第11話:神憑り

「檀家の皆様方、今日は伊勢神楽の方々の予約が一杯で、急な対応ができなくなっております。

 ただ、非人達が行う物真似や仕形能などなら、今からでも御用意できますが、いかがなさいますか?」


「非人達の芸を伝統ある御師宿の神楽舞台でやると言うのか?」


「はい、みな檜垣屋の若女将が太鼓判を押した芸達者でございます。

 代々お伊勢様の門前で勧進を続けていた者達でございます。

 田舎芝居の芸とは一線を画しております。

 いえ、神聖さにおいては、江戸三座も凌駕しております」


 檜垣屋の若女将、優子に系列御師宿を任されている番頭が自信を持って言い切る。

 元は別の亭主に仕えていたが、優子が派遣した檜垣屋の番頭に鍛えられ、時に檜垣屋に見学修行に赴き、優子の心酔しきっている者だ。


「ほう、そこまで言うのなら試してやろうじゃないか。

 お前さんが言うほど神聖な芸なら、祝儀をはずんでやるよ」


 金で無理矢理檜垣屋に泊まろうとした下種な金持ちが言う。

 前の亭主の檀家ではあったが、信心など全くない金の亡者だ。

 伊勢講に入っていたのも商売に理由するためだった。


 だが、江戸で名の知れた商人が許可した事で他の檀家も納得した。

 神楽を見る為に日程を調整していた檀家や連泊する檀家以外は、非人達が行う芸を鑑賞する事になった。


 何故非人達が檜垣屋系列の御師宿で芸を披露しているのか?

 それはまだ非人達が内宮門前で勧進が行えないからだ。


 非人頭と浪士が藤波禰宜を告発してから二十日が過ぎていた。

 だがまだ取り調べが行われている最中で、白黒ついていない。

 藤波禰宜を告発した非人頭の配下が内宮門前で勧進を出来る状況ではないのだ。


 いや、藤波禰宜が罪を認めれば許可されるだろう。

 他の禰宜達が多数決で認めても許可されるだろう。

 だが禰宜全員が血を吐いて倒れたままでは、何も決められない。


 何もせずにこの状況が続けば、非人達は飢えて死ぬしかなかっただろう。

 だが、最初からこうなる事を知っていたかのように、優子は非人頭が伊勢山田奉行所に告発した日から残された非人達を御師宿で使っていた。


 まず非人達の身だしなみを徹底的に改めさせた。

 御師宿で働くのに相応しい清潔な服装と身体に保たせた。


 身だしなみが改まったら、次に掃除洗濯をさせた。

 表に出なくてすむ裏方の仕事をさせた。

 芸の拙い者でも働けるようにした。


 次に芸のできる者の技術を確かめた。

 大道芸でやらせるのか、それとも神楽舞台に立たせられるのか、確かめた。

 優子に芸を認められた者だけが、神楽舞台での練習が許された。


 そんな芸達者が披露するのである。

 よほどの遊び人でなければ感嘆の声を上げる。


 いや、どれほどの遊び人であろうと、心を鷲掴みにされる。

 何故なら、多くの付喪神が一緒に踊り楽しむ神々しい舞台になるからだ。


 今回も多くの者が心から感動したり楽しんだりしていた。

 だが、中には神々しさを感じる事のできない邪悪な心を持つ者もいる。

 檀家に相応しくない、邪悪な理由で伊勢に来ている者には分からないのだ。


「まったく、何処が江戸三座に負けない神々しい芸だと言うんだい?

 よくこんな下手な芸を見せてくれたね!

 こんな芸に鐚一文渡せないよ!

 むしろ下手な芸を無理矢理見させられた賠償をしてもらいたいくらいだね」


「それは、それは、凄い事になりましたね、檀家殿。

 この芸を観て下手だと思われたのでしたら、お伊勢様で特別な歓迎を受けられますが、いかがなされますか?」


「はぁあ、お伊勢様で特別な歓迎だって?

 何っているんだい、お前さんわ!」


「手前はこれでもお伊勢様の御師を務めさせていただいております。

 お伊勢様が認められた芸の神々しさを感じられた方と、感じられなかった方が、どのような歓迎を受けられるのかよく存じています」


「ふん、お前さん、私を挑発しているのかね?」


「挑発など、とんでもない事でございます。

 ただ、何も知らないでお伊勢様に参られた時に、万が一の事があってはならないと心配しているのでございます」


「ふん!

 そこまで言うのなら、確かめさせてもらいますよ。

 ですが、この品のない芸と同じように、私の大切な時間を無駄にさせるようなら、ただでは置きませんよ!」


「その心配だけは絶対に有りませんので、ご安心ください。

 お連れの方々は腕が立たれるようですが、気を付けてくださいね。

 その腕が逆に禍を呼ぶ事もございますから」


 江戸から来た商人には護衛がついていたのだ。

 あくどい商売を行っている商人を恨んでいる者も多い。

 そこで用心棒の浪士や博徒を連れてのお伊勢参りだったのだ。


 そもそもこのお伊勢参りも、あくどい商売一環だった。

 お伊勢参りをするほど信心深い商人と言う評判を作り、そのうえで小商いをしている者達を騙そうとしていたのだ。


 この日、御師宿長谷屋に泊まっていた参拝客の大半がお伊勢様を参った。

 因業そうな商人と番頭の言い争いを聞き、おもしろそうだと思ったからだ。

 人の心とは浅ましく度し難いものだ。


 悪徳商人は声高に文句を言いながらお伊勢様に向かった。

 用心棒達は周囲に殺気を放って警戒している。


 物見高い連中が何事かと集まってくる。

 中には後を付けてお伊勢様に行く奴までいる。

 よくいる野次馬と呼ばれる連中だ。


 一方の番頭は落ち着いた者である。

 檜垣屋で見学させてもらった時に、優子の力は嫌と言うほど思い知っている。

 自分の御師宿でも非人が行う芸を何度も観賞している。


 事はお伊勢様の神域に入ってしばらくして起った。

 悪徳商人が何も起こらない事に苛立ち、番頭を脅かしたからだ。


「おい、ここまで辛抱してやったが、もう我慢ならん。

 何時まで経っても何も起こらないぞ。

 今直ぐこの場で土下座して謝れ!

 宿賃をただにして、詫び料として百両支払え。

 さもないと、その腕叩き斬らせるぞ!」


「「「「「キャアアアアア!」」」」」


 神域の神聖な静寂を引き裂くような悲鳴が木霊した。

 だがそれは、悪徳商人が番頭を脅したからではなかった。

 参道左右の林の中から、殺気を放つ神鶏が現れたからだ。


「なんだ、なんだ、なんだ、なにが起こったのだ?!」


「お伊勢様が認められた芸を貶め、神域内で暴力を振るおうとした者を、御使いである神鶏様がお許しになるわけがないでしょう。

 素直に神罰を受けて心を入れ替えられる事です」


「何が神罰だ?!

 この世に神も仏もあるものか!

 さっさと追い払ってしまえ!」


 そう命じられた用心棒達は、事もあろうに刀を抜いて神鶏を追い払おうとした。

 

「「「「「キャアアアアア!」」」」」


 目の前で刀を抜かれた事で、同行していた御婦人達が恐慌状態となった。

 その悲鳴は外宮神域全ての木霊するほど大きなものだった。


 用心棒達も、最初は神鶏を殺す気などなかった。

 人殺しも平気で行う連中だが、流石にお伊勢様の神鶏を人前で殺したらただでは済まない事くらいは理解していた。


 だが、幾ら追い払おうとしても無駄だった。

 無駄どころか、凄まじい痛みを伴う反撃がくり返されるのだ。

 嘴で激しく突かれて全身から血が噴き出すほどだった。


「ギャアアアアア、痛い、痛い、何をやっている?!

 お前達には大金を払っているのだぞ!

 鶏くらいさっさと叩き斬ってしまえ!」


 悪徳商人も身体中を突かれ服が血に染まっていた。

 目を狙われた事で、両腕で目を守らなければならず、何も見る事ができない状態になっていた。


 それは用心棒達もおなじだった。

 左腕で目を庇い、右腕の刀を振り回して神鶏を近づけないようにするので精一杯で、とても廻りを見ていられる状態ではなかった。


「お前ら何をやっている!

 ここを神聖なお伊勢様の神域を知っての事か?!

 お伊勢様の神域で、御使いの神鶏様を殺すと死刑だと知っての事か?!

 これ以上刀を振り回したら、お伊勢様の宮侍としてお前達を斬る!」


「お待ちください!

 私達は何も悪くありません!

 鶏が襲ってきたので、仕方なく追い払おうとしていただけです!」


「愚か者!

 お伊勢様の神鶏が何の理由もなく人を襲ったりしない!

 その証拠に、他の人達を襲っていない。

 襲われているのはお前達だけだ!

 お前達がお伊勢様の怒りに触れるような事をしたから襲われているのだ!

 宮侍として絶対に許せぬ。

 宮の連行して徹底的に調べてやる!」


「待って頂きましょう。

 幾らご神域で行われたこととはいえ、取り調べは奉行所の管轄です。

 その者達は私達が捕らえて調べます。

 貴方様はどうぞお引き取り願います」


 長谷屋の番頭が山田奉行所に知らせを送っていたのだ。

 それでなくても問題が多過ぎて頭の痛い奉行所だが、支配地の御師宿から助けを求められた無視するわけにもいかず、同心と捕り方を連れてやってきたのだ。


「与力殿、本気で言っておられるのですか?

 だとしたら、お奉行様も命知らずですね。

 神域で神鶏を襲っている者を奪えば、与力殿だけでなく、お奉行様も神罰を受ける事になるかもしれないのですよ?

 それでもいい、お奉行様などどうなってもいい。

 与力殿はそう思われているのですか?」


 お伊勢様の宮侍と伊勢山田奉行所の与力は睨み合ったまま動かなくなった。

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