第15話:妬み嫉み
伊勢山田だけでなく、日本六十余州で評判となっている優子とあいだが、その分極一部の者達からは激しい増悪を買っていた。
2人が手にした評判と財貨妬む者が伊勢山田には多かった。
評判と財貨を奪われた御師の中には恨む者も少なからずいた。
だが、誰よりも優子とあいを増悪していたのは、檜垣屋を追い出された母親の鈴と手代だった巳之助だ。
最初は出会い茶屋で獣欲を満たして発散していた。
今まで忍ぶ恋だったのが、多少は自由に会えるようになったことで、いい憂さ晴らしになっていた。
ところが、優子の評判と力が高まった事で、神罰を恐れた宮後一族から厳しい監視をされる事になった。
嫁ぎ先を追い出されただけでなく、恋路まで邪魔された鈴と巳之助は激しいく逆恨みした。
本来なら、主の妻と姦通した巳之助は、鈴と重ねて斬り殺されても文句は言えないのにだ。
主人の妻でなくても、姦通は男も女も死罪と決まっている。
まして主人の妻との姦通は、 奉行所に訴え出られたら和姦であっても獄門なのに、それを宮後家の顔を立てて里帰りで済ませてもらっているのだ。
最初は檜垣屋の主人得壱を甘く見てうるさく言わなかった宮後一族も、優子の力が強くなると、姦通の協力者が軽くて中追放、重い場合は死罪となるのを思い出し、恐怖に縮み上がった。
巳之助と会う事を禁じられた鈴は、事もあろうに娘の優子を逆恨みした。
鈴と会う事を禁じられ、宮後屋に近づいて半殺しにされた巳之助も、激しく優子を逆恨みした。
優子に復讐しようと宮後屋を飛び出した鈴だったが、血相を変えた両親と兄夫婦に取り押さえられ、激しく打擲された後で蔵に押し込められた。
半狂乱となった鈴は、耳を覆いたくなるような言葉で両親と兄夫婦を罵った。
それだけに止まらず、亭主の得壱と娘の優子の事も罵った。
根も葉もない、聞くに堪えない内容だった。
両親と兄夫婦はその罵りが優子に伝わる事を極度に恐れた。
最初はそれほどでもなかったが、お伊勢様の神罰が優子に逆らった者に下ることが明らかになるに従い、恐怖は増大した。
蔵に閉じ込めた当初は、御師宿宮後屋に奉公する者に世話させていたのだが、万が一にも罵りの内容が外に漏れる事を恐れ、両親か兄夫婦しか世話できないようになっていった。
鈴の狂乱は徐々に激しくなり、見るに耐えない色情狂となっていった。
一方宮後屋の奉公人達に半殺しにされた巳之助の恨みも、その名の通り執念深く忘れられることなく増大していた。
一度で諦める事なく何度も宮後屋に押しかけ、その度に半殺しにされ、死にかけた分だけ逆恨みが増大していった。
曲がりなりにも若年で御師の地位にいた巳之助だ。
呪詛のやり方くらいは心得ていた。
愚かな巳之助は、事もあろうにお伊勢様の神域に入って優子を呪詛しようとしたが、神鶏に突きまわされ命からがら逃げだす事になった。
執念深い巳之助はそれでも諦めなかった。
伊勢中の寺社を巡り、入り込める神域を探し回った。
お伊勢様の国とは言っても、神域とは言えない寺社もあった。
堕落し神々捨ててしまうような寺社もあった。
巳之助はそのような場所を見つけて呪詛をくり返した。
だが神域でもない場所で、神の寵愛など一切ない巳之助が呪詛をくり返した所で、効果が表れるはずもない。
徒労に終わるだけの呪詛をくり返すたびに、巳之助の怨念は高まった。
昂る気持ちのまま宮後屋に忍び込み、鈴と会って思いを遂げようとするのだが、その度に奉公人に見つかり、半殺しにされる。
そのような事をくり返していて噂にならないはずがない。
鈴と巳之助の臭い仲は、もう十分に伊勢中の醜聞となっていたが、そろそろ表沙汰にしない訳には行かない状況になっていた。
★★★★★★
「父上、いい加減決断してください。
おっかさんと巳之助を姦通で訴えるか、離縁するか、2つに1つです」
「どうせ私の言う事など誰も聞かないのだ。
優子の好きにすればいいだろう」
父親に決断を迫る優子に対して、父親の得壱はふてくされたように言い放つ。
御師宿の誰からも慕われず、優子に八つ当たりしているのだ。
だがそれは優子が悪いのではない。
御師宿の亭主らしい事ができず、女房の鈴の尻に敷かれていただけでなく、奉公人と妻が姦通しているのに何も言えずにいた得壱が悪いのだ。
スゥ~
ほとんど音も立てず、忍び込むように先代の富徳が入ってきた。
「私の育て方が悪かったな。
苦労を掛けてすまないな、優子」
「おとっつあん」
「お爺様」
「黙れ、もうお前さんに父親呼ばわりされるいわれはない」
「何を言っているのですか?」
「私はお前さんに厳しく言って聞かせたはずだよ。
亭主らしく、父親らしく振舞えないのなら、黙って隠居していろと!」
「それは聞きましたが……」
「自分から隠居すると言いだしておいて、実際には隠居する素振りも見せない。
気の喰わない事があるたびに、隠居すると言って優子に文句を言う。
お前は檜垣屋に巣食う寄生虫だ!
お前のような屑を育てたばかりか、当主につけた責任取る事にした」
「何を言っているのですか、おとっつあん」
「優子、お奉行所と本家には私の当主復帰を願い出て許された。
悪いがその時に優子の名前を使わせてもらったよ」
「……私が不甲斐ないばかりに、お爺様にお手数をお掛けしてしまいました」
「孫の優子にそんな事を言われたら、このような屑を育てて跡を継がせた私は恥じ入るばかりだよ」
「おとっつあん、何を言っているのか説明してください。
まさか私をどうかしようと言うのですか?!」
「これまであれほど恥知らずな言動をくり返しておいて、檜垣屋の亭主で居続けられえとでも思っていたのかい?!
まあ、これまでの私の情けない言動を思い出せば、屑のお前に舐められるのもしかたがないが、私にだって祖父としての誇りくらいはあるのだよ!」
「まさか、おとっつあんは、私を勘当する気なんですか?」
「勘当する気ではない!
もう勘当した後だ!
本家とお奉行所には申し出て許可していただいたと言っているだ!
今日から檜垣屋の亭主は私だ!
そしてお前の勘当も認められた後だ!」
「申し訳ありません、おとっつあん!
もう絶対におとっつあんには逆らいません!
ですから、どうか勘当だけは許してください!」
「黙れ得壱!
お前はここまできてまだ分かっていないのか!?
檜垣屋の真の亭主はここにいる優子だ!
本家の禰宜もお奉行様も恐れ憚る優子が檜垣屋の亭主だ!
それも認められない愚かで不信心な者を、一刻たりとも檜垣屋に置いていられん!
角兵衛!
ここにいる塵虫を檜垣屋から叩き出しなさい!」
「はい、旦那様。
もう遠慮する気はありません。
お嬢様の邪魔になる者は誰であろうと檜垣屋から追い出さねばなりません。
とっとと叩きだしなさい!」
角兵衛は先代、いや、当主に復帰した富徳に答えると同時に、一緒にやってきた番頭や手代に、得壱を叩きだすように命じた。
「「「「「へい!」」」」」
「待て、待たないか!
私は主人だぞ、私こそ檜垣屋の主人なんだ!
主人に手を出すような者は、檜垣屋を追い出すぞ!」
「ふん、女房を奉公人に寝取られるような男に主人顔される覚えはない」
「姦通されただけなら同情もするが、文句1つ言えない憶病者に主人顔されてもね」
「お伊勢様に寵愛されているお嬢様に逆らうなんて、父親であろうと許されません」
得壱は散々に言われて檜垣屋から追い出された。
流石に殴られたり蹴られたりするような事はないが、口汚く罵られた。
金目の物は何1つもたされることなく、着の身着のままで追い出された。
最初は隣近所の暇人が集まったが、亭主に復帰した先代が得壱を追い出しただけだと知り、急いで家の中に隠れて戸締りをしてしまった。
ここで野次馬をして、行き場を失った得壱に助けを求められでもしたら、優子に恨まれてしまう恐れがあった。
無理矢理上がり込もうとする得壱に暴力を振るっても優子に恨まれるし、下手に助けて何かあれば、それこそ天罰が下るかもしれない。
後難を恐れるなら、無視する以外なかった。
誰にも相手にされず、行く当てもなくなった得壱は、まだ離縁していない鈴がいる宮後屋の方に歩いて行った。
その心の中には、父親である富徳と、娘である優子に対する逆恨みの心が激しく渦巻いていた。
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