第6話:軋轢と報復
「お父さん、禰宜家の方々を言い負かすなんて、私には無理ですよ。
私は隠居しますから、お父さんがやるか、優子にやらせてください」
「情けない事を言うんじゃない。
当主に成って何年経っているんだ。
それに、無能だと自覚して隠居したいと言うのなら、優子にやらせろなんて、口が裂けても言うんじゃない!
優子さん、どうかお願いしますと頭をさげろ!
その覚悟もないのなら、隠居しても優子の言う事を聞かず、好き勝手振舞う邪魔者になるだけだ!」
「ですがお父さん、私は優子の父親ですし……」
「父親なら父親らしく振舞え!
父親らしく振舞えず、嫁に不義密通されても殺す事もできず、追い出す事もできず、娘に尻拭いしてもらうような憶病者が!
これ以上優子の邪魔をすると言うのなら、殺すぞ!」
「ひぃいいいいい!」
「四の五の言っていないで、さっさと宮に行ってこい!
お前1人では禰宜家の方々や御師宿の連中の言いなりになるだろうから、優子について行ってもらえ。
ただし、優子の足を引っ張るんじゃないぞ!
足を引っ張ったら、私がお前を殺してやる。
私がやると言ったら必ずやる事は知っているな?」
「はい!
私は何も口にしません、黙っています!
全部優子にやらせます」
「殺すぞ!」
「ひぃいいいいい!
やっていただきます、優子にやってもらいます。
絶対に優子の邪魔はしません、全部優子の言う通りにします。
だから隠居させてください、お父さん」
「お爺様、もうこれくらいにしてあげてください。
父上が臆病で無能なのは物心ついた時から知っています。
今更どうにかなるとは思っていません。
邪魔をしたら殺してくださいと、お伊勢様にお願いしています。
不思議な事に、私がお百度を踏んだお願いは、必ずかなうのです。
おっかさんを追い出せたように」
「ひぃいいいいい!」
檜垣屋は外宮禰宜家から呼び出しを受けていた。
理由は他の御師が世話をしている講を引き抜いた件だった。
別に檜垣屋も引き抜きたくて引き抜いたわけではなかった。
どうしても世話してもらいたいと、嘆願という形式の脅迫をされ、しかたなく引き受ける事になったのだ。
揉めることが分かっていたから、最初は断っていたのだ。
だが、江戸はもちろん京大阪の有力な既存檀家衆から、恫喝を含ませながら頭を下げて頼まれては、いつまでも断り続けることはできなかったのだ。
★★★★★★
「檜垣屋、どうして他の御師の檀家さんを引き抜いたのです」
外宮世襲禰宜家の1つ、松木家の禰宜が檜垣屋を責めるような質問をする。
本家の檜垣家も貸しのある宮後家も何も言わない。
「こちらから引き抜いたわけではありません。
どうしてもお世話になりたいと頼まれ、これまで信心してくれていた有力な檀家衆からも強く頼まれ、仕方なく引き受けさせていただいたのです。
その証拠に、このような依頼書と念書を貰っています」
父親の得壱が病気で言葉が不自由になった事にして、一緒に詰問の場に出席した優子が、若女将として受け答えしている。
答えたと同時に、既存の有力檀家と無理を言ってきた檀家が書いた、依頼書と念書を差し出した。
両方には大名や旗本家だけでなく、公家や有力商人が自署し捺印までおされており、偽者ではない事が証明されていた。
依頼書には保証している者の御師になってやって欲しい、御師になって欲しい、なってくれなければ伊勢講を抜けて富士講に鞍替えするとまで書いてあった。
念書には、講を代わる事で一切迷惑を掛けない。
もしこれまで世話になった御師から文句が出たら、その解決は自分で行い、解決できなかった場合は迷惑料を払い、伊勢講から富士講に代わるとまで書いてあった。
「お分かりいただけましたか?
ここまで書かれていては、お断わりする事などできません。
もしお断わりしたら、お伊勢様は多くの有力檀家を失ってしまいます。
それでは熊野講のように檀家を失い衰退してしまいます。
それでよかったと申されるのですか?!」
優子はそう言い放つと、今にでも使者を送りそうな勢いで席を立った
「ま、待て、待ってくれ!
何もそのように事を荒立てる必要はあるまい」
「事を荒立てているのは禰宜の方々ではありませんか!
既にここに署名されている方々からは、懇切丁寧なお断わりの書状が届いているはずですよね?
それなのに、檜垣屋を呼び出して詰問されている!
その非道な行いに檜垣屋が黙って従わなければいけない理由はなんですか?」
「それは……それは、そう、お伊勢様に仕える者同士の和だ!
古来より『礼は之これ和を以て貴しと為す』とあるではないか」
「檜垣屋も、お断わりを入れられた檀家衆も、礼を尽くしたはずですよ!
礼儀知らずな事をなさっているのは、禰宜の方々と他の御師宿の方々ではありませんか!
まあ、既に檀家の方々には迷惑を受けた旨と、迷惑料を催促する使者を送りましたから、後の事は当事者同士で話し合ってください
檜垣屋はもう係わりのない事ですから」
「な?!
使者を送っただと?!」
「何を驚いておられるのですか?
お伊勢様の誓詞に誓った依頼書と念書ですよ。
即座に実行しなくてどうするのですか?
それとも、禰宜の方々はお伊勢様の誓詞などただの紙切れだから、蔑ろにしていいと申されるのですか?」
「そんな事は申していない!
申していないが、何故禰宜の我々に相談しなかったのだ!?」
「あら、これは申し訳ありませんでした。
禰宜家の方々がお伊勢様よりも偉くなっているとは寡聞にして知りませんでした。
そうですか、お伊勢様の誓詞は禰宜家の方々のお言葉よりも軽いのですね!
そのような事を口にして、お伊勢様の罰が当たらなければいいのですが……」
「な、この、この、たかが御師の分際で!」
「待て、少なくとも私はそのような事は申していない」
「私も同じですよ。
たかが禰宜の分際で、お伊勢様の誓詞を反故にできるなどと思っていません」
慌てるように檜垣本家の禰宜と宮後本家の禰宜が言い訳してきた。
「ああ、私もです。
私もお伊勢様よりも偉くなったなんて思ったことは一度もありません」
一瞬言い訳が遅れた久志本本家の禰宜も言い訳してきた。
「「……」」
分家の御師宿に多くの被害を出した、佐久目本家と河崎本家の禰宜は、様子を窺うように何も言わずに黙していた。
「ああ、結構だね、やれるものならやってもらおうではないか!
本当に伊勢講から離れて富士講に鞍替えするのか試せばいい。
脅せば屈すると高を括っているだけで、本当に鞍替えなんてできないさ!
そうすれば、うっげっ!」
破れかぶれになったのか?
本当に自分の方がお伊勢様よりも偉いと思っているのか?
あるいは、本心ではお伊勢様などいないと思っているのか?
松木本家の禰宜が、反省もせずに檀家を下に見る発言をした。
いや、お伊勢様の誓詞すら破って当然という発言をした。
そんな松木本家の禰宜が、その場で血を吐いて倒れた。
いや、禰宜だけでなく、この場に出席していた松木一族の御師全員が、どす黒い血を吐いて倒れた。
「「「「「な?!」」」」」
あまりにも非常識な出来事に遭遇して、その場にいる全員が驚愕の声を上げた。
お伊勢様に仕える禰宜や御師と言えども、本当に信心や才能があって仕えているわけではない。
代々世襲している利権だから、子孫に伝えているだけだ。
鬼神を見る事ができ、不思議な事を体験できる者など滅多にいない。
そして中には不信心な者や強欲な者もいる。
「あら、お伊勢様が禰宜や御師に相応しくない者を罰せられたのでしょうか?
どう思われますか、禰宜の方々?」
「どうやらこの場に禰宜や御師に相応しくない者がいたようだな。
方々はどう思わられるか?」
檜垣の本家禰宜がこの機を逃さないように言った。
「天罰が下るような者に禰宜を任せる訳にはいかない」
即座に檜垣に借りがある宮後が応じた。
「そうですね、お伊勢様の誓詞を蔑ろにしておいて、禰宜を続ける資格はない。
お二人は先ほど黙っておられたが、どう思われているのかな?」
久志本本家の禰宜が即座に追従した。
「……これがお伊勢様の天罰かどうか、直ぐには判断できないが、今血を吐いている者達が、お伊勢様に仕える資格がないとは思う」
佐久目本家の禰宜もこの流れに逆らうことはできなかった。
「……そうですな、しかたがないでしょうな。
ですが、禰宜の座を空白にしておくわけにもいきません。
それに、ここに来ていない松木一族が全員不信心だと言い切る事もできない。
ここは、残った松木一族から新しい禰宜を出させて、一族の恥を注ぐ機会を与えませんか?」
河崎本家の禰宜は檜垣家に主導権を握らせたくないのだろう。
松木一族を助けるような事を言ってきた。
「次の禰宜の選出は、禰宜の方々の間で決めてください。
私には、多くの有力な檀家を失った檜垣屋を立て直す仕事があるのです。
もう帰らせていただきますよ。
欲得で新しい禰宜を選ぼうとした方々に天罰が下らない事を祈っておりますよ」
優子はそう言い放って外宮を後にするのだった。
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