第21話:悔恨

 鈴と巳之助を与力達の前に誘導したのは、富徳の式神達だった。

 できるだけ早く、息子を追い込んだ2人を殺してしまいたかった。

 自分の命があるうちに、優子の邪魔になる者を始末したかったのだ。


 その計画は見事に成功した。

 狂気に囚われた2人は、与力の目の前で人を殺そうとし、与力の家臣を傷つけるという愚行を犯した。


 宮後屋の丞兵衛を殺した証人が現れず、奪った山田羽書を捨ててしまっていても、武士に対する殺人未遂と傷害で極刑が下されるのは間違いない。

 狂人故に自供しない事など関係なく、刑が執行されると富徳は安心していた。


 だが、富徳の予測を上回る大馬鹿者がいた。

 鈴に惚れ抜いてしまっている、不肖の息子、得壱がいた。

 得壱は鈴の事が忘れられず、その足取りを追いかけていた。


 一度は松阪に行って鈴の凶行を聞き、行き違いになったと分かったら、即座に伊勢山田に戻ってきていた。


 運命が違っていたら、2人が優子を襲う前に出会っていただろう。

 そうなっていたら、得壱は鈴と巳之助に殺されていたに違いない。

 その方が多くに人にとって幸せだっただろう。


 ところがそうはならなかった。

 伊勢山田で鈴の事を探していた得壱が、鈴と巳之助の事を知るのは、2人が奉行所に囚われた後だった。


「鈴、鈴、鈴に会わせてください!

 鈴が与力の方々を襲うなんてありえません。

 きっと何かの間違いなんです!

 罠です、誰かが仕掛けた罠なんです!」


 得壱は鈴を助けようと何度も奉行所に行ったが、全く相手にされなかった。

 時に暴れてどうしようもなかったが、捕らえられる事はなかった。


 奉行所の誰もが、得壱が優子の実の父親だと知っていた。

 勘当されて縁が切れているとはいえ、優子の父親を害するような恐ろしい事は、信託の場にいた与力達が絶対に許さない。


「うわあああああ、鈴を開放していただけないのなら、私を捕らえてください。

 私は鈴の亭主です。

 どうか同じ牢に入れてください、お願いします」


 得壱が何を言うおうと、同じ牢に入れるなどできない相談だった。

 そもそも男女は夫婦であろうと別の牢に入れるという決まりがある。

 まして狂気の囚われた鈴と同じ牢に入れるなど絶対にできない事だった。


 何度言い聞かせても、得壱は聞き入れなかった。

 聞き入れないどころか、同じ牢に入るために奉行所の下役を襲った。

 その時点で、得壱も乱心しているのだと奉行所の者達も気がついた。


 与力達は真剣に阿呆払いにするか迷った。

 優子の父親だから、鈴の連座や縁座にするのは不味い。

 勘当されているから優子に類は及ばないが、できれば優子の不興は買いたくない。


 男牢に入れてこれ以上何もできないようにすべきだが、男牢には他の罪人、特に巳之助がいるので何が起こるか分からない。

 悩みに悩んだ結論が、当の檜垣屋に問い合わせる事だった。


 鈴に連座縁座にするにしても、阿呆払いにするにしても、無罪放免するにしても、優子の機嫌を損ねるのは一番の悪手だ。


 だが返事は優子ではなく当主に返り咲いた富徳から来た。

 前亭主で勘当された得壱の処遇を決めるのは、若女将でしかない優子ではなく富徳の役目だが、それでは与力達の心配は解消されない。


 だが檜垣屋に出した問い合わせを、今更優子個人に聞き直すわけにもいかず、仕方なく富徳の望み通りにする事になった。


「檜垣屋からの返事が来た。

 今度得壱が現れたら、捕らえて牢にぶち込め。

 妻と奉公人の姦通を見逃し咎めなかった罪で死罪とする。

 宮後屋も同じ罪で捕らえて死罪とする」


 富徳の宮後屋に対する怒りが分かる処分だった。

 優子のために切り捨てた得壱だが、溺愛していたのは間違いない。

 そんな愛する得壱を狂わした、姦婦鈴を育てた宮後屋には根深い恨みがあった。


 この諦めと報復が得壱に知られずに行われていれば、多少の胸の痛みはあったであろうが、最悪の結末は避けられた。


 だが残念な事に、この処分を得壱が知ってしまったのだ。

 鈴の事を思いつめた得壱は、絶対に失敗する、鈴を牢から助け出す計画を立てて、奉行所に忍び込もうとしていた。


 檜垣屋からの命令で捕らえられると知った得壱は、優子がそんな指示を出したのだと思い込んでしまった。

 全ての原因を優子に求めて逆恨みした。


 何とも情けない人間だが、得壱を溺愛していた富徳が甘やかして育ててしまった結果なので、今更どうしようもない。


 そんな得壱と姦婦の母親を反面教師とした優子が、2人とは似ても似つかない立派な人間に育ったのは皮肉なのかもしれない。


 得壱は優子を襲おうとして奉行所から檜垣屋に向かった。

 武器は途中の家に忍び込んで手に入れた包丁だった。


 そんな姿を、得壱を見張っていた式神が主人の富徳に逸早く伝えた。

 富徳は自分の子育ての失敗を自分が取らなければいけない結果となった。

 

 自分で責任を取らなければ、優子が襲われるか、優子に父親を殺させてしまう事になってしまう。


 富徳も息子を殺す覚悟はしていた心算だった。

 だからこそ勘当したし、奉行所にも非情な処罰を願い出た。


 だが自分の手足と変わらない式神に殺させるのは躊躇ってしまった。

 得壱を甘やかしてしまった二の舞を演じてしまった。


 結果として、優子が得壱に襲われるという、最悪の状況となった。

 まだ時間があると迷っている間に、檜垣屋から出て非人と盲人が行う勧進を検分に行こうとしていた優子が、得壱に襲われてしまった。


 襲われたのが普通の娘さんだったら、確実に殺されていただろう。

 不幸中の幸いだったのは、襲われたのが優子だった事だ。

 陰陽師で妖怪変化から慕われている優子だから助かったのだ。


「優子、得壱が襲おうとしている」


 一瞬の間に凄まじい想いが優子の心を駆け巡った。

 父への複雑な思いだけでなく、祖父に対する想いも檜垣屋に対する想いもあった。


 あいをはじめとした体の不自由な者達を守らなければいけない想いもある。

 ここで死ぬことはもちろん、立ち止まる事も許されない優子だった。


「遠慮する事はないわ。

 殺す事になっても、他の人達が巻き込まれないようにして。

 なによりも体の不自由な者達が巻き込まれないようにして」


「分かった、絶対に誰も巻き込まれないようにする」


 優子の式神達は自信を持って約束してくれた。

 そして約束通り、誰一人巻き込むことなく得壱を捕らえてくれた。

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