第8話:繁盛と悪意と非人
檜垣屋と系列の御師宿はとても繁盛していた。
好い評判の広がったお焚き上げを毎日やるようになったからだ。
だがお焚き上げに必要な、捨てるような古道具が毎日で出る訳ではない。
だから、檀家さん達にお焚き上げ用の特別な薪を買ってもらうのだ。
焚き上げ木と呼ばれる、御師がお伊勢様に祝詞を唱えながら御祈祷した特別な薪を、更に御祈祷しながらお焚き上げするのだ。
はっきり言って金の生む演出であろう。
直ぐに他の御師宿も取り入れようとした。
いや、御師宿どころか、外宮と内宮の禰宜が取り入れたのだ。
外宮と内宮の禰宜が御祈祷した、特別な炊き上げ用の御神木を使った御祈祷だと言って、参拝客を集めたのだ。
確かに、御師宿に泊まれないような、檀家ではない参拝客には好評で、多少参拝費用に余裕のある者は、禰宜がお伊勢様の境内で行うお焚き上げに参加した。
だが、講に参加している参拝費用も遊興費も余裕がある豊かな檀家は、御師宿と外と内宮の3つのお焚き上げに参加した。
結果、檀家衆は檜垣屋のお焚き上げが一番神気を感じたと言い触らした。
それも当然だろう。
実際檜垣屋のお焚き上げには数百の式神が乱舞しているのだ。
それに比べて、才能の欠片もない禰宜が行うお焚き上げには神が参加していない。
お伊勢様を利権だとしか見ていない禰宜が行うお焚き上げに、お伊勢様はもちろん、眷属神や神使が参加するはずがないのだ。
お伊勢様の寵愛を受けているのは檜垣屋、それも優子だと明らかになった。
これによって外宮の世襲禰宜達の序列が固まってしまった。
大切な檀家の評判の資金力も檜垣一族が飛び抜けてしまったのだ。
だが、素直に頭を下げるほど諦めのいい者ばかりではない。
悪辣非道な手段を使ってでも権力に固執する者が多かった。
それは内宮も同じだった。
外宮に主導権を握られる事に耐えられない者が多い。
まして相手が禰宜ではなく御師でしかないのだ。
それも若い女なのだ。
負けを認めるくらいなら殺してしまおうと考える者が多かった。
「……」
「そうなの、お伊勢様に仕える禰宜ともあろう者が、情けない話しね」
「……」
「駄目よ、殺してはいけないわ。
私はお伊勢様の仕える身なのよ。
そしてお前はそんな私に仕えてくれているのよ。
できる限り殺生はしないで頂戴」
「……」
「ええ、できる限りよ、我慢にも能力にも限度があるわ。
でも、お前の力なら殺すことなく罰を与えられると思っているわ。
この前も殺さずに罰を与えてくれたでしょう」
「……」
「ええ、お願いするわ」
優子は式神から自分に刺客が送られたと報告を受けた。
それも1人2人ではなく、10人以上の依頼人と刺客がいると。
それでも優子はできるだけ殺生を避けようとしていた。
以前の優子なら、躊躇うことなく先手を打って相手を殺していただろう。
だが、あいを助けてからは、できる事なら殺生は避けたいと思っていた。
一生懸命生きるあいの行動が、父親と母親の姿を見てささくれ立っていた優子の心を、名前通り誰にも優しくふるまえるものに変えていた。
★★★★★★
「おい、本当にやるのか?」
江戸の元締めから優子殺しを命じられた刺客が、隠しきれない恐怖をにじませながら、相棒の殺し屋に、殺しの中止を提案する気持ちを込めて聞く。
「……前金を貰っている」
だが相棒には取り付く島もない。
「だけどよう、相手には何かが憑いているぞ。
そうでなければこれほど不運が続くはずがない。
本当ならもうとっくに殺しているはずなのに、まだ尾張にも入れていない」
「俺達人殺しが憑き物を気にしてどうする。
俺達に神も仏も関係ないだろう!」
「だったら、なんでこんなに不運が続くんだよ!
これは明らかな警告だろうが!
これ以上何かやって、祟られるのは御免だぞ!」
「俺達が今まで何人殺してきたと思っているんだ!
今更祟りや天罰を恐れる必要がどこにある?
どうせいつかは地獄に落ちるんだ!」
「俺はまだまだ生きていたいんだ!
もっと浴びるように酒も飲みたけりゃ、腰が抜けるほど女も抱きたい!
地獄に落ちるのはもっと楽しんでからだ!」
「もう十分だろう。
この仕事を受けた時点で、俺達の死は確定していたんだ。
お伊勢様の寵愛を受けている巫女を殺すと口にしたんだからな」
「おい、おい、おい、巫女じゃなく、ただの宿屋の娘だろうが!
何かに憑かれてはいるだろうが、巫女と言うのは大袈裟過ぎるぜ?」
「……お前には何度も言っていただろう。
殺しを依頼を受ける前に相手を徹底的に調べろと。
お前が金に釣られて俺に相談もなくこの殺しを受けたから、俺まで死ぬことになったのだぞ!」
「……俺の何が悪かったんだ?
宿屋の娘じゃないのか?」
「そもそも伊勢山田の宿はお伊勢様に仕える神職が営んでいるんだ。
泊り客は伊勢講の檀家衆だ。
お前は俺に黙ってお伊勢様の巫女を殺す依頼を受けたんだ。
身勝手に俺を巻き込んでおいて、今更ぐずぐず言うな!
俺は江戸を出る時点で死を覚悟していたんだ!」
「そんな、そんな馬鹿な……」
声を抑えた、だが激しい言い争いを終えた2人の刺客は、その後お通夜のように黙り込んでしまった。
達観した兄貴分の刺客は、弟分の刺客が勝手に逃げないように気を張っていた。
いや、生き残れる最後の道として、弟分を殺す算段をしていた。
一方弟分の刺客は、兄貴分刺客と正面から戦って勝てるとは思っていなかったので、どうやって逃げるかを必死で考えていた。
だが、もし兄貴分から逃げられたとしても、殺し屋の元締めが次々と刺客を送ってくるのは明白だった。
何処にまで逃げれば元締めから逃げきれるのかだが、どうしても逃げきれないなら、覚悟を決めてお伊勢様の巫女を殺してしまうか考えていた。
「三之助です、入っていいですか?」
だがそこに、聞き覚えのある声がかけられた。
「おう、入れ」
兄貴分刺客の源蔵が即座に返事をした。
「失礼します」
「何があった?」
源蔵には分かっていた。
一旦仕事を受けた殺し屋に元締めが連絡を付ける事はない。
下手に連絡を付けたら、殺しが失敗している場合、接触した者が捕らえられて白状させられたり、後を付けられたりしたら、元締めにまで危険が及ぶのだ。
刺客が元締めの繋ぎに暗殺が成功したと報告するまでは、絶対に接触しない。
これが元締めと刺客の間で取り交わされている掟だった。
「元締めが血を吐いて倒れられました。
お伊勢様の神罰を受けた者と同じです。
今回の依頼主は、天罰を受けた者です。
このままでは元締めが死ぬことになります。
今回の依頼はなかった事にしてください」
「やったぜ、兄貴!
これで祟りを恐れなくてすむ」
「前金はどうなる。
俺達は神罰に耐えてここまで来たのだぞ。
今更返せと言われても返さないぞ」
「分かっています。
今回の件は我々の方の都合で中止してもらうのです。
渡した前金はそのままお受け取り下さい。
ただ、今後の事もありますので、どのような神罰を受けられたの、後学のために教えていただきたいのです」
「分かった、前金の50両を貰うのだ。
それくらいの事はやらせてもらおう」
10人以上の刺客が優子の命を狙ったが、そのほとんどが伊勢山田に入る前に優子を殺す事を諦めていた。
暗殺を依頼した者と暗殺を受けた元締めが、全員どす黒い血を吐いて倒れたから。
暗殺を依頼した者も、暗殺を引き受ける前に優子の事を調べた元締め達も、優子に敵対した禰宜や御師達が受けた神罰を思い出し、即座に恐怖し後悔したからだ。
だが、1人だけ神罰を受けなかった者がいる。
それは、内宮に仕える非人頭だった。
非人頭は、内宮禰宜から許しを受けてお伊勢様の門前で乞胸と勧進をやっていた。
乞胸と勧進は、非人だけが許されている芸や物乞いだった。
『強胸と勧進』
1:竹に房をつけて器用に投げとり客に見せる綾取り。
2:顔を赤く染めて独り芝居を客に見せる猿若。
3:二人で三河万歳の真似をして見せる江戸万歳。
4:手玉を器用に投げとり客に見せる辻放下。
5:人形を操って見せる操り。
6:義太夫節や豊後節などを軽妙な節をつけて語って聞かせる浄瑠璃。
7:昔物語に節をつけて語って聞かせる説教。
8:歌舞伎の口上や鳥獣の鳴き声を真似て聞かせる物真似。
9:能の真似を見せる仕形能。
10:古戦物語の本を読んで聞かせる物読み。
11:太平記や古物語を分かりやすく解説して聞かせる講釈。
12:芸のできない者や子供が大道に座って銭穀を乞う辻勧進。
13:季節の祝祭に門口や座敷で一家の予祝の祝言を謡う萬歳
江戸や関八州では穢多頭弾左衛門配下の非人頭がとりしきっているが、歴史のある京大阪や西国では寺社や公家が取り仕切っていた。
お伊勢様ほど歴史のある神社では、幕府直轄領の伊勢山田といえども、穢多頭弾左衛門ではなく禰宜が取り仕切っていたのだ。
暗殺を引き受けた非人頭が、優子を護る式神から罰を受けなかった理由は、非人頭がお伊勢様に運命を委ねられた体の不自由な者を養っていたからだ。
非人頭は自分達の資金が許す範囲で体の不自由な者を抱え込み、辻勧進をさせていたのだった。
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