第199話 大会への特訓(唯葉後編)

「では柊喜くん、続きを始めましょう」

「そうですね」


 予約制だから、長々と占領することはできない。

 着替えを済ませて出る時間も考慮しなきゃいけないし、あまりだらだら話している暇はないのだ。


 俺達は再び練習を開始した。


「……はぁっ。疲れが出ると、安定しませんね」

「足ですか? 腕ですか?」

「両方です」


 唯葉先輩の返答を聞いて少し安心した。

 どちらも均等に疲れているという事は、体全体を満遍なく使ってシュートできているという証拠だ。

 慣れるしかない。


「わたしたちは人数が少ないので、後半にもシュートを決められるくらい体力をつけなきゃです」

「そのためには休みも大事なので無理しないように」

「あはは……」


 試合の時に疲労が溜まっていても本末転倒だからな。

 オーバーワークは怪我の元だし。


 と、そんなこんなで俺達は練習を終えた。


「じゃあわたし、着替えてきます」

「はい」


 コートから出て行く唯葉先輩を見送りながら、俺も片づけをする。

 そして、ふとトイレに行こうと思い立った。


 薄暗い通路に出ると、男子トイレの看板を見つける。

 だから俺はその看板の近くにあった扉を開いた。


「えっ!?」

「あ、マジですみません!」


 しかし、俺が男子トイレだと思って開けたのは更衣室だった。

 中には絶賛着替え中の唯葉先輩がいて、お互いに驚いた。

 そして扉を閉めようとこちらに走ってきた下着姿の唯葉先輩。

 彼女は近くに脱いでいた短パンを踏んで、盛大に滑った。

 抱き着くような形で俺の元にやって来る。


「……大丈夫ですか?」

「……ごめんなさい」

「俺、出ますね」


 目を閉じながらそっと扉を閉じた。

 すぐにドアの向こうですすり泣くような声が聞こえて、俺は頭を抱えた。

 ヤバい。最低だ。どうしよう……。


 もう一度謝るのは当たり前だし、滑って怪我していないかも心配だが、許してくれるだろうか。


 俺は一応確認しようと思ってドアを見る。

 そこは男子更衣室だった。

 ……うーん。どうしよう。


 尿意なんて完全に引っ込んでしまったため、俺はコートに戻って座り込んだ。

 そして、全力で記憶を消そうと必死になった。


 正直、舐めていた。

 身長が低く、子供っぽい唯葉先輩の事をずっと何の意識もしていなかった。

 だけど、流石に下着姿を目にして、さらに言うならそのまま抱き着かれて、意識せざるを得なかった。


 先輩は当たり前だが、女性だった。

 今でも腰のあたりに感じた膨らみの感触が抜けない。

 俺、本当に最低だ。

 唯葉先輩、泣いてたのに。

 何考えてんだよマジで……。

 早く忘れろ、俺。


 煩悩と戦っていると、数分が経って唯葉先輩が出てきた。

 今度はちゃんと制服姿だ。

 先輩は目が合うと、すぐに顔を真っ赤に染めながら頭を下げてきた。


「ごめんなさい! わたし、女子更衣室だと勘違いしてて……!」

「頭上げてください。謝りたいのは俺の方です」

「そんなことありません。全部、わたしが悪いんです。お目汚ししてしまって本当にすみません。勝手に抱き着いちゃって……本当にごめんなさい」

「そんなこと気にしてませんし、俺の方こそ色々見ちゃってごめんなさい。怪我は、大丈夫ですか?」


 唯葉先輩に近寄ろうとすると、一瞬ビクッと反応される。

 そりゃそうか。

 いくら自分が更衣室を間違えたと言っても、好きでもない男に下着姿を見られたら気持ち悪いよな。

 嫌いになるよな。


 思えば、唯葉先輩は一番そういう所に敏感だった。

 うちに泊まりに来た時も、唯一俺と同じ部屋で寝るのを避けていたし。


 しかし、唯葉先輩は自嘲気に笑い始めた。


「あはは、わたし、何やってるんでしょう」

「……」

「全部見られちゃいました。丁度上も下も脱いだタイミングで。ほんと、なんでこうなっちゃったんでしょうか」

「マジですみません」

「柊喜くんは悪くないです。ただ、物凄く、死にたくなるくらい恥ずかしいだけです。って、こんな事言ったら罪悪感煽っちゃいますか。別に柊喜くんに見られるのが嫌というわけではないので安心してください」

「え?」

「何言ってるんでしょうか。もうわたしはダメかもしれません」


 表情をころころ変えながら喋る唯葉先輩。

 俺には何を言っているのか、全く理解できない。

 一応怒ってはないみたいだし、俺に見られたのが嫌というわけでもないらしいが、それならそれで意味が分からない。


「すみません。わたしなんかの下着姿、面白みもないですよね」

「……いや」

「え?」

「え、あ。……え?」

「なんですかもう。……困りますよそんなよくわかんない反応されると」

「はは、そうですよね。すみません」

「わたしたち謝ってばっかりですね」


 二人で顔を見合わせて、苦笑した。


「帰りましょうか」

「はい」


 雰囲気は微妙だったが、長居もできないため、俺達はその場を後にした。



 ◇



「寒いですね」

「そうですね」

「……どうやらわたしは手袋をあのコートに忘れてきたみたいです」

「え?」


 よく見ると唯葉先輩は先ほどと違って、手袋をつけていなかった。


「取りに帰りましょう」

「もういいです。どうせ買い直そうと思っていたので」

「そうですか」

「柊喜くんは手袋着けないんですか?」

「さっきバスケして温まってるんで」

「そうですか……」


 二人で夜道を歩きながら、ぽつぽつと会話をする。

 時刻もだいぶ下がっているため、往来する車のライトが眩しく滲んで見えた。


「わたし、冷え性なんですよね」

「そんなにですか?」

「触ってみます?」


 両手をちょこんと差し出してきた唯葉先輩。

 なんとなくその手を取ってみた。


「つめたっ」

「あはは。柊喜くんの手は温かいですね」

「唯葉ちゃんの手が冷たすぎるんですよ」

「よかったら、このまま手を繋いでてくれませんか? その方が温かいので」

「まぁ、別にいいですけど」


 よくわからないお願いだったが、断る理由もないため俺は受け入れる。

 すると、俺の視線の端で唯葉先輩は再び自嘲気な笑みを零した。


「……わたし、ほんとに最低だ」

「え?」

「いいえ、なんでも。あきらたちに見つかったら怒られそうですね」


 言われて見ればそうだな。

 付き合ってもいないのに、手を繋ぐなんて変だ。

 唯葉先輩の誘い方がスムーズで、何の疑問も抱かずに手を繋いでしまったが、あんまり良くない気がしてきた。

 っていうか、なんで俺はこんなに普通に手を繋いでしまったんだろう。


 唯葉先輩はチラッとこちらを見てきた。

 口元はマフラーで隠れているためあんまりわからないが、頬が若干赤い気がする。

 外は寒いからな。うん。


 なんとなく目を逸らすと、すぐに向こうから手を解かれた。


「やめましょう。勘違いされると困ります」

「そ、そうですね」

「なんですかその名残惜しそうな顔は」

「別にそんなつもりないですよ。唯葉ちゃんの手冷たかったし」

「それならいいです」


 唯葉先輩は前を向く。


「千沙山くんが握ってあげないといけない手は、あきらかすずか凛子のモノですからね」

「なんすかそれ」

「間違ってもわたしみたいな人間の手はダメなんです」


 何を言っているんだろうかこの人は。

 握ってきたのは自分のくせに。

 しかし、唯葉先輩はそのまま続ける。


「千沙山くんはモテるから大変です」

「よくわかんないですけど、呼び方が千沙山くんに戻ってますよ」

「今は良いんです。そうじゃなきゃ、ダメだから」

「は?」

「一つだけ言っておきますね」


 唯葉先輩は再び俺の方を向き直り、そのまま少し近づいて小声で言った。


「今日見たわたしの下着姿は絶対に忘れてくださいね」


 どういう意図の言葉なのか、俺にはわかりかねた。

 だがしかし、これだけは確実に言える。

 俺はその言葉で、何故か心が若干揺れた気がした。

 結構刺激的だったし、そう簡単に忘れられるものでもない。

 まぁただ、頑張って記憶を削除しよう。


 謎の説教をくらいながら、俺は苦笑する。


「はいわかりました。上下共に白だったのも忘れます」

「それでいいです。偉いですね」

「はは、もう意味わかんないですよ」


 その日は互いに顔を見合わせて、ぎごちない笑みを見せ合いながら帰った。

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