第101話 両手に花
それから、特に何事もなく平和な時が流れた。
すずは体調を整えて練習に戻ってきたくれたし、隣の席になった姫希とも何とか上手くやれている……と思う。
先輩二人は普段以上に真剣に練習に取り組んでいた。
やはり他よりも残り時間が少ないからか、試合が近づくと表情が締まってくる。
唯一あきらだけが若干そわそわしていたが、まぁいいだろう。
そんなわけでついにやってきた。
待ちに待った、念願のイベントが幕を開ける。
俺達の初陣、遠征合宿へ。
「おはようございます!」
土曜午前七時。
高校の体育館前に集合したメンバーを唯葉先輩の元気な声が出迎える。
その肩からは大きなバッグが下げられていた。
みんな口々に挨拶を交わす中、一つだけ見覚えのない顔があった。
唯葉先輩の隣に立っている、美人の女性だ。
明るめの髪とカジュアルな服装が、少し俺達の雰囲気になじまない謎の人。
「相変わらず美人ですね、お姉さん」
「凛子が言うと嫌味にしか聞こえないんだよ」
「お姉さん……?」
一人だけ状況を呑めていない俺が声を漏らすと、唯葉先輩が紹介してくれる。
「はい! わたしの姉です!」
「なるほど」
そう言えば唯葉先輩には姉がいると聞いていた。
姫希からも、唯葉先輩とは似ても似つかない大人っぽい人だと聞いていたような気がする。
確かに、実際に見ると凄いな。
顔をよく見ると、似ているのは似ているのだが、纏っている雰囲気が全然違うのがわかる。
「千沙山くん、どうしてわたしの顔とおねーちゃんの顔を見比べて首を傾げているんですか?」
「え? いや、全然」
「なんですかその態度は! 誤魔化すならちゃんとしてください!」
朝からぷんすかと怒る唯葉先輩。
そんな彼女を他所に、お姉さんは俺に興味深い目を向けてきた。
「君がコーチの千沙山君か。妹たちがお世話になってるみたいだね」
「いえいえそんな」
部活やこの前の合宿の時など、俺がこいつらの面倒を見ているのは事実だが、逆も然りだ。
困ったときに寄り添ってくれているという面では俺も支えられている。
と、挨拶を交わしていると唯葉先輩が言った。
「マイクロバスの運転はおねーちゃんがしてくれます」
少し前、移動手段について考えているときに、唯葉先輩に言われていたのだ。
宛てがあるから気にしなくていいと。
こういう事だったらしい。
となると、一緒に合宿に参加するという事だろうか。
成人した保護者が一人付いてくれるというのは少しありがたいな。
「ありがとうございます」
「気にしないで。もうそろそろ出発しようか」
「そうですね」
グダグダしている暇もない。
俺達は恐らく最弱校なので、先に到着しておくのが礼儀というものだろう。
俺達はそのまま近くに停めてあるマイクロバスに乗り込む。
そして何の気なしに一人席に座ろうとすると、すずに腕を掴まれた。
「……なんだよ」
「隣に座りたい。こっち」
「えぇ」
俺はバスに乗る際、誰かと隣に座るのがめちゃくちゃ嫌いだ。
身体がデカいせいで隣の人に気を遣うのも面倒だし、隣の人の荷物とかが気になって身動きが取れなくなる。
それなら初めから狭い一人席に座りたいのだ。
決してすずの隣が嫌なわけではない。
誰の隣でも嫌なのだ。
しかし、俺達が通路でそんなやり取りをしていると、当然後ろがつっかえる。
「ちょっと、何してるのよ」
「しゅうきの隣に座りたい」
「ふぅん」
じろっと姫希に見られて思い出す。
そう言えば、こいつとは一回だけバスで隣に座ったことがあったな。
未来が同乗していた恐怖の一夜だ。
あれは本気で怖かった。
「……あんたはダメよ。どうせ寝るんだから柊喜クンが暇になるじゃない」
「しゅうきの肩で寝る」
「ダメに決まってるでしょ! 不純だわ」
「……」
「な、何よ?」
「いや別に」
同じような状況で寝ていた奴が何を言っているのか、と思っただけだ。
今度は俺がジト目を向けると、姫希が気まずそうに目を逸らした。
こいつの記憶にもまだ残っていたらしい。
なんて言い合っていると邪魔だったのか、凛子先輩が俺達三人を押した。
「はいはーい。邪魔だから三人仲良く最後尾に座りなさい」
「ちょっと、何言ってるんですか!?」
「そうですよ。俺はそもそも一人で……」
「もういいから! ね、あきらもそれがいいと思うよね?」
「えっ? ……うん」
聞かれてぎこちなく頷くあきら。
そしてそれを見て笑う凛子先輩。
よくわからないが、結局言われるがまま一番後ろの席に座らされた。
左に姫希、右にすずだ。
両手に花とはよく言ったものである。
鬱陶しい。
「よしみんな乗ったねー? 行くよー」
そんなこんなでバスは出発した。
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