第14話:歓喜
あいは自由に動ける喜びに打ち震えていた。
これまでは、座たり寝たりした後で立ち上がる事すら至難の業だった。
それが今では、思い通りに身体を動かせるのだ。
もっとも、あい自身には分からない事だが、健常者とまったく同じように動けているわけではなかった、
全てはあいを好いてくれている付喪神が手助けしているから動けるのだ。
だから、必ず動作が少し遅れるのだ。
あいが体を動かそうとしてから、付喪神達が手を添えて助けてくれる。
補助付きで動いている形になっている。
だから、練達の芸達者から見れば、あいの巫女舞は未熟だ。
何事にも一呼吸遅れてしまう技だけを見れば、罵倒を浴びせる代物だ。
しかし、芸に厳しい先達もあいには何も言えない。
あいの巫女舞には、ただの芸達者には絶対に真似できない神々しさがあった。
誰が見ても見間違えようのない神々しさがあった。
あいを支える付喪神達がいる。
あいの巫女舞に魅かれて一緒に踊る眷属神や神使がいる。
あい達の巫女舞を鑑賞する主神級の神々までいるのだ。
人ごときが文句を言える芸ではない。
少なくとも神職を兼ねる巫女舞や神楽の踊り手が文句を口にできる物ではない。
あいは何かに憑かれたように休むことなく踊る。
実際付喪神に憑かれているのだが、彼らにあいを苦しめる心算などない。
単に自由に動けるようになったあいが休む事を忘れているだけだ。
「あい、もうそれくらいにしておきなさい。
これ以上続けたら、体が持たないぞ」
非人頭があいにつけた指導役が言葉をかける。
耳の聞こえないあいに直接伝わるわけではないが、指導役があいの前まで行って、身振り手振りで言いたい事を伝える。
無我の境地にいるあいには伝わらなくても、あいの周りにいる眷属神や神使はもちろん、あいの補助をしている付喪神には伝わる。
彼らにもあいの体に負担がかかっている事くらいは分かる。
付喪神達が手助けしなければ、あいは自由に動く事ができない。
彼らが支えなければ、あいはその場に倒れ込んでしまう。
あいに魅かれて手助けしている付喪神達がそのような乱暴をする訳がない。
ただ動く手助けを止めるだけで、支える事まで止める訳ではない。
動き過ぎてその場に倒れ込みそうになるあいを支える。
あいの巫女舞は伊勢中の御師宿で評判になった。
あいが舞う巫女舞は、余りの神々しさに観賞していた檀家衆の心を鷲掴みにし、故郷に戻って話さずにはいられないほどだった。
特に、神楽舞台に上がるまでと降りてからの不自由な動作と見比べれば、その奇跡は誰の目にも明らかだった。
だがあいの評判が高まれば高まるほど、問題も大きくなる。
これまで西国巡礼や恐山に送られていた体の不自由な者までが、お伊勢様の奇跡を信じる家族によって、お伊勢様に送られるようになってしまった。
外宮内宮の両非人組の利益が、これまでの10倍以上になったとしても、その全てを受け入れるのはとても困難な事だった。
誰が流した噂かは分からないが、ある不自由な症状の者達を舟に乗せれば大漁になると言う噂があった。
そんな者達は、漁村に流れついていたが、今ではお伊勢様を目指している。
各街道筋の篤志家だけでなく、お伊勢様の講に入っている者達も、柄杓を持った者達に支援をした。
特に体の不自由な者に、自分達の食を減らしてでも支援した。
だが中には悪い者もいて、無料で伊勢旅行としようとする奴もいて、信心もないのに柄杓を手に伊勢を目指す者もいた。
そんな者は伊勢乞食と呼ばれ忌み嫌われた。
★★★★★★
「角兵衛さん、体の不自由な者たちの受け入れはどうなっていますか?」
「収入が増えたので、資金的な問題はありませんが、舞台や座敷に上がる者や、大道で芸をする者がお世話しなければいけなくなっております。
このままでは非人達の負担と不満が増え過ぎてしまいます」
「芸の負担になってしまっては、養うための収入にまで影響が出てしまいますね。
それに、身綺麗にできなくなってはいけません」
「はい、お嬢さん」
「舞台や座敷に上がれるような者達には、生活費を稼ぐ事に専念してもらいます」
「はい、お嬢さん」
「辻勧進しかできない体の不自由な者達は、互いの不自由を助け合うようにしてもらいましょう」
「はい、お嬢さん」
「大道での芸しかできない者達には、体の不自由な者達だけでは補いきれない事を、手助けするように命じてください」
「はい、お嬢さん」
「不満を感じる者もいるかもしれませんが、それが、衆生を救済しようとなされているお伊勢様の意思だと厳しく伝えてください」
「不満など言わせません。
今の生活ができるのも、お嬢さんのお陰なのです。
大恩あるお嬢様の指示に従わないような者は、お伊勢様から追放すてやります!」
角兵衛は気を付けてこれまで通りお嬢さんと言っていたが、思わずお嬢様という言いう方をしてしまった。
優子が少しでもこれまで通り過ごせるようにと、つい表にでそうになる、心からの尊敬の言葉を口にしてしまった。
「そんなに事を荒立てなくても大丈夫ですよ、角兵衛さん。
不満を持っているように感じたら、あいの話をしてやればいいのです。
お伊勢様の意思に従い、衆生を救済する手伝いをする者には、お伊勢様の加護があると伝えるのです。
実際お伊勢様の意思に従う者には、神々しい力が宿ります。
少々芸が拙くても、他人に訴える力が宿ります。
そのように伝えれば、不満も和らぐでしょう」
「お嬢様がそのように申されるのでしたら、お伊勢様の御意志を前面にして教え諭しますが、私はそのように優しくする必要などないと思っています。
今の生活があるのは、全てお嬢様のお陰なのです!
それを忘れて、お嬢様に不満を持つような者など、さっさと伊勢から追放してしまえばいいのです!」
「ふっふふふふふ、角兵衛さんがそこまで怒るのは珍しいですね」
「当然の事でございます。
恩知らずを許していては、お嬢様の指示に従っている者に示しがつきません」
「角兵衛さんが憎まれ役を引き受けてくれなくても大丈夫ですよ。
一時的な気の迷いで文句を言っている者は、直ぐに心を入れ替えてくれます。
救いようのない心が汚い者は、お伊勢様が追い出してくれますから」
優子の言う通りだった。
角兵衛が優子の指示に従って優しく言って聞かせたにもかかわらず、陰で体の不自由な者達の悪口を言っていた者には天罰が下った。
何も禰宜達のように血を吐いたわけではない。
神鶏に襲われたわけでもない。
ただ毎日悪夢に悩まされただけだ。
悪夢をみるようになって、心を入れ替えた者は、もう悪夢に悩まされなくなる。
だが、反省もせず悪口陰口を続ける者には、徐々に見る悪夢が激しくなり、時に心臓が刺し貫かれるような激痛を感じる。
そこまで追い詰められて心を入れられた者も、許される。
だが、心を入れ替えるどころか、体の不自由な新参の悪口陰口だけでなく、優子やあいの悪口陰口を言うようになるものもいた。
そんな者には情け容赦なく天罰が下った。
いや、伊勢山田の人間は皆天罰が下ったと思っただけだ。
実際に何が起こったのかは誰にもわからないからだ。
優子やあいの悪口陰口を口にした者は、ある日突然消えていなくなるのだ。
ついさっきまで、直ぐ側で耳覆いたくなるような悪口陰口を言っていた者が、不意に消えていなくなってしまうのだ。
まさに神隠しとしか言えない状況、忽然といなくなった。
誰もが優子とあいを畏れた。
お伊勢様の寵愛を受けた者だと心から信じた。
だから、優子の指図に逆らう者はいなくなった。
体の不自由な者を手助けする事は絶対となった。
お伊勢様の御意志に逆らう事などあってはならない事だった。
優子は自分が畏れられている事を甘んじて受け入れた。
体の不自由な者達を助けるためには仕方のない事だと諦めていた。
だが畏れられている分、言葉も態度も気を付けなければいけなくなった。
自分の意思とは違った結果にならないように、細心の注意を払った。
まだ若いのに、思いのままに振舞えなくなってしまった。
そんな優子の心の安らぎは、あいだった。
あいの巫女舞を見る時だけが、気を使わずにいられた。
眷属神や神使はもちろん、魑魅魍魎までもが喜び舞う姿に心癒された。
一方のあいも、自分が遠巻きにされている事には気がついていた。
だが、体が不自由に生まれついたあいは、避けられる事に慣れていた。
悪口陰口を言われる事にも慣れていた。
実際には畏れられているのであって、単に悪口陰口を言われているわけではない。
だがそんな事はあいには分からない。
また昔に戻っただけだと諦観していた。
いや、昔に戻ったわけではない。
今のあいは、神楽舞台の上なら天使のように舞えるのだ。
自由自在に動き舞う事ができるのだ。
それに、以前と変わらずに接してくれる優子がいた。
いや、優子とは以前よりも遥かに近くなっていた。
あいは巫女舞を踊れるようになり、神職の位を手に入れていたのだ。
同性の神職である優子とあいは、同じ部屋に床を並べて眠る事ができる。
神懸かった巫女舞が舞えるあいは、優子と並び立つ存在になり始めていた。
性根の腐った者は、その状況を利用しようとしていた。
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