第26話:おかげ犬

「まあ、お陰犬だわ、偉い子ね」

「ほう、これは珍しい、何か食べ物をあげないといけないな」

「もういい時間だし、寝床を用意してやったらどうだ?」

「旅籠にお伊勢参りの人がいるようなら、一緒に連れて行ってくれないかねぇ」

「もしいないのなら、次の宿場まで誰かに連れて行かそうじゃないか」


 お伊勢様に限らず、体の弱い者やどうしてもやらなければいけない仕事のある者が、代理の者を立てて宮参りさせる事はある。

 伊勢講や富士講で、代表者がお参りするのも一種の代参だ。


 そんな代参の中に、犬に参ってもらうという珍しい形がある。

 珍しいとは言っても「おかげ犬」という名称が定着するくらいには、多くの犬が代参している。


 代参の犬である事は、首にかけたしめ縄と但し書きで明らかだ。

 お伊勢様に参るのに必要な銭は首からかけた巾着に入れられている。

 そんな「おかげ犬」を邪険にする者など滅多にいない。


 この時代の人達にとって、主人の代わりにお伊勢様に行く犬は、忠義を体現する存在なのだ。


 そんな忠犬「おかげ犬」を御世話する事は、自分の信心を明らかにして功徳を積む絶好の機会でもあるのだ。

 

 とても信心深いこの時代の人々が「おかげ犬」の持った銭を盗むなど、よほど性根のねじ曲がった者しかやらない悪事だ。

 そんな「おかげ犬」が檜垣屋の前を通って外宮に向かうのを見た優子は閃いた。


「角兵衛さん、飼い主のいない犬を集めるのは難しいかしら?」


「犬でございますか?

 犬なら山に行けば幾らでもおりますし、里で聞けば幾らでも子犬を分けてくれますが、どうなさる御心算ですか?」


「おかげ犬のような賢い犬がいるのですから、体の不自由な者を助ける犬を育てようと思ったのです」


 優子は単なる思い付きで言っているわけではない。

 妖怪変化を見る事の出来る優子は、齢を経た獣が妖怪になる事をよく知っている。


 直ぐに役に立つことはないだろうが、妖怪に変化した元犬に指導させれば、眼の見えない者に代わって見る事や、耳の聞こえない者に代わって聞く事ができる。


 妖怪変化や式神では、見鬼の才能がない者には見る事も聞く事もできない。

 付喪神の中には普通の人間の前に姿を現せる者がいるが、あからさまに姿を現したら大問題になってしまう。


 とてもではないが、常時身体の者の手助けをする事などできないが、犬に覚えさせればずっと側で手助けさせられる。


「古の時代には、伝令を務めて敵から城を護った犬がいると聞いた事はありますが、体の不自由な者を助けられるほど賢い犬がいるでしょうか?」


 角兵衛は優子の言う事を鵜呑みにはせず、何か問題がないか確かめてもらおうと、再度問いかけていた。


「最初から諦めていては、何事も始まりませんよ。

 失敗した時には、また新たな方法を考えればいい事です。

 犬を貰い受ける当てがあるのなら、できるだけ多くの犬を貰ってきてください」


「分かりました。

 お嬢様がそこまで言われるのでしたら、里に使いの者をやりましょう」


 丁度犬の出産時期であったこともあり、乳離れと基本的な躾の終わった犬が檜垣屋と体の不自由な者達の家に集められた。


 犬が可愛い盛りであった事もあり、子犬達は多くの人達から愛情一杯にお世話され、人間の事が大好きな犬に育ってくれた。


 そして人のいない所では、妖怪変化が子犬達を躾けている。

 元犬だった妖怪変化が、自分達犬族に合ったやり方で体の不自由な人達を手助けできるように、子犬達に色々と教えている。


 人には決してわからない、犬独特の能力や本能を利用して、体の不自由な人達の役に立てる能力を磨いていった。


 子犬達は見る見るうちに賢くなっていった。

 人が教えていたら、とても到達できない高みにまで成長していった。


「お嬢様の申されていた通りでございました。

 私ごときがお嬢様の考えに口をはさむなど、不遜でございました」


「何を言っているのですか。

 角兵衛さんが色々と教え諭してくれるから、間違えずにやってこられたのです。

 これからも私がおかしな事をしないように、しっかりと見張っていてくださいね」


「畏れ多い事でございます。

 そのように言っていただけますと、番頭冥利に尽きます」


 これは後々の話になるのだが「おかげ犬」を参考に体の不自由な者を助ける犬を育てる話は、大きな成功を収めた。


 全ての人を助けられる犬を育てるには、よほど才能のある犬でなければ不可能だったが、不自由な所がそれぞれ違うので、目の不自由な人を手助けする犬、耳の不自由な者を手助ける犬と、専門を分けるようになっていった。


 専門を分けるようになって、全ての犬が何らかの不自由を持つ人を助けられるようになり、必要になる人手がとても少なくなった。

 その分人は歌舞音曲や鍼灸あんま指圧に集中する事ができるようになった。


「ねえ、角兵衛さん、檜垣屋や系列の御師宿に、おかげ犬を休ませる寝床を用意できないかしら?」


「それはとても好いお考えだと思いますが、おかげ犬のお世話をするのでしたら、あまりに貧相な寝床ではお伊勢様にお叱りを受けてしまうかもしれません」


「そうね、でも今はもっと酷いのではないかしら?

 専門の寝床がなく、縁の下や庭先で寝かしているのでしょう?」


「……そうですね、今は酷い状態でしたね。

 お嬢様がおられる檜垣屋と系列の御師宿が、率先垂範しなければいけませんね」


「何もかも角兵衛さんに任せては負担が大き過ぎますから、角兵衛さんが任せられると思う者に、全ての御師宿におかげ犬の寝床を設ける役目を与えてください」


「これはと思う者を何人か候補に上げさせていただきますが、御神託で決めていただいた方がいいと思われます。

 役目を与えられた者も、御神託で選ばれれば覚悟が定まるでしょう。

 その者に何かを命じられる者も、御神託に選ばれた者からの指示であれば、反感を持たずに素直に聞き入れられるでしょう」


「確かに角兵衛さんの言う通りですね。

 御神託で決めていただく方が、何事も上手くいくでしょう。

 早速あいにお願いしなければいけませんね」


 優子が決断した事で、おかげ犬の寝床設置役を誰が務めるかは、あいの巫女舞で御神託を受ける事になった。


 今までの実績もあり、お伊勢様で重大な事を決める時には、あいが巫女舞で御神託を受けるのが常識となった。


 これによってお伊勢様でのあいの権威は、比べる者がいないくらいに高まった。

 いや、あいを見出した優子だけは例外だが、他の者では世襲禰宜であろうと逆らえないくらいの権威を得た。

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