第702話 扇動多くして船山に上る

 トーマスはゲルハルトの部下である、ハインツはジョセルの部下である。これはある意味で代理戦争のようなものであった。ゲルハルト師弟は別に争うつもりなどないだろうが、トーマスとハインツは『こいつにだけは負けられない』と勝手に対抗意識を燃やしていた。


「往生せいやぁ!」


 トーマスの右ストレートがハインツの顔面にクリーンヒットした。手応え十分、これで終わりか。誰もがそう思った、ハインツ以外は。


「反吐ブチ撒けな!」


 お返しとばかりにハインツの拳がトーマスの脇腹に深々と突き刺さった。


 身体を『く』の字に曲げて悶絶するトーマス。一気に畳み掛けようとするハインツであったが、トーマスも怯まず反撃をしてきた。


 後はもう、足を止めての殴り合いである。その様子を観客たちは固唾を呑んで見守っていた。よくわからない、よくわからないが目の前で凄い事が起きている。


 観客席のゲルハルトが呆れたように呟いた。


「お遊びだって言っておいただろうに……」


 それは騎士たちを責めているのではなく、やっぱりこうなったかという意味での言葉であった。


 戦場帰りのふたりに『観客にルールを説明するための試合だから適当にやれ』と説明したところで納得するはずがなかった。手を抜いて戦い、負けたらへらへらと笑いながらステージを降りるなど、彼らの中にはない習慣だ。お遊びだと言うのであれば相手が負けてくれれば良いではないかとお互いが考えていた。


 ふたりの力量は互角である、しかし最初に食らった一撃が明暗を分けた。


 脇腹を痛めたトーマスは徐々に足の踏ん張りが利かなくなっていた。ほんの少し体勢が崩れたところに追撃の拳が放たれた。トーマスは身を捩らせてこれを避けるが、ハインツの左拳が顎を掠めた。


 ストン、と意識せぬまま膝を突く。すぐに立ち上がろうとするがその前にカロリーネがステージに駆け上がり、ふたりの間に割って入った。


「それまで、勝負あり!」


 ふざけるな、まだ戦える。そう言いたかったのだが侯爵家令嬢を相手に抗議など出来るはずもなく、イベントの司会進行としてカロリーネのやっている事の方が正しいのだともわかっていた。


 カロリーネは勝負ありとは言ったが、どちらの勝ちとも言わず勝者を称える事もなかった。これはただのエキシビションマッチ、観客に向けてのチュートリアルであり、勝者を決める為の戦いではないからだ。


 トーマスが顔を上げると、ハインツは勝ち誇っている訳でなくむしろ不満げであった。手応え十分の一撃で相手を沈めたのではなく、ただのラッキーパンチで終わってしまったのだ。これを勝利と喧伝する気にはなれなかった。


「……後でもう一回やるぞ」


「当然だ、このまま終われるか」


 互いの健闘を称える振りをしながら睨み合い、ステージを降りるトーマスとハインツの背に、市民たちから惜しみない拍手と称賛の声が与えられた。


 興奮冷めやらぬ中、カロリーネは大きく手を振って観客を静かにさせてから説明を始めた。


「試合の流れは見てもらった通りだ。グローブを嵌めての殴り合い。蹴り、肘、体当たりなどは禁止で使えるものは拳のみ。倒れるか膝を突くか、あるいはステージから落ちても負けだ。そしてこれから行う試合の勇敢なる闘士を……」


 バサリ、とカロリーネは純白のスカートを翻して宣言した。


「諸君らの中から募りたい!」


 再び湧き起こる大歓声。護衛の騎士がステージの下から刀を差し出し、カロリーネは身を屈めてそれを受け取った。


 刀を抜き、高く掲げて刀身に陽を反射させながらカロリーネは叫び続ける。


「優勝者にはこの刀を授けよう。魔術付与は一文字で魔剣と呼ぶには心許ないが……」


 護衛の騎士がカロリーネの眼前に薪を山なりに放り投げ、カロリーネは両手で強く握った刀を振り下ろした。一閃、薪は見事に真っ二つに割れた。


「切れ味は保証しようッ!」


 刀とは鋭さに重きを置いた武具である。そこに一字だけとはいえ切れ味向上の魔術付与を施し、カロリーネの腕が加われば投げられた薪を両断するなど容易い事であった。


「さあ、この戦いに参加したい馬鹿野郎はいるかぁ!?」


 カロリーネが聞くと、数百人の男たちが挙手して人混みを掻き分けステージの前に進み出て来た。


「……あれ?」


 予想外の事態にカロリーネは頬を引きつらせて固まってしまった。


 ノリの良い奴が五、六人も集まれば上等。誰もいなければ騎士団の中から血の気の多い奴を何人か選び出してステージに上げればいい。それだけのはずだった。


 数百人にトーナメント形式で戦わせれば夜通し続けたって半分も終わらないだろう。また、用意していたグローブも五セットしかないのですぐにボロボロになって使えなくなってしまうはずだ。


 どうしたものかと考えるカロリーネの側にスッとゲルハルトが音もなく現れ耳元で囁いた。


「カロリーネさん、今日のところは中止といたしましょう」


「本気か、いや、正気かゲルハルトどの。ここで中止などと言えば暴動が起きるぞ」


「後日改めて受付をし、抽選で出場選手を決めるのです。この場を収められるのは貴女だけです、最初からそう決まっていたかのようにお話しください。伯爵の許しも得ております」


「お前が煽ったのだからお前が何とかしろと、そう言いたいのか?」


「反論はいたしませぬ」


 ゲルハルトは物怖じせずハッキリと応えた。全ての責任をカロリーネに押し付けるつもりはないが、小娘が好き勝手やりやがってという気持ちもある。


 それしか方法はないようだとカロリーネは頷き、細かい日程などを詰めてからゲルハルトは目立たぬようステージの裏へと飛び降りた。


 カロリーネが再び市民たちに向けてよく通る声で語りかけた。


「皆の熱意、確かに受け取った! ではこれからの予定を発表しよう。まず三日後に城門前で受付を……」


 ゲルハルトはカロリーネの演説を背で聞きながら、白髪頭を掻いて歩き出した。


「さぁて、パトリックの奴をとっちめてやらんとな……」


 やるべき事はいくらでもあるが、まずはそれからだ。

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