第7話:神罰と奉公
松木一族に吐血させたのはお伊勢様ではない。
やったのは、優子に仕える悪行罰示神だ。
元々悪鬼として人の世を暴れ回っていた存在だ。
優子が人に怒りを感じたら、その人間に暴力を振るうのに躊躇いなどない。
ましてその理由が仕えるべき神を馬鹿にした態度とあれば、手加減する事もない。
それでも、優子の怒りが収まれば、殺すところまではやらない。
優子の心にしこりが残るような事は絶対にしない。
その結果、3人の禰宜が病に倒れて世代交代する事になった。
優子の捨て台詞通り、お伊勢様に仕える禰宜を欲得で選ぼうとした者には、とても恐ろしい天罰が下ったのだ。
禰宜だけでなく、40人以上の御師が病に倒れ、40軒以上の御師宿が代替わりする事になり、中には檜垣一族が跡を引き継がなければいけない御師宿もあった。
「角兵衛さんには負担をかける事になるけれど、正式な暖簾分けまでは、お預かりする事になった御師宿の亭主代理として、全ての差配をしてもらう事になります。
他の番頭さん達も、いずれは自分の宿になるのだから、多少忙しくても、しっかりと差配してくださいよ」
「「「「「はい!」」」」」
跡を継いだ者達の中には、檜垣屋に文句を言いに来た者もいたが、自分の宿に泊まった檀家達が、神鶏に追い回されてお伊勢様に参拝出来ない事件が頻発しては、文句を言い続ける事などできなくなった。
いや、檜垣屋に文句を言いに来たその日から、亭主も番頭も手代も、神鶏に襲われるようになり、お伊勢様の境内に入れなくなってしまった。
お伊勢様に仕える御師ともあろう者が、伊勢神宮の敷地に入った途端、神鶏に襲われ追い出されるのだ。
お伊勢様に嫌われてしまったとしか言いようがない。
まして禰宜ともあろう者が神鶏に襲われてしまう。
一族の恥としか言いようがない。
病気と称して禰宜を辞する以外に道はない。
檜垣屋が禰宜達から呼び出された日からわずかひと月の間に、松木、佐久目、河崎では禰宜が数代入れ替わった。
御師宿を営む家は、呼び出しに出席していなかった家にまで被害が広がり、数代の代替わりで済んだ宿もあれば、廃業にまで追い込まれた宿まであった。
「番頭さん達には、急に数件の御師宿を掛け持ちしてもらう事になってしまいましたが、全てはお伊勢様と檀家衆の為です。
大変でしょうが、気を緩めることなくお世話に務めてください」
「「「「「はい」」」」」
「それと、今まで他の御師宿に務めていた奉公人達には、檜垣屋のやり方をしっかりと教えてもらわなければいけません。
商いとして宿を営んでいるのではなく、お伊勢様に仕える心構えと、檀家衆を御接待する心構えです。
それができない者は、召し放つしかありません。
しかし必死でやり直そうとしている者を見捨ててはいけません」
「「「「「はい!」」」」」
「心構えができた者には、前の亭主が約束していたのと同じ条件か、檜垣屋の条件で暖簾分けを許します。
その場合は、前の亭主が決めた序列は無視します。
番頭さん達が直接見て確かめた能力の順に暖簾分けを許します。
特に、お伊勢様に認められるような者には、その宿を任せる事もあります。
そのように伝えてください」
「「「「「はい!」」」」」
あまりにも急な出来事ではあったが、檜垣屋が引き取る事になった御師宿が十四軒にもなってしまっていた。
最初は優子に敵意を持つ禰宜と御師宿の亭主を排除するだけのはずだったのだが、排除される者が後継者を含めて諦めの悪い不信心者の馬鹿ばかりだった。
悪行罰示神がお伊勢様の天罰を装って排除する度に、御師宿自体の評判が悪くない、最初に講の移籍を願い出ていた有力者だけでなく、全講員が離れてしまった。
お世話する講員、檀家がいなくなった評判の悪い御師宿が立ち行くはずもない。
お世話しきれないほどの檀家を持つ御師宿が買い取るか、一度離反した檀家を引き戻せる者が引き継ぐしかない。
そのような者は、お伊勢様の寵愛を受けていると評判の優子しかいなかった。
普通の状態なら、逆恨みの恐れがある御師宿の買収など優子もしない。
ましてお伊勢様の天罰を受けたと悪評が広がっている、一族違いの御師宿を引き継ぐなど、火中の栗を拾う様なものだ。
それでも優子が火中の栗を拾ったのは、あいの件があったからだ。
いや、あいだけでなく、他の体の不自由な者達も救いたかったからだ。
他の体の不自由な者まで救うには、今の檜垣屋の力だけでは無理だった。
権力も財力も少な過ぎた。
もっと強い権力と多くの財貨が必要だった。
本家の方針に絶対服従する分家が必要だった。
何時寝返るか分からないような、これまでの分家では安心できなかった。
お伊勢様に仕えるに相応しい者を分家の当主に据えたかった。
心根の優しい者達だけが奉公する分家の御師宿が必要だった。
あいのような、身体に不自由がある参拝客を全て救うには、それだけの力がどうしても必要だったのだ!
「あい、はたき掃除と拭き掃除をしてちょうだい」
優子はまだ参拝に来られた檀家衆がいるのに、あいに掃除を命じた。
あいが耳も聞こえず言葉も話せないので、ゆっくりとあいの前に行き、大きな動作で指図するだけでなく、唇の動きも見えるようにして命令した。
本当は、見えない場所から命じてもあいに通じるようになっていた。
式神化された古道具の付喪神があいを助けているので、優子の命令を聞いた付喪神が、あいの前に行って伝えてくれるからだ。
だがそれでは、あいが耳と言葉に不自由していることが他の人間に伝わらない。
これから受け入れる心算の体に不自由している者が、あいと同じように妖怪変化に好かれている可能性はまずない。
そのような者を受け入れた時の為に、あいには不自由な状態で奉公してもらわなければいけないのだ。
当初の予定とは大幅に違ってしまっていた。
あいに楽をさせてあげたかったのに、体の不自由を少しでも解消してあげたかったのに、辛く苦しい思いをさせてしまう事になっていた。
優子は心の中で詫び涙を流していいた。
多くの体の不自由な者を助けるためとはいえ、楽にできるようになった事を、元のように辛く苦しい思いをさせているからだ。
「あ、う、あ、あ、う」
だがあいは喜んで今の状態を受け入れていた。
辛くても痛くても疲れる事になっても、人の役に立てるからだ。
助けてくれた優子お嬢様の役に立てるからだ。
参拝に来た檀家衆の中には露骨に蔑みの視線を送る者もいる。
だが一緒に檜垣屋に奉公している者は、暖かい目で見てくれている。
中には妬みの視線を送る者もいるが、それが長く続く事はなかった。
あいを見守る付喪神達が、妬みの視線を送る奉公人に、改心するまで小さな不運を与え続けるからだ。
大けがをしない程度の物が足の上に落ちて来たり、避けたはずの柱や障子に足の小指をぶつけたり、蜂や毒虫に刺されたりするのだ。
そんな事が続くと、お伊勢様から天罰が下されたと評判の御師達を思い出すのだ。
自分の心の動きを考えれば、天罰が下されたと考えるのは当然だった。
恐怖に震えて改心するのは当然の事だった。
「おお、よくやってくれているね。
これはお前さんの働きに対する心づけだよ。
遠慮してはいけないよ、心づけを渡す事で、私も功徳を積んでいるのだ。
だから遠慮せずに受け取っておくれ。
他の奉公人さん達に遠慮があるのなら、菓子でも買って皆で食べるといい」
そう言って心づけを渡してくれる檀家さんも少なからずいた。
新しく檜垣屋に御師を頼んだ檀家さんほど心づけをはずむ傾向があった。
新しい檀家さん達は、最近の評判を聞いて御師を変えている。
お伊勢様の意思を察する事くらいできる。
優子が家を追い出された体の不自由な者を奉公させている。
乞食に施しをするような、よくある簡単な功徳の積み方ではなくではなく、ちゃんと召し抱えて仕事を与えているのだ。
その者に優しくする事は、お伊勢様の御意思に従う事だ。
ずっと世話をし続けるのは無理でも、お伊勢参りに来た時に優しくするくらいなら、海千山千の商人やそれほど豊ではない者でもやれるのだ。
「あ、う、あ、あ、う」
あいはもらった心づけを全て優子に渡していた。
衣食住だけでなく、勉学まで授けてくれたお嬢様に渡すのは当然だと思っていた。
「預かっておくからね」
優子はあいが渡す心づけを全て受け取っていた。
いや、あいだけでなく、全ての奉公人から心づけを受け取っていた。
奪うのではなく、預かるのだ。
暖簾分けや嫁入り、能力が足りずに召し放つ時に、少しでも役に立つように。
その金額は亭主と女将、筆頭番頭が間違いなく帳付けしてくれている。
丁稚奉公に入った直後は、奉公するために色々と物入りになる。
その全てを店が立て替え、給金が貰えるようになるまで借金する事になる。
手代となって給金がもらえるようになっても、最初は借金を返すだけだ。
借金が無くなり給金が積み立てられるようになるまで、結構な年月がかかる。
心づけが多ければ多いほど、積み立てられる金が多くなる。
暖簾分けや嫁入りの時に持たせてもらえるお金が多くなる。
衣食住を十分に与えてもらえる檜垣屋だからこそできる事だった。
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