第12話:苦慮

 お伊勢様の外宮と伊勢山田奉行所の面目をかけた、下手人を誰が取り調べ罰を与えるのかという争いは、奉行所に軍配が上がった。


 理由は長谷屋が山田奉行所に助けを求めた事と、檜垣屋の優子に罰を与えようとした禰宜が外宮にもいた事だった。


 だが、外宮の宮侍にも意地があった。

 このまま黙って奉行所の好きにさせる訳にはいかなかった。

 

 なんと言っても今回の下手人は宮侍の目の前で神鶏を斬り殺そうとしたのだ。

 軽い罪ですまされたら、お伊勢様の威厳が地に落ちてしまう。


 今は内宮の権威が落ちて外宮が優位に立っているが、ここで神鶏を斬ろうとした者を軽微な罪ですまされてしまったら、逆転されてしまう。


 そこで宮侍は檜垣禰宜に相談した。

 問題の根幹に檜垣屋の若女将優子がいる。

 本家の檜垣禰宜に圧力をかけてもらおうとしたのだ。


 檜垣禰宜は苦慮した。

 優子に下手な事を言って嫌われたら、今度は自分が天罰を喰らうかもしれない。

 そこで優子には何も言わず、禰宜としてやれる事をした。


 山田奉行所など相手にせず、朝廷と幕府に訴え出たのだ。

 お伊勢様の神域で神鶏を斬り殺そうとした者を捕らえようとしたが、山田奉行所の与力達に奪われてしまったと訴えたのだ。


 しかも、相手は江戸の大商人で、奉行や与力に賄賂を贈って大罪を誤魔化そうとしているとまでいい、もしそのような事があれば、御上や将軍家にまで天罰が下る恐れがあると訴え出たのだ。


 僅かに配慮があったのは、朝廷と幕府に訴え出た事を山田奉行所に知らせ、愚かなお裁きをしないように通告した事だ。


 ただ、知らせたのは山田奉行所の為ではなかった。

 卑劣な事をしたら、天罰が下るかもしれないと思ったからだ。

 この一時だけでも、天罰が下ったと言う噂の効果があった。


「お奉行、どうなされますか?」


「どうするもこうするもない。

 過去の判例に従って裁くだけだ」


「しかしながら、外宮は春日大社の神鹿と同じ扱いをしろと言ってきています。

 いえ、朝廷と幕府にもそのように訴えております。

 神鶏を蔑ろにして御上と将軍家に神罰が下っても、それはお伊勢様の正統の裁きであって、全ての責任は山田奉行所にあると言っています」


「おのれ、卑怯な真似をしおって!」


「申し訳ありません。

 あの時私が引いておけば、お奉行に迷惑を掛ける事はなかったのですが……」


「お前の責任ではない、気にするな。

 全てはご神域で刀を振り回した馬鹿のせいだ!

 私が奉行でなければ、理由を付けて無礼討ちにしてやるものを!」


「忌々しい事ではございますが、外宮の連中が言うように、お伊勢様の神鶏を春日大社の神鹿と同じ扱いをいたしますか?」


「馬鹿者、そのような事をしたら、全ての寺社が御使いを神鹿と同じ扱いにしろと言いだして、収拾がつかなくなるわ!

 それにもう今では春日大社の鹿も特別扱いはしておらん」


「……江戸にお伺いを立てなければいけませんが、お伊勢様と東照宮だけは別格と言う事にしては如何でしょうか?」


「なに、お伊勢様と東照宮だけは別格にするのか?!」


「はい、春日大社の神鹿が特別扱いされたのは、興福寺の僧兵が力を持っていたからで、今ではそのような力はありません。

 今更昔のように戻す必要などありません。

 それよりは、幕府が式年遷宮を仕切っている、朝廷と密接な関係にあるお伊勢様を持ち上げ、東照宮を同格とするのです」


「……妙案に聞こえるが、問題は幕閣が東照宮をお伊勢様と同格と言われて不愉快に思われないかだな……」


「その恐れがございましたか!」


「まあ、何もしないよりはいい。

 その線でお伺いを立ててみよう。

 ただ、そうなると、あの腐れ商人の罪科を決めておいた方がいいな」


「はい、神鶏を特別扱いにした場合、どのような刑罰を与えるかもお伺いを立てておく方がいいと思われます」


「神鶏を人扱いにするとなれば、どのような罪にすべきか?

 いや、東照宮を基準に考えれば、東照大権現様にお仕えしている者を斬ろうとしたのと同じだから、商人が武士を斬ろうとしたのと同じ扱いか?」


「東照大権現様の御使いと考えれば、役料五百石、役高千石、布衣格の使番様と同じになりますから、無礼討ちの対象になるのではありませんか?」


「とはいえ、幾ら何でも鶏に無礼討ちしろとは言えまい」


「では、上意討ちを可能としてはいかがですか?

 元々宮侍達が自分達に任せろと言っていたのです。

 返り討ちになるなら、それはそれで面白いではありませんか?」


「馬鹿者!

 そんな前例を作ってしまって、日光東照宮や久能山東照宮で何かあった場合、上意討ちに失敗したら幕府の威信が地に落ちるぞ!」


「あ、申し訳ございません。

 その事は失念しておりました。

 しかしながらお奉行、その心配は無用なのではないでしょうか。

 幕府が面目にかけて、討ち取るまで腕利きを送るのではありませんか?」


「……確かに、幕府は面目にかけて刺客を放ち続けるであろうな。

 幕領にある東照宮に何かあれば、番方が名を売る機会と張り切るな」


「はい、大名家にある東照宮で何かあり、上意討ちに失敗するようなら、改易の対象になりかねません。

 藩の威信にかけて、地の果てまで追いかけて討ち果たしてくれる事でしょう」


「だがそうなると、宮侍が討ち漏らしたり返り討ちになったりした時の事も考えておかねばなるまいな」


「それは、奉行所にお鉢が回ってくると言う事ですか?」


「当然であろう。

 伊勢山田を支配しているのは我らだぞ。

 それでなくても、それを言い立ててあの腐れ商人を引っ張ってきたのだ」


「そうなりますと、最初から我らが上意討ちをしなければいけなくなります。

 あの商人の用心棒共はかなりの腕前です」


「奉行所の者では返り討ちになるか?」


「情けない事ではありますが、必ず勝てるとは断言できません」


「腕利きの助っ人を探さなければいけないか?

 情けない話だな」


「申し訳ございません」


「時がない、急いで探しだぜ!」


「御意!」


 朝廷と幕府を巻き込んだ大騒動は、それぞれの思惑もあり、檜垣屋の優子が望んでいた事の斜め上の結果となった。


 お伊勢様と東照宮は寺社の中でも別格となり、御使いを傷つけたり殺したりした者は、宮侍や幕府の役人に手討ちにされると決まった。


 今回の大騒動の原因となった商人と用心棒も上意討ちの対象となるのだが、今回は既に捕らえられている。

 そこで尊属への傷害と同じ扱いで罰せられる事になった。


 幕府の判例で尊属への傷害は死罪となっている。

 だが、相手はただの尊属ではなく、東照神君に仕える御使いへの傷害だ。

 市中引廻しの上で磔、死罪と決まった。


 しかも本人達を処刑しただけではすまない。

 死罪付加刑として闕所となり、全ての財産が没収された。

 縁座処分として、妻子が八丈島への遠島となった。


 中国刑罰の影響を受けて取り入れられた連座と縁座だが、日本にはなじまず、幕府はよほどの重罪でなければ行わなくなっていた。

 主殺しと親殺しの子供にしか適用されなくなっていた。


 だが、今回は神となった徳川家康に仕える御使いを害するのと同じ扱いだった。

 連座や縁座を厳しく適用するしかなかった。

 悪徳商人と用心棒達は、伊勢山田と江戸の二カ所で市中引廻しとなった。


 ★★★★★★


「若女将、内宮の御師宿からも座敷に来て欲しいという依頼が来ております」


「頭、申し訳ないけれど、内宮の依頼は全部断ってくれる?」


「はい、よろこんで。

 内宮の連中から若女将を殺すように命じられた私達を、こうして使ってくださっている御恩を忘れる事はありません。

 私が奉行所に入れられている間も、配下の者達が飢えないように仕事を与えてくださいました。

 それも、伊勢神楽と同じ舞台に立たせていただきました。

 これほどの恩を受けた事はありません。

 どのような事でも命じられた通りにさせて頂きます」


「そんな堅苦しい事を言わなくてもいいのですよ。

 それに、内宮の人達が、頭達を正当に扱ってくれるのなら、喜んで引き受けてもらうのですが、そうではないのです」


「それは?」


「伊勢神楽にも引けを取らない芸として呼んでいるのではなく、金儲けのための際物として呼んでいるだけなのです。

 だから、私としては、誇りを持って断って欲しいのです」


「ありがとうございます!

 若女将に評価して頂いた芸を卑しめないように、断らせていただきます」


「相手が内宮の御師宿だから断ってもらったわけではありません。

 外宮の御師宿でも、頭達を卑しめるような宿には行ってもらいません。

 私の目が黒いうちは、頭達の芸に敬意を払う宿にしか行ってもらいません」


「はい、ありがとうございます」


「檜垣屋の系列外も含めて、32の御師宿で芸を披露してもらわなければいけませんから、それだけでも十分な収入があると思います」


「はい、ありがとうございます」


「頭はこれまでも、お伊勢様に身を委ねさせられた体の不自由な者達を、配下に加えて助けて来られました。

 これからも同じように助けてあげてくださいね。

 私もできる限りの支援をさせていただきます。

 それが、私達がお仕えしているお伊勢様の意志なのです」


「はい、お任せください。

 私の力の及ぶ限り、体の不自由な者達を助けさせていただきます」

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