第10話:告発

 神なら自分で何でもできるだろう、などと言ってはいけない。

 神ほど身勝手で人の心を推し量らない者はいない。


 そもそも神のような強大な存在に力加減を期待する方がおかしい。

 神が介入する時は、人を絶滅させるほどの影響があると思った方がいい。


 だから、比較的力の弱い眷属神や神使にやらせるのだ。

 しかし、その神使も神で、人間の微妙な心の機微には疎い。


 つまり、眷属神や神使も色々と大きな失敗をしてしまったのだ。

 だから基本神は人の世に介入する事はない。


 だが、介入はしなくても人のやっている事は全てお見通しだ。

 神を利用して悪事を働く者には途轍もない怒りを感じているのだ。


 優子に色々と諭された非人頭と浪士は、その日の内に伊勢山田奉行所に訴え出た。

 内宮禰宜の藤波に檜垣屋の優子を殺すように命じられたと。


 伊勢山田奉行の依田恒信は苦慮していた。

 江戸で非人が罪を犯した場合は非人頭が裁く。

 非人頭が罪を犯した場合は穢多頭が裁く。


 だがここは江戸ではなく伊勢山田だ。

 しかも非人頭が告発しているのは伊勢神宮の内宮禰宜だ。

 山田奉行の管轄ではあるが、とても慎重に扱わなければいけない案件だ。


「お奉行、大変なことが分かりました!」


「何事だ?」


 配下の与力に藤波禰宜の事を探らせていた依田だったが、調べさせていた与力が大声を出して戻ってきた事で、重大な事態になっていると理解した。


 責任を感じて自死してくれていたら楽なのに、と無責任な事を考えてしまうくらい、この件に関しては頭を痛めていた。


「藤波禰宜が血を吐いて寝込んでおられるそうです!」


「藤波もか?!」


「はい、頭もあげられないくらい重い病だそうです!」


「色々な噂が広まっているようだな」


 依田恒信も奉行を任されるほど優秀な男だ。

 普段から情報収集を行っている。

 だから、檜垣屋の優子の事も、一連の神罰騒動の事も知っていた。


「はい、神を蔑ろにした者に神罰が下っていると噂されています。

 しかしながら、お伊勢様に仕える禰宜ともあろう者が、祟られたとか神罰を受けたとかは、口が裂けても言えないでしょうが。

 内宮はもちろん、一族内でも厳しく口止めされているようです」


「だがそのような事で誤魔化せる状況ではないだろう。

 あれだけの事が起こった後だ。

 本当に病気であっても、神罰だと思われる」


「はい、内宮では、次は誰に神罰が下されるのか戦々恐々としております。

 外宮では、内宮に対する敵対心が高まっております。

 ここで下手に内宮を庇う裁きをなされますと、江戸に直訴されてしまうか、朝廷に訴えられてしまうかもしれません」


「江戸と朝廷に直訴か……

 外宮の檜垣家がその気になれば、やれない事ではないな」


「はい、それでなくても外宮と内宮は敵対しています。

 お伊勢様の寵愛を受けている者に刺客を送られては、黙っている訳がありません。

 それに、お奉行に神罰が下るような事があれば……」


「黙れ、奉行所が怪力乱神を語ってはならぬ!」


「しかしながら、先ほど……」


「さっきのは気の迷いだ!

 それに、個人の考えと奉行の公式な裁きはまったく別だ!」


「はっ、申し訳ございません、愚かな事を口にいたしました」


 依田恒信も配下が言いたいことは分かっていた。

 調べさせた内容は、どう考えても神がかりとしか思えない。


 優子が敵対していた禰宜や御師達に毒を飲ませられる状況ではなかった。

 まして神鶏を自由自在に操るなんて出来る訳がないのだ。


「外宮を中心に証拠と証人を集めろ。

 内宮の者達には一切気取られるな」


「はい!」


 伊勢山田奉行所は総力を挙げて藤波禰宜が優子殺害を命じた証拠を集めようとしたが、言った言わないの問題で証拠をつかむ事は事実上不可能だった。


 藤波禰宜も証拠を残さないように言葉でしか命令をしていない。

 結局は、どちらの証言を信用するかの問題でしかない。


 奉行として、内宮の禰宜である藤波を信じるか、非人頭を信じるか、と問われれば、藤波禰宜を信じるのが普通だった。


 だが、そう簡単に行かないのが内宮と外宮の対立だ。

 非人頭と浪士の告発を一方的に退ければ、外宮が強硬手段に出てくる。


 ★★★★★★


 非人頭と浪士が伊勢山田奉行所に訴え出てから七日が過ぎていた。

 その間奉行所は必死で証拠と証人を集めていたが、間接的な証人は集まるものの、優子暗殺依頼の場にいたという者は現れなかった。


 このままでは、裁きを行ったとしても外宮の者達が激高する結果にしかならない。

 だが、このまま時間だけをかけても状況がよくなることはありえない。

 奉行の依田恒信はそう思っていたが、間違いだった。


「お奉行、大変でございます」


 以前と同じように、配下の与力が驚きを隠さずに大声を出してやってきた。


「何事だ?!」


 依田恒信も前回と同じように頭痛を堪えながら大声で問い返した。


「内宮の禰宜が、全員血を吐いて倒れました!」


「はぁあ?!

 何を言っているのだ?!」


「ですから、内宮の禰宜全員が血を吐いて倒れたと申しているのです」


「禰宜全員て、藤波、薗田、中川、荒木田、佐八、井面、世木の全員が血を吐いて倒れたと言うのか?」


「はい、その通りでございます」


「毒を盛られたのか?!」


「それはありません。

 全員がそれぞれ別の場所にいる時に血を吐いて倒れました」


「時間をかけて効いてくる毒の可能性もあるぞ」


「お奉行、ご自身が信じていない事を口にされても、誰も信じてくれませんぞ」


「私が信じているか信じていないかではない。

 奉行として、全ての可能性を考えなければいけないのだ」


「その点でしたら、後で効いてくる毒と言う事もありえません。

 全員が毒を盛られる事を恐れていたようです。

 家以外の場所では一切何も口にしないようにしていました。

 禰宜が集まる内宮では特に気を付けていたようでございます」


「外宮の報復を恐れていたと言うのか?」


「あるいは、自分達が優子を毒殺しようとしていたので、同じように毒を盛られると思っていたかです」


「これ、滅多な事を口にするでない」


「お奉行、何の証拠もない風の噂ですが、内宮では江戸、京、大阪の元締めに刺客を依頼したと言う事です」


「何の証拠もない話しはするな。

 いや、後で細かく報告してくれ。

 噂にも馬鹿にできない情報が含まれていることがあるからな」


「はい」


「だが、それより先に血を吐いて倒れた禰宜達の様子だ。

 本当に全く同じ時に倒れたのか、多少でも時間に差があるのか、症状も全く同じなのか、多少でも症状に重い軽いがあるのか、全て調べてくれ」


「それによって何かわかる事があるのでしょうか?」


「噂との比較になるが、非人に暗殺を依頼したのは藤波が単独がやった事なのか、あるいは内宮禰宜全員が加担していた事なのか、確かめなければならない。

 多くの刺客をいると言うのなら、内宮の禰宜がそれぞれ単独で依頼したと言う可能性もある」


「なるほど、時間と症状に差があるのなら、何時暗殺を依頼したのか、本当に殺しを依頼したのか、怪我をさせる事を依頼したのかで差が出ると言われるのですな?」


「全ては調べてみなければ分からない事だし、全く関係ない可能性もある。

 だが、もし関係しているのなら、悪質な依頼をした者ほど、重い症状になっているはずだし、1番最初の依頼した者が最初に血を吐いて倒れているはずだ」

 

「……もしくは、事が露見した順ですか?」


「……そう、だな、その可能性もあるな。

 これまでの事が天罰ではなく、呪いや祟りだったとしたら、報復は優子が知った順に行われる事になる」


「優子を呼び出しますか?」


「どのような容疑で呼び出す心算だ?」


「内宮の禰宜達を呪詛した罪でです」


「前にも言ったであろう。

 奉行所が怪力乱神を語るな!

 そもそもそのような罪で裁く事は不可能だ」


「そうは申されますが、一連の事はとても常の事とは思えません。

 祟りや神罰以外には考えられません」


「そう思った時点で事の真相を確かめるのを止めてしまっているのだ。

 犯人がいるのに取り逃がす事になるのだ。

 絶対に祟りや神罰を口にするな!」


「……はい」


 山田奉行所は改めて内宮禰宜達を調べた。

 何時何処でどのようにして血を吐いて倒れたのか徹底的に調べた。

 調べる理由は、毒を盛られた可能性があると言う理由でだった。


 禰宜達の家族は驚き慌てた。

 このまま調べられたら、倒れた禰宜達が優子を殺すために、外部に暗殺を依頼した事が露見してしまうかもしれないと。


 事情を知っている者達の中で気の弱い者は、奉行所が動き出した事で激しく動揺してしまっていた。

 自分達まで厳罰に処されてしまうかもしれないと、恐れおののいていた。


 それでなくても、内宮の禰宜達が倒れたのは、優子を殺そうとした事で、お伊勢様の怒りを買ってしまったのではないかと恐れていたのだ。


 だが、恐れる者だけではなかった。

 この機会を成り上がる好機と考える者もいたのだ。


 ここで内宮に禰宜達が全員死んでしまったら、自分が次の禰宜に成れるかもしれないと考える者達がいたのだ。


 それも1人や2人ではなかった。

 倒れた禰宜の弟の中にもいれば、本家が連座処分を受ければ、席次が入れ替わる分家の者もいた。


 あるいは、主要な家が全て連座処分になれば、末端に位置する分家であろうと機会があるかもしれないと、無茶な事を考える者までいた。

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