第218話 目にゴミが
時刻は少し下がり、午後四時前。
次に呼び出した相手を待っていると、しばらくしてやってきた。
制服姿に軽い足取りの少女だ。
なにより特筆すべきはそのシルエットのサイズだろう。
高校の制服がある意味一番似合わない人だ。
多分ランドセルを背負っている方が様になるだろう。
そんな小さな先輩。
彼女は普段の制服着用時と違って、部活を意識しているのか、眼鏡を外してコンタクトを着けていた。
髪型も馴染み深いツインのお団子である。
「わざわざ電車で来てもらって申し訳ないです」
「大丈夫ですよ」
最初に放った俺の謝罪に、唯葉先輩は柔らかく微笑んだ。
「ではお聞きしましょう。柊喜くんの愛の告白を」
「……いや、それは」
「あはは、わかってますよ。冗談です」
唯葉先輩に告白するつもりはない。
謎に全員をフッてくれというお達しを受け、それに従っただけである。
そしてそれは勿論、この先輩も承知しているわけで。
というか承知も何も、唯葉先輩だって俺に告白されたら困るはずだ。
俺に恋愛感情を抱いているわけでもないだろうし。
お互いに無言で顔を見合わせること数十秒。
俺は口を開く。
「やっぱこれ、おかしくないですか? 好きでもない奴からフラれるために、わざわざ電車で揺られてここまで来るのって」
「あはは」
「……え?」
「いえ、なんでもありません」
謎の笑いで相槌を打たれて首を傾げた。
たまにだが、唯葉先輩は何を考えているのかわからなくなる時がある。
その時の顔が、ちょっと魅力的に見えて、見入ってしまう。
普段幼げだからこそ、だ。
なんて考えていると唯葉先輩は笑いながら言う。
「ってか、わかんないじゃないですか。柊喜くんがわたしが放つ大人の色香にメロメロになってる可能性だってあるので」
「大人の色香……?」
「なんですかその顔」
「いや、別に」
「あはは」
ヤバい、すごく落ち着く。
さっきまで精神をごっそり持っていかれていたため、唯葉先輩とのいつも通りな会話が物凄く心地良い。
やっぱり先輩だな、とも思う。
多分俺の顔を見て気を遣ってボケてくれている。
いつもこの先輩には助けられてるな。
「唯葉ちゃんの良さは色気じゃないですよ。元気で可愛くて、だけどいっつも裏で努力してて、いざとなったらみんなを導いてくれるところですから」
凛子先輩やすずのことは褒めなかった。
自分に好意を寄せていた相手をフッて、その後に褒めるなんてサイテーな事だと思ったから。
本当は言いたい事なんて山ほどある。
だけどこらえた。
どんなに俺への気持ちを伝えられても、返さないように口を閉ざしていた。
しかし今の相手は違う。
やっぱりいいな。
自分に対して変な気がない相手っていうのは。
思ったことを素直に伝えられる。
「いつも俺が行き詰った時や、チームが行き詰った時に声をかけてくれましたよね。正直かなり甘えてました。子供っぽいとか、揶揄っててすみません。本当は唯葉ちゃんのこと、年上のお姉さんとしてめちゃくちゃ頼ってたんです。ありがとうございました」
「……」
「って、これじゃ別れの挨拶みたいっすね。俺達は今からも一緒にバスケするのに」
苦笑しながら俺は言った。
対して唯葉先輩は何も言わない。
じっと俺の顔を見ながら無表情で口を結んでいる。
そして、つーっと涙が先輩の頬を伝った。
「え?」
「……あ、痛い。目にゴミが入った」
「大丈夫ですか?」
「近づかないでください」
「す、すみません」
心配して近づこうとした俺を唯葉先輩は止める。
しゃがみ込んで涙を流した。
「うわー、痛いです。コンタクトもズレたかも」
「唯葉ちゃん、ソフトレンズじゃないんですか?」
「……ま、まぁソフトでもズレる時はありますよ」
「そうですか」
急なアクシデントに苛まれて俺達は変な雰囲気になった。
まるで俺の言葉が原因で泣いてしまったようだ。
いや、泣かせるようなことは言っていないはずだが。
「それにしても、そうですか。わたしのことをお姉さんだと思っててくれたんですね」
「……恥ずかしいのであんまり言わないでください」
「いいじゃないですか。存分に甘えてください。わたしはそれだけで、幸せなので」
「そ、そうなんですか?」
「はい」
涙を拭いながら立ち上がる唯葉先輩は、よくわからない笑みを浮かべていた。
流れる涙は軽くゴミが入ったとか、コンタクトがズレたという次元の量ではない。
普通に号泣しているようにしか見えない。
余程痛かったのだろうか。
「はぁ~、そうですか」
よくわからない独り言を漏らしながら制服の袖で涙を拭う唯葉先輩。
俺が持っていたポケットティッシュを渡すと、先輩は涙を拭って少し出ていた鼻水も拭った。
「柊喜くん」
「はい」
「さっきあなたはわたしに色々言ってくれたけど、わたしも柊喜くんには色々感謝してるんです」
「はい」
「まず部活を再建してみんなで頑張る機会をくれた事、あと以前、成績の件でお母さんから守ってくれた事、そして県大会で優勝させてくれた事。全てに感謝です」
「全部唯葉ちゃんの努力あってこそです。唯葉ちゃんが応援したくなるくらい頑張ってたから、俺も力になりたいって思えたんです」
「あはは、なんなんですかあなたは。人がせっかく思い出に蓋をしようとしてるのに」
「えっと、なんかすみません」
「いいです。そこが柊喜くんの良いところなので」
苦笑しながら唯葉先輩は手を後ろに組む。
そして、ゆらゆら小さな子供みたいに揺れてそのまま続けた。
「あとは、そうですね。わたしの憧れでいてくれて、ありがとう。ずっと忘れませんから」
「ッ!?」
「どうかしましたか?」
「なんでもないです」
なんだろう。
今の一言を聞いた時、一瞬ビクッと自分の中の何かが刺激された。
唯葉先輩の晴れ晴れとした笑顔が可愛かったからだろうか。
俺の顔を見て先輩は揶揄うような顔をする。
「今更可愛い先輩の色香に惑わされそうになってます?」
「そんなわけないです。俺には好きな人がいるので」
「あはは、流石ですね。それでこそ柊喜くんです。それでは、わたしはもう帰りますね。脇役の出番はもういいでしょう」
「脇役だなんて」
「……柊喜くんの恋愛の中では脇役ですよ」
背を向けてボソッと言った唯葉先輩。
そのまま彼女は数歩歩いて、立ち止まった。
「わたしも柊喜くんのことが好きですよ」
「はは、ありがとうございます」
「どういたしまして。……あはは」
こんなに爽やかな『好き』は初めて聞いたかもしれない。
唯葉先輩は笑いながら、手を振って体育館を去った。
小さくなっていく背中を見ていると、なんだか胸にぽっかりと穴が開いたような気がした。
おかしな話だ。
別に告白されたわけでもないのにな。
だけど、何故か『好き』という言葉がずっと胸に残り続けた。
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