第701話 炎の花嫁
祭りの日がやって来た。中央広場は足の踏み場に困るほど市民が集まる大盛況であった。
誰もが娯楽に飢えていた、季節外れの祭りに興味を引かれていた。エルデンバーガー侯爵家の破天荒令嬢をひと目見たかった。また、ツァンダー伯爵領内で高品質の武具が生産されていると誰もが知っているが、実際に見た者はごく一部であり、ルッツ作の名槍が一般公開されると聞いて集まって来たのだった。
槍のお披露目会など見たがるのは物好きなごく一部だろうという考えは完全に外れてしまった。警備の騎士が急遽増員され、非番の者たちまで駆り出されステージの周囲を守るように配置された。
「大丈夫なのか、これは?」
特別席に座るマクシミリアン・ツァンダー伯爵が相談役のゲルハルトに不安げな表情で話しかけた。
「やるだけの事はやりました」
後はなるようにしかならない、腹を括れとゲルハルトは引き締まった表情で応えた。市民たちからざわめきが上がり、マクシミリアンたちも視線を向けた。
飾り付けがされて元が処刑台であった事を忘れさせるステージ、そこにゆったりとした動きで現れたのは純白のドレスを身に纏った花嫁であった。
「うん……、うん?」
こんな演出は聞いていないぞとマクシミリアンは首を傾げた。ゲルハルトも訳がわからないといった顔をしている。
花嫁衣装と呼ぶには少々露出が多すぎるかもしれない。スカートには深いスリットが入り、扇情的な生足をチラチラと覗かせている。胸元は少し変わった開き方をしており、南半球を露出している格好だ。
顔を覆うベールを勢いよく剥がして放り投げると、その下から現れた女性の美しさに市民たちは大盛り上がりであった。カロリーネである。
少し離れた招待客たちの席へと眼をやると、長老とその弟子たち、ルッツとクラウディア、木こりのバリオと彼の妻子は唖然として固まっていた。どうやら彼らもこの演出は知らされていなかったらしい。
ただひとり異質な反応をしている者がいた。
「よぉし、よぉし!」
と、拳を握り締めて満足げに叫ぶ男は装飾師パトリックである。隣に座るレオナは父の仕業と知って呆れ果てているようだ。
やりやがったなあの野郎、とゲルハルトはパトリックを睨み付けるが、それ以上の事は何も出来なかった。今さらカロリーネをステージから引きずり下ろし祭りを中止させる訳にはいかなかった。
カロリーネは護衛の騎士から『炎舞槍』を受け取り、掲げて見せた。市民たちから歓声が上がる、色鮮やかな朱槍は遠く離れたところからでもよく目立った。
槍を持つ手に力を込めると、ボゥと音を立てて炎が宿った。
……さあ行こうか相棒、見る者全てを魅了してやろう。
カロリーネは大胆不敵な笑みを浮かべ、まずはゆっくりとした動きで槍を振るった。徐々に動きは速く、激しくなっていく。扇情的な花嫁姿のカロリーネが生み出す朱槍と炎の軌跡は幻想的であり、市民たちの歓声はやがてうっとりとした吐息に変わった。
護衛の騎士が薪を山なりに放り投げる。カロリーネがそれを槍で切り裂くと、真っ二つに割れた薪は一瞬で燃え尽き塵となって風に散った。
さらにもうひとつ投げられる、今度は真っ直ぐに貫きこれも激しく燃え上がる。
ゲルハルトは白髭を撫でながら『むぅ』と唸った。伯爵領最強の剣士である彼が眼を見張るほどの技量である。
これは後から知った話なのだが意外に根が真面目なカロリーネは祭りが始まるまでの間、槍が保管されているパトリックの工房に通い詰めて練習していたらしい。花嫁衣装もその時にパトリックと話し、悪ノリに近い形で用意させたのだろう。
ビシリ、と音がしそうなポーズを決めてカロリーネは演武を終えた。顔に玉の汗を浮かせながらグッと拳を突き上げると、市民たちから地を揺るがすほどの大歓声が巻き起こった。
「なるほど、華があるな」
と言ってマクシミリアンは苦笑いを浮かべた。貴族としての人気を全て持っていかれてしまった、今ここに伯爵であるマクシミリアンが座っている事など誰も気に止めてはいないだろう。悔しいと思うのと同時にカロリーネが魅力的であり盛り上げ上手である事をマクシミリアン自身が認めてしまっているのだ。ならばもう、笑うしかあるまい。
「閣下もステージに上がり『鬼哭刀』を振ってはいかがですか」
ゲルハルトの言葉にマクシミリアンは一瞬だけキョトンとした表情を浮かべ、次に冗談はよせとばかりに手を振った。
「それが出来るほど私は自信家でも間抜けでもないつもりだ。あれだけの演武を見せられた後で拙い剣技を披露して、権力にものを言わせて市民たちに無理矢理拍手させるというのは惨めに過ぎるだろう。お主とて魔剣持ちであろう、やってみてはどうだ?」
「あの色気に対抗する為には全裸にでもなるしかありませんが、よろしいですかな」
「止めておこう、暴動が起きる」
と言って、主従は顔を見合わせて笑った。
ステージに視線を戻すとそこではカロリーネが槍を高く掲げながら市民たちに向けて声を張り上げているところであった。
「さあさあ皆の衆、祭りはまだまだ終わらないぞ! ツァンダー・ファイトクラブの開催だ!」
「おおッ!……おお?」
何となく流れで応じた市民たちであったが、冷静に考えると何の事やらさっぱりわからなかった。
カロリーネが振り返って合図をすると、若い騎士と中年の騎士が両手に革のグローブを着けてステージに上がって来た。第一騎士団のトーマスと、第三騎士団長のハインツである。
「説明するよりまずは見てもらった方が早いだろう。それではふたりとも、後は頼む!」
カロリーネは槍を担いでピョンとステージから飛び降りた。
これは遊び、ほんのお遊びである。そのはずだが対峙する騎士たちの視線は鋭く、殺気すら放たれていた。
「伯爵の親衛隊が見回りより弱いって訳にはいかないからな、本気でやらせてもらうぜ」
「城勤めでお口だけは達者になったようだな」
ふたりの手に見えない剣が握られているかのような緊張感が漲っていた。面白くなってきたなと、カロリーネは口元を歪ませながら右手を高く挙げて叫んだ。
「試合、開始ぃ!」
二頭の獣が今、解き放たれた。
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