団がいた。
幕府によってお家が取り潰され、家族を養うために大道で芸をしていた者達だ。
江戸の非人頭である車善七が、非人達の生業を長嶋礒右衛門達が邪魔していると幕府に訴えた事で、武士の身分から町人に身分に落とされたばかりか、乞胸を行う間は車善七の支配を受け、1人月額18文を上納しなければいけなかった者達だ。
生きるためとはいえ、武士の身分を失い、非人頭の支配下にはいる。
子孫にとっては屈辱以外の何物でもなかった。
非人ではなく町民だし、非人小屋ではなく江戸の裏長屋に住めてはいるが、人目を憚らなければいけない立場だ。
毎月車善七から鑑札を貰わなければいけないのも屈辱だった。
そんな時、伊勢に行けば、同じように非人頭の支配下に入らなければいけないが、芸さえ達者なら、神職につけるという話が町奉行所から舞い込んだのだ。
それは町人格の長嶋礒右衛門達だけでなく、非人も同じだという。
長嶋礒右衛門達にとっては絶好に機会だった。
だが同時に、そんな美味い話しはないという疑いもあった。
非人が神職に成れるなど、常識外れも甚だしい。
だが頭から否定するには魅力的過ぎる話だった。
公式に知らせてくれた町奉行所が自分達を騙す必要もない。
そこで長嶋礒右衛門達は贔屓筋に頼んで事の真偽を確かめた。
直ぐに情報が集まった。
江戸にも数多くの伊勢講があり、実際に優子やあいを見聞きした者も多い。
両人がお伊勢様の寵愛を受け、御神託まで賜っているという話もあった。
皆で話し合って、今直ぐ全員でお伊勢様に行く事はできなくても、実際に自分達で見て確かめる為に、幾人かを送ろうと使う話になった。
江戸に来ていた、お伊勢様外宮の非人頭も、無理矢理連れて帰ろうとはせず、幾人かが来て確かめてくれればいいと言ってくれた。
そこでお伊勢様の前で芸をしても恥ずかしくない者が選抜され、偵察員として伊勢に向かったのだが、直ぐに興奮冷めやらぬ手紙が人数分届いた。
全員が、今直ぐお伊勢様に来ても大丈夫。
むしろできるだけ早くお伊勢様の元に来なければいけないと書いてよこした。
あまりにも手放しの推奨に、全く不安がなかったわけではないが、伊勢山田奉行直々の推薦状もあり、思い切って全員でお伊勢様の元にやってきたのだ。
それが長嶋礒右衛門達の運命を大きく変える事になった。
江戸に残っていたら、どのような運命をたどっていたか分からないが、伊勢に来た事で、全国で勧進を行える神職の身分を手に入れる事ができた。
そんな長嶋礒右衛門達の中で、少しでも祖先の武士に近い仕事をやりたい者が、激しい競争を勝ち残って、神馬の世話係となっていた。
元々神馬は神様が人間界にやって来るときに乗馬だと言われている。
人間ごときが跨っていい存在ではない。
だが、何時で乗れるように神様の代わりに調教しておく必要がある。
お世話係として轡を取る者が必要でもある。
一度は非人の頭に支配された自分達が、神様の乗馬に跨れるのだ。
武士の子孫だという自負のある長嶋礒右衛門達が競いあったのも当然だ。
普通なら1頭いればその神社は相当豊かだ
2頭維持管理できるとなれば、その地を代表する神社といっていい。
それが10頭も神馬らしく維持管理できるとなれば、とてつもない財力だ。
ただ、神馬を奉納したのは武士ではなく山田の富豪達だ。
だから1頭が金3両も4両もする奥州南部の軍馬ではない。
1頭が銀15匁程度の農耕馬だ。
それでも、同じ農耕馬が2頭しかいない内宮との差は明らかだった。
神馬が装う馬具の華やかさも内宮とは比較にならない。
体の不自由な者達への献金は惜しむ山田三方の富豪達も、自分達の力を宇治の連中に見せつける為には金を惜しまなかった。
優子にはそんな醜い争いなどどうでもよかった。
放置する事で、自分の資金や体の不自由な者達の為に作った新しい座の資金を使う事なく、神馬を揃えられるのならそれでよかった。
優子は犬による体の不自由な者達への支援が順調に進んでいたので、今度は馬や牛に体の不自由な者達を手助けさせようとしていた。
そのためには、気性が荒く大型の軍馬よりは、体が小さくて穏やかな農耕馬の方が好かったのだ。
奥州の南部駒よりは、近くで飼われている木曽駒や三河駒、甲斐駒などの中から特に小型の馬が欲しかった。
優子が交渉するよりは、あいに御神託してもらった方が確実に必要な馬が集まると考えた優子は、外宮世襲禰宜の本家に頼み、神馬の基準をあいに御神託してもらう事にしたのだった。
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