第20話:襲撃
お伊勢様の外宮にある神楽舞台で2度目の巫女舞が行われた後、その場にいた優子とあい、与力達は一緒に神域から出て行く事になった。
本当に神託をしたわけではないが、以前のあいはほとんど動けなかった。
体力がないだけに、本気で舞うのは楽しいが、激しく疲れる。
少しは休憩しなければいけないし、身を清める必要もある。
普通なら奉行所の与力が巫女を待つ事などない。
だが、神託を見た後では、あいを置いて先に神域から出る事などできない。
信託の場にいた全員であいを迎えて、檜垣屋まで送る気になって当然だった。
そのような状況になったのはまったくの偶然だった。
誰が仕組んだ訳でもない、運命だった。
いや、お伊勢様の大いなる意思が働いていた可能性はある。
話は少し前に戻るが、優子の母である鈴と巳之助が宮後屋の若旦那を殺し、首代として檜垣屋に渡すはずだった山田羽書を奪って逃げた。
伊勢山田で山田羽書を換金できなかった2人は、松阪の三井屋で換金しようと夜道を駆けたのだが、先に富徳の式神が2人の凶行を知らせていた。
普通なら、知らぬ存ぜぬで法外な手数料を取って換金していただろう。
だが式神から三井屋に知らせた事を伊勢山田奉行所にも伝えてあると言われては、後々の事を考えれば2人を追い返すしかなかった。
それどころか、松阪にいる紀州藩の役人に知らせた。
2人は普通の人間では出せない、狂気の馬鹿力を発揮して紀州藩の役人を撃退し、紀州藩の役人が追いかけられない伊勢山田に逃げ込んだ。
2人は金もない状態で人殺しとして追われる事になった。
狂気に囚われた2人に常識などなかった。
飢えれば平気で女子供からも食べ物を奪った。
抵抗する者は狂人の馬鹿力で殴る蹴るをくり返した。
狂気に囚われた2人にも忘れられない想いがあった。
優子に対する逆恨みに凝り固まっていたのだ。
優子を殺そうと檜垣屋に戻ってきたが、足を取られて転倒してしまう。
何処からともなく石が飛んできて前に進めなくなる。
飛んでくる石を避けているうちにお伊勢様の外宮門前まで来ていた。
そこに恨み重なる優子とあいが現れたのだ。
怒り怒髪天を突き、狂気のまま襲い掛かるのも当然だった。
前にいる与力達の事に気がつかないほど怒り狂っていた。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!」
鈴は優子を殺す事だけを考えていた。
「お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ」
巳之助は自分の悪事を棚に上げ、全てを失ったのは優子のせいだと思っていた。
不意に現れて襲い掛かってくる2人に与力達は対応できなかった。
武士ではあるが、文官仕事ばかりしている与力達だ。
狂気の馬鹿力で薪を振り回す2人を斬り殺せるような武人などいない。
「慮外者!」
胆力のある筆頭同心が僅かに誰何できただけだ。
だが、与力が公式に出歩く時には共廻りが付く。
供侍2人と中間6人を連れていないと与力の面目が立たない。
今回も神楽舞台を見学できたのは与力本人だけだが、外宮の周りで警備に当たる侍が12人、中間に至っては36人もいた。
そんな共廻りは与力などよりも遥かに腕が立つ。
「下郎、これ以上近づくと斬る!」
1人がそう叫びながら刀を抜くと、負けじと他の者も刀を抜く。
これが捕り物ならば、犯人を殺さないように刃引きした刀を用いる。
だが今回は公式の場所なので、斬れる本当の刀を差していた。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!」
「お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ」
だが、共廻りの言葉は完全に無視されてしまった。
狂気に囚われた2人には、優子とあい以外は意識できない。
何の反応も示さない2人に共廻りは戸惑う。
だがこのまま優子の所に行かせられないのは分かる。
刀で斬り殺してしまうのではなく生け捕りにすべきだと、与力の家臣だから分かっているが、刀の峰で叩いてしまうと、最悪刀が折れてしまう。
3両1人扶持しかもらえない与力の供侍にとって、刀を折ってしまう事は、武士として生きていけなくなるに等しい致命的な出費なのだ。
「うりゃあああああ!」
侍達の迷いなどとは無関係に、中間達が2人を襲う。
刀を差す事が許されない中間は、腰に木刀を差している。
中には鉄芯を入れた木刀を差している中間までいる。
木刀なら頭さえ狙わなければ殺す事はない。
刀と違って折れる事も歪む事もない。
気を使うことなく思いっきり振り回す事ができた。
「「「「「ぎゃあああああ!」」」」」
薪と木刀ならば、木刀の方が有利なはずだ。
それなのに薪を振り回すだけの2人に力負けしてしまう。
「うっわ、化け物か?!」
多勢に無勢で、腕に木刀を叩き込んだのに痛がる事なく平気な顔をしている。
それどころか、残った手で木刀を奪い、周囲の中間を叩き伏せて行く。
2人の快進撃は、2人の供侍と9人の中間を叩きのめしたところで終わった。
「もうこれ以上、人を傷つけるのを見逃すわけにはいきません。
お伊勢様にお願いするまでもありません。
私が捕らえて差し上げます」
優子がそう言って前にでようとした。
だが、奉行所の与力ともあろう者が、たかが暴漢2人を恐れて、御師宿の若女将に護ってもらったとあれば、御役目を辞するか切腹するしかない。
「優子殿に護ってもらわなければならないほど弱虫ではないぞ!」
そう言って筆頭与力は刀を抜いた。
他の与力達も、自分達が置かれている状況を思い出して刀を抜いた。
もう生きて捕らえるなどと言っていられる場合ではなかった。
主人である与力達が刀を抜いたのに、共廻りが逃げる訳にはいかない。
それに、主人が斬る覚悟をしてくれたのなら、刀の事を心配する必要もない。
気兼ねなく斬り殺す事が出来る。
だが与力と供侍の決意は無駄になった。
女子供に護られたとあっては、侍よりも強いと自負している中間の対場がない。
狂気の2人には中間の木刀が殺到した。
殺す気の中間20人以上に木刀で袋叩きにされては、狂気の馬鹿力も役に立たず、手足の骨を全て叩き折られて地面に転がるしかなかった。
幸い中間達に理性が残っていたので、頭を叩く事が無かった。
お陰で生きたまま捕らえる事ができたのだが、取り調べは難航した。
何と言っても2人は狂気に囚われてしまっているのだ。
どのような質問をしても、返ってくるのは優子への理不尽な恨み辛みだけだ。
早々に自白による取り調べを諦めた依田奉行は、証拠と証人を集めて刑罰を決めようとしたのだが、最初に2人の犯行を奉行所に知らせた人間が見つからなかった。
見つからないのは当然の事だった。
知らせたのは富徳の式神なのだから。
決定的な証人が現れないので、物的証拠だけで犯行を証明しなければいけなくなり、依田奉行は頭を痛めるのだった。
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