第103話 試合に備えて
少しして、ビニール袋に2Lアクエリアスを入れた凛子先輩と朝野先輩がやってきた。
「対戦校に差し入れしておかないと」
「忘れてました……」
完全に忘れていた。
練習試合の際は、対戦相手に敬意を払わないといけない。
それがなくても俺達は弱いのだ。
気が回らなかった愚かな自分に反省である。
そんな俺に朝野先輩がクスッと笑った。
「私達も忘れてたから、これくらいしか買えなかったけど、大丈夫かな」
「まぁまぁ、僕達は高校生で稼ぎもないんだし、仕方ないよ」
「そうですね。また明日もありますから」
足りないと思えば明日何か追加で買えばいい。
バスの方に歩いて行く朝野先輩を見ていると、横から凛子先輩が肩を叩いてくる。
「なんだかバス遠足みたいだね」
「そうですね。写真撮って騒いでる奴らもいますし」
「なんかいいなぁ、穏やかで」
何故か遠い目であきら達を見守る凛子先輩。
彼女はそのまま俺の方をじっと見た。
そこで、俺も気付く。
「……前髪切ったんですか」
「あれ、気付いた。普段は下ろしてなかったのに」
「……俺は女子の変化には敏感なんですよ」
「あはは、いいじゃん。そういうところも好きだよ」
「や、やめましょう」
「今のは単なる褒め言葉だったんだけど」
揶揄うように目を細めて笑う先輩を見て、俺は表情が引きつった。
クソ、まるで俺が意識してるみたいじゃないか。
そんな感情が伝わったのか、先輩はより一層楽しそうに話す。
「これからは前髪下ろしておこうと思ってさ」
「そうなんですか」
「うん。柊喜君はこっちの方が好きでしょ?」
「え?」
「バーベキューの時、ずっと僕の顔見てたからそう思ってたんだけど、違う?」
「……俺の好みとかはさて置き、前髪下ろしてる方が可愛いらしいかと」
「あははっ。まんま柊喜君の好みじゃん。でもいいや、僕は柊喜君の好きな髪型でいたいからさ」
揶揄われているのか、口説かれているのかわからない。
本人も別に対して何も考えていないのだろう。
既に俺の方は見てなく、走る車を眺めているし。
「時に柊喜君」
「はい」
「君はショートカットな女の子が好きなの?」
「え? ……まぁ、そうですね」
「ふぅん」
チラッとJK四人衆に視線を移す凛子先輩は、俺の言葉を聞いた後で頷きながらバスに戻って行った。
一体何の質問だったんだろう。
◇
バスに乗り込む際、俺は一人席に座った。
両サイドに女子というのは、色んな意味で窮屈だったのだ。
俺がそそくさと別の席に座るのを見て、すずは頬を膨らませていた。
姫希はデカいのがいなくなって清々したと言わんばかりに、すまし顔を見せていた。
さて、そんなこんなで再びバス旅が始まる。
外で遊び疲れたのか、すぐに後ろから寝息が聞こえ始めた。
すず、姫希共にダウンである。
やはり隣に座らなくて正解だったな。
両腕がよだれだらけになっていただろう。
と、そんな俺に通路向かいの唯葉先輩から視線が突き刺さる。
「千沙山くん、何かお話をしませんか?」
「隣の朝野先輩と話せば——って、あれ」
「えへへ。実はわたしたち以外全員寝ちゃいました」
「マジっすか」
よく見ると寝ていたのはすずと姫希だけではなかった。
あきらも凛子先輩も、そして唯葉先輩の隣に座っていた朝野先輩も、既に全員が目を閉じて舟をこいでいた。
なるほど、そうか。
そうしたら仕方がないな。
「じゃあ俺達も寝ましょう」
「えっ!? なんでこの流れでそうなるんですか!」
「話し声で全員起こしちゃったら可哀想でしょう。選手は試合に備えて寝てくださいよ」
「むむ。そう言われればそうなんですが……。あはは、実はちょっと緊張しちゃってそれどころじゃないと言いますか」
よく見ると若干足が震えていた。
十月末だと言うのに短パンなんて履いているからだろうか。
それとも武者震い?
なんて冗談はさて置き。
「心配しなくてもどうにかなります。俺が付いてるんで安心してください」
「頼もしいですね。本当は先輩でキャプテンなわたしがしっかりしなきゃいけないのに」
唯葉先輩はこの部で唯一まともな実力があった。
そしてキャプテンとして、人一倍努力しているのも見て取れる。
だが一方で、お手本にならなきゃという思考は自分にプレッシャーを与えかねない。
「唯葉ちゃん」
「はい」
「多分唯葉ちゃんは今日の試合で使い物になりません」
「……え?」
「どう見ても一番上手いので、集中的にマークされると思うんです」
高校バスケにマンツーマンディフェンスを強要するルールはない。
変な話、唯葉ちゃんに数人がかりでディフェンスが付いてくることだってあり得るのだ。
「確かに……。でも、わたしが突破口を開かなきゃ」
「無理とは言いませんが、そんなワンマンじゃ限界がきます。足とかにね」
「あ」
「緩く楽しんでください。仲間を信じるのもバスケです。そして、こいつらなら……まぁなんとかなるでしょう。俺もいますし」
「うん」
「で、相手の注意が逸れたところに、ガツンと決めてやりましょう。うちのちっちゃいキャプテンは強いんだと」
「そうですね! うちのちっちゃい――ってどさくさに紛れてなんてことを言ってますかこの後輩!」
「ははっ」
「笑いましたね!?」
できるだけ声量は抑えた状態で話していると、信号待ちの時に運転席から声が聞こえる。
「流石はコーチ君。妹の扱いが上手い」
「どうも」
唯葉先輩だけが不服そうに俺をジトッと見ていた。
しかし、既にその足に震えはなかった。
これなら安心である。
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