第703話 ふたつの本能
すっかり溜まり場と化したパトリック工房の応接室にいつもの三人が集まっていた。特にゲルハルトはしばらく城に帰りたくないようであった。帰れば下級貴族たちに詰問、質問責めにされるのが目に見えている。
今回の一件で何もしていない連中から一方的に責められればその場でブン殴ってしまいそうだ。自分で自分の理性に自信が持てない。こうして時間を置くのはお互いの為である。
そしてもうひとつ、しっかりとお説教をしておかねばならない奴がここにいる。
「アホかお前は! あのな、カロリーネさんはエルデンバーガー侯爵家のご令嬢で、侯爵家ってのは偉いんだよ。そんな人にドスケベ衣装を着せるな!」
「いやあ、つい気分が乗ってしまいました。申し訳ありません」
さすがに今回はやりすぎたと思ったのか、パトリックは素直に非を認めた。
「下乳衣装ってかなりスタイルが良くないと着こなせないんですよね、それこそカロリーネさんくらいに。この機会を逃せば、あんな衣装を作れないなと思うと……、ねえ?」
「何が『ねえ?』だ、同意を求めるな!」
ゲルハルトがバンバンと机を叩き、パトリックは『すいませぇん……』と小声で呟いた。
「まったく、これで伯爵家と侯爵家の仲がこじれたらどうしてくれる」
「名刀を作ってお詫びにいくパターンですかね」
「そんな事でわしらを巻き込むな!」
叫びすぎて喉が渇いたのか、ゲルハルトがグッとビールを呷る。そのタイミングで今まで黙って聞いていたルッツが口を開いた。
「パトリックさんって、服まで作れるんですか」
幅広い才能を持つ男だと知っていたが、さすがにこれは装飾師の領分から外れているだろう。自分に当て嵌めて考えるならば、鍛冶屋だから大工仕事も出来るはずだと言われているようなものだ。出来ない。
パトリックはどこか嬉しそうに笑いながら手を振った。
「縫ったのはうちの嫁さんですよ。私はアクセサリー関係を少し手伝ったくらいで」
「へえ、家族全員芸術家ですか」
真っ直ぐに褒め、驚いてくれるルッツにパトリックは気を良くして何度も頷いた。
「カロリーネさんもすっかり気に入ってくださいましてね。嫁さんを侯爵領にお持ち帰りするんだって大騒ぎでしたよ」
「本当に気に入ってくれたんですね」
赤ら顔のゲルハルトがフンと鼻を鳴らして酒臭い息を吐き出した。
「確かに出来の良い衣装だった、カロリーネさんも着こなしていた。おかげで野郎どもがヒートアップして今回の騒ぎに繋がった訳だがな」
「闘争と性欲、ふたつの本能を同時に刺激されればそうもなりますね」
気持ちはわかる、とルッツは苦笑を浮かべていた。
「そもそもグローブを着けての殴り合い、カロリーネさん命名のツァンダー・ファイトクラブだが、あれは演武だけでは祭りが短すぎるからオマケとして付け加えただけだろう。何でこっちがメインになっておるんだ」
「そもそもカロリーネさんに新作の槍を渡そうってだけの話だったんですよね」
「雪だるまって、こうして出来上がるんだな……」
ゲルハルトはもう一度ビールを呷った。木製のジョッキになみなみと注がれていたのだが、もう空になってしまったようだ。
「パトリック、おかわり……」
「それは構いませんがね、お城に歩いて戻れなくなりますよ」
「帰る気はない、今夜は泊めてくれ。客間は用意せんでいい。ここでソファーに寝っ転がる」
「せっかくだから一緒に寝ますか?」
「勘弁してくれ。ジジイと中年男がベッドインだなんて、誰が喜ぶんだそんな絵面」
「うちの嫁さん」
「そうか。うん、そうか……」
返す言葉も見付からず、曖昧に頷くしか出来ないゲルハルトであった。
パトリックは立ち上がり台所へと向かった。
ルッツがビールで軽く喉を湿らせてから言った。
「カロリーネさんが次のイベントまで残ってくれるのはありがたい事ですね。今さらいなくなられてはそれこそ暴動一直線でしょうから」
「責任を感じているのか、面白がっているのかどっちだと思う?」
「両方でしょう」
だろうな、とゲルハルトは小さく頷いた。
ドアが開かれ、手にジョッキと干し肉を持ったパトリックが戻って来た。
「おうパトリック、お主にひとつやってもらわねばならん事がある」
「はて、何でしょうか?」
「これからの予定だが、三日後の正午からファイトクラブの参加者受付を開始する。そこで参加希望者には木札に焼き印を捺したものを配り、祭りの当日に抽選をして三十二人を選び出す」
「一日で終わらせるトーナメントにしては人数が多いですね」
ルッツが聞くと、そこも考えているとゲルハルトは頷きながら応えた。
「ひと試合で五分もかからん形式だからな。サクサク進めていけば開会式と閉会式を合わせて半日で終わるのがそれくらいだろう」
「そうだ、五分で決着がつかなかったら槍を持ったカロリーネさんが乱入するとかどうですか?」
素晴らしいアイデアだとばかりに手を叩くパトリックを、ゲルハルトはジロリと睨み付けて黙らせた。
「さてパトリック、お主の仕事だが焼き印を作ってくれ。簡単には偽造できない、精巧な奴をだぞ。予定が詰まっているから一日でやれ」
「無茶を仰る。お代はいかほどで?」
「タダでやれ」
「くぅん……」
やりたくないと顔に書いてあるパトリックにゲルハルトは優しげな、どこか心配するような表情で言った。
「それで今回の件は不問にするよう伯爵に進言してやる。これくらいで済ませるのはむしろ温情だぞ」
「わかりました。デザインはどうするかな、拳をメインにした格好良くて簡単に出来る奴が……」
パトリックは自分の世界に入った。ゲルハルトは宣言通り城には帰らぬつもりのようで、つまらなさそうな顔で寝転がり干し肉を齧っている。
今日はこれで終わりだなと、ルッツは音を立てぬように部屋を出た。
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