第184話 水の泡

 学校における三学期っていうのは基本的にいつもタイトスケジュールだ。

 あの短い中で中間、期末テストがあるのは論外だが、その他にも持久走大会やら卒業式やらなんやらかんやら。

 そして、俺達部活生は大会も重なるため、さらに目まぐるしい期間となる。

 それが三学期というものだ。


「……マジで頭痛い」

「顔色悪いわよ。大丈夫?」


 新学期初日の休み時間。

 俺は頭を抱えて唸っていた。


「これあげる」

「助かる」

「いいからさっさと飲みなさい」


 空き時間に飲み物を買ってきてくれたらしい。

 姫希に手渡されたアクエリアスを受け取る。

 そのまま口に含み、ゆっくり飲み込んだ。


「染みるなぁ」

「心配ね」

「大丈夫だよ。季節柄、少し風邪でも引いたんだろ。すぐに良くなる」

「インフルエンザかもしれないじゃない」

「ははは、そんな大事じゃないって」

「とりあえずこれつけて」

「準備が良いな」


 鞄から取り出された個包装のマスクを貰い、装着する。

 マスクなんて何年ぶりにつけただろう。

 息苦しくて仕方がない。


 姫希は本当に心配そうに俺を覗き込んでいた。


「保健室行く?」

「悪いな。飲み物まで買ってもらって」

「今更いいわよ。お世話になってるもの」

「そっか」


 まぁ実際、こいつに奢ってきた方が圧倒的に多いからな。

 とは言え、普段口も態度も悪い奴が優しくしてくれると、妙にそわそわするもんだ。


 と、そんな事を考えながらトイレに行こうとして、ぞくっと寒気がした。

 席を立った瞬間に体がぐらりとよろめく。

 体勢を崩した俺の巨体を、姫希がぎゅっと支えてくれた。


「ちょ、ちょっと。危ないじゃない」

「……悪い。保健室行ってくるわ」

「そうね」


 思ったよりヤバそうだったため、俺は姫希の言う通り保健室に行くことにした。

 新学期早々最悪な幕開けである。



 ◇



「39℃あるわね~。インフルエンザかしら」

「……マジすか。ごほっ」

「とりあえずゆっくり寝てていいから。今保護者に連絡したからね。少ししたら病院で検査してもらいましょう」

「はい」

「お父さん、来られないらしいけど家で一人?」

「……まぁ、大丈夫です」

「心配ねぇ」


 保健室について熱を計ると、とんでもない体温が示された。

 流石に何かの間違えだろうと思って三回計りなおすも、結果は変わらない。

 紛う事なき高熱だ。


 養護教諭の先生に言われて、大人しくベッドに寝る。

 自宅のモノと違ってやや窮屈だが、俺は図体がデカいからな。

 我慢するしかない。

 こういう時に自分の身長が嫌になる。


「やっぱり大事じゃない」

「まだ、いたのかよ」

「心配だもの」

「お前、良い奴だな」

「普通よ。ここで君を放置する方がおかしいと思うけれど」

「そうか?」


 横にちょこんと座って俺にジト目を向けている姫希。

 そう言えば、前もこんなことがあったっけ。

 俺が風呂場で倒れた時だ。

 こいつは夜通し俺の看病をしてくれたんだった。


「何故かお前といる時にばかり、体調を崩しいている気がする……ごほっ、けほ、けほっ」

「凄く人聞きが悪いわね。サイテー」

「はは、ごめん」

「いいわよ別に。間が悪いのかしら」


 特に話すこともないため、俺は目を閉じる。

 そのまま数十秒経ち、養護教諭の先生が保健室を出るのが分かった。

 静寂は続く。


「なんでまだいるんだよ」

「で、出て行くタイミングが分からなかっただけよ」

「気にすんなって」

「……病院に行くまでは見ててあげる」


 頼んでねえよと喉まで出て来ていたが、自重した。

 流石に酷過ぎる。

 様子を見てくれている相手に放つ言葉じゃないと思ったから。


 俺はため息を吐いて口を開く。


「最悪だな。試合は今週末なのに。間に合わねえよ」

「そうね。インフルエンザなら出席停止だし、丁度大会の日まで家から出れないわね」

「それだけは、本当に勘弁だ」


 今日が十一日水曜。

 試合は金土日だから、俺はコーチとして参加できない。

 詰んでいる。


 教えたいことはまだたくさんある。

 試合中だって、俺がいなきゃ困ることも多いだろう。

 前回と同等の結果か、それ以下の結果になることだってあり得る。

 家で寝ているわけにはいかないのだ。


 なんて思って下唇を噛んでいると、火照った手にひんやりとした感触が伝わってくる。

 姫希が、俺の手を握っていた。


「は?」

「大丈夫だから。あたし達、君がいなくてもやれるわ」

「……俺なんかいなくても平気って言いたいのか」

「そんなわけないでしょ。馬鹿なの?」

「すまん」

「体調崩してネガティブなのはわかるからいいわ。あたしが言いたいのは、もう既に君からは色んなものを受け取ってるって事。どうせあと二日の調整練習じゃ大して変わらなかったわ。試合だって、どうにかなる。唯葉先輩もいるし」


 あの人、試合の時は頼もしいからな。

 すずだって冬休みから練習態度がかなりよくなったし、問題児はいない。

 俺がいなくたってやれるだろう。


 だけど、そういう問題じゃない。

 万全じゃない。

 万全な体制で、俺も一緒に勝ちに行きたかった。


「っていうか手なんか触ってたら感染するぞ」

「平気よ。あたし、手洗いうがいは徹底してるから大丈夫」

「そうかよ」


 こういう時、姫希の態度は頼りになるな。

 普段ならイラっとする上から目線な口調も、ただの安心材料に変わる。


「やろうと思ってた練習メニューはスマホで送る」

「うん」


 気休め程度かもしれないが、試合対策等も出来るだけメッセージで送っておこう。

 そんな事を考えて再び目を閉じる。


「お父さん、帰ってこないんでしょ?」

「いつものことだ。連絡が取れただけ驚きだな」

「……なんかごめんなさい」

「気にすんなよ」


 あの人が息子のインフル如きで帰ってくるとは思えない。

 体調を崩したのも初めてではない。

 その時だって俺は一人で乗り切ったもんだ。


「きつかったらすぐに人を呼ぶのよ? あたしも、呼ばれたら駆けつけるから」

「お前んち遠いだろ」

「死なれたら困るもの」

「インフル如きで死んでたまるか」

「軽視するのは感心しないわね。いい? 我慢しちゃ絶対ダメだから。まぁ隣にあきらが住んでるんだし、あいつが君を放っておくとも思わないけれど」


 過保護なくらいに忠告されて苦笑が漏れた。

 俺が笑って見せると、姫希は馬鹿にされていると勘違いしてムッとする。

 その顔がまたおかしくて、俺は笑った。


「お話はもう終わったかしら?」

「あ、えっと。はい」

「伏山さんは授業に戻って大丈夫だから。千沙山くん、今から病院に行くわよ」

「……あぁ、はい」


 思うように制御できない体を起こしながら俺は目を開ける。

 ベッドから出るため、当然姫希は手を離す。

 姫希の冷たさがなくなって、少し寂しく感じた。

 心身共に弱っている気がする。


「気をつけなさいよ」

「あぁ。万が一の際は、頼む」

「任せなさい。君の努力を水の泡には終わらせないから」



 ◇



 その日、俺は帰宅してそのままベッドに倒れ込んだ。

 重い頭と歪む視界の中、じっとスマホを見つめる。


 結論から言おう。

 俺はインフルエンザに感染していた。

 そのため、週末に予定されていた二度目の公式戦への不参加が確定した。

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