第22話:主従

 自分の考えに甘さと躊躇が優子を死なせかけたと知った富徳は、得壱のような息子を育ててしまった事も併せて、激しく反省し後悔した。


 とてもではないが、優子が成そうとしている事の手助けなどできない。

 足手纏いや邪魔にしかならないと思った。


「角兵衛、私では優子の邪魔をしてしまうばかりだ。

 本当ならまた隠居して全てを優子に預けたい。

 だがそれでは優子に対する風当たりが強くなり過ぎてしまう。

 だから私は形だけの当主を続けるが、実際の後見は角兵衛に任せたい」


「旦那様、何と情けない事を口にされるのですか。

 お嬢様が頼れる肉親は旦那様だけなのですよ!

 私は単なる奉公人でしかありません。

 私が欲に囚われて、檜垣屋を乗っ取ろうとしたらどうする心算ですか?!

 もっとしっかりして頂かねば、お嬢様の事が心配で暖簾分けをして頂く事もできなくなってしまいます!」


 角兵衛の言う事はもっともだった。

 商家に奉公する者の目標は、主人に認められて暖簾分けしてもらう事なのだ。


 後数年で暖簾分けまで来ている筆頭番頭の角兵衛にとって、長年仕えてきた富徳が情けない事を口にするのも、お嬢様が苦労するのも耐え難い事なのだ。


「角兵衛の言う事はもっともだが、得壱のような者を育ててしまった責任はとらなければいけない」


「責任を取ると申されるのでしたら、お嬢様が頼れる婿をお迎えになるまでは、当主として踏ん張っていただかなければなりません。

 どれほどしっかりしておられるようでも、お嬢様はまだ15歳なのですよ。

 お嬢様を誑かして、檜垣屋を手に入れようとする輩が、これから雲霞のごとく現れるのですよ。

 それを分かっていて、隠居されるとか形だけの当主に成るとか、まるで得壱様のような事を口にするのはお止めください!」


 角兵衛の最後の言葉が止めだった。

 今の自分の言動が甘えでしかない事を、富徳は思い知らされた。

 まして得壱と同じだと言われては、これ以上甘える事などできない。


「分かった、よく分かった、これ以上甘えないようにする。

 ただ、角兵衛にはこれまで通り優子の手助けを頼みたい。

 暖簾分けすれば忙しくなるだろうが、これまで通り手助けしてやってくれ」


「檜垣屋で育てていただいた御恩は、決して忘れるものではありません。

 暖簾分けさせて頂いた後も、お嬢様の手助けをさせていただきます」


 富徳と角兵衛がこんな会話をしなければいけないくらい、得壱が優子を襲った事は、伊勢山田では大問題となっていた。


 父親が子供を襲って殺そうとしたのだ。

 それもお伊勢様の寵愛があると評判の娘をだ。


 実際、お伊勢様の寵愛があるという噂通りに、優子は護られた。

 誰が投げたわけでもない玉砂利が神域から飛んできて得壱を阻む。

 神域から出てきた神鶏が得壱を突き倒して真っ赤な血で染めた。


 最後は門前で勧進していた非人達が袋叩きにして捕まえ、そのまま奉行所に突き出して一件落着したのだった。


 問題があるとすれば、得壱をどのような刑にするかだった。

 その点については、伊勢山田奉行の依田恒信も頭を悩ませていたが、被害者である優子の決断で皆胸を撫でおろす事となった。


「祖父から勘当されたとはいえ、私の実の父親には違いありません。

 その父親が、乱心して多くの人を傷つけるかもしれないのに、見て見ぬふりはできません。

 娘である私には、その悪行を訴え出て裁いていただく責任がございます」


 優子が殺されそうになったと奉行所に訴え出た事で、依田奉行も安心して得壱を裁く事ができた。


 勘当されている身とは言え、優子は得壱の実の娘だ。

 卑属に対する殺人は死罪か遠島だが、それ以前に主人として姦通する妻と奉公人を見逃した罪で死罪相当だったのだ。


 得壱はいくつかの罪が重なって死罪とされた。

 本来なら闕所が付加刑として適応されるのだが、既に勘当されており、奉行所も名主も勘当届けを受理しているので、檜垣屋に類は及ばなかった。


 同じように妻の鈴と巳之助の刑も執行された。

 両者の罪は与力を襲ったという重罪で、磔とされた。

 槍で数十回突かれ、遺体は3日間晒された。


 鈴も優子の実の母親だが、得壱が勘当された時に一緒に勘当されている。

 そもそも得壱の妻なだけで、檜垣屋とは血がつながっていない。

 だから檜垣屋はもちろん優子に類が及ぶ事もなかった。


 だが宮後屋は鈴を勘当していなかった。

 鈴と巳之助の不義密通を黙認していた節もあった。


 奉公人達からは、主人家族が檜垣屋の得壱と離縁させないように、得壱を酒漬けにして乱心させたという証言まであった。


 その上で娘の鈴が与力を襲ったのだ。

 情状酌量の余地など全くなかった。


 宮後屋の家族は死罪とされ、闕所処分となった。

 宮後屋の家屋敷が競売にかけられたが、檜垣屋以外誰も入札しなかった。


 被害者であり、お伊勢様の寵愛を受けている優子と入札で張り合う者などいない。

 宮後屋は最低価格で檜垣屋の物となった。

 奉公者達は職を失うことなく、檜垣屋の系列奉公人となった。


 ★★★★★★


「あ、う、あ、あ、う」


 優子は気丈に振舞っていたが、15歳の少女なのだ。

 両親を磔と死罪にされて、何の衝撃も受けていないはずがない。

 内心では傷つき血の涙を流していた。


 非人達や奉公人達には、そんな傷ついたところをおくびにもださず、気丈に振舞っていたが、あいはお見通しだった。


 式神を通じて心を通わせる事ができるあいは、優子の哀しみと苦しみをわがことのように感じ、心を痛めていた。


 少しでも優子を慰めようと、珍しく自分から優子と床を並べて眠ると言い、眠る前に心を込めた舞を披露した。


「ありがとう、あい、ありがとう、ありがとう」


 他の者の前では決して涙を見せない優子が、あいの前だけは、心をさらけ出して泣く事ができた。


 そんな優子を心配して、優子を慕う妖怪変化や鬼神が寄り添う。

 少しでも優子を慰めようと、あいと一緒に舞いを披露する。


 普段は強面の姿しか見せない前鬼や後鬼、酒吞童子や茨木童子も舞を披露し、少しでも優子を元気づけようとした。


 そんな式神達の思い遣りに触れられた事と、思いっきり泣けた事で、優子の心も徐々に癒されていった。


 済んでしまった両親の事で思い悩む事など許されなかった。

 優子にはやらなければいけない事があったのだ。

 日本中の体の不自由な者を助ける仕組みと作るという夢があったのだ。

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