第698話 精霊の舞い
「なんだってぇ!?」
カロリーネとゲルハルトがルッツ工房を訪れ、新作お披露目会に伯爵が参加する事と開催場所を街の広場にしてお祭り騒ぎにする事を伝えると、ルッツは嫌そうな顔をした。それはもう、もの凄く嫌そうな顔である。
「ちょっとちょっと待ってくださいよ。俺は昨日、長老とパトリックさんにお披露目会について話したばかりなんですよ。それをまたすぐに予定変更って……」
「上司の思い付きひとつで予定が変わるなんて事はよくある話だ。悪いがルッツどの、これは決定事項と諦めてくれ」
ふざけるなと言いたいところであったが、ゲルハルトの口調があまりにも悲哀に満ちていたものであったので、反論が出来なくなってしまうルッツであった。彼の人生に一体何があったのか、そこにはあまり触れない方がお互いの為である気がした。また、この件は決してゲルハルトのせいという訳ではないのであまり文句を言い過ぎるのも悪いと考えたのだった。
「わかりました、予定変更は受け入れます。ただ、長老とパトリックさんに伝えて謝るのには一緒に来てくださいよ」
「わかった、それくらいはな」
「それと……」
と言って、ルッツは唸った。こちらの問題はなあなあで済ませて良い事ではない。
「槍の製法を教えていただいたお礼に長老たちをお招きするという計画が台無しになってしまうのですが」
「奴らを排除する訳ではない、ただ誰もが見られるようになっただけだ」
「お礼という目的がブレてしまうじゃないですか。そこだけは何とかしたいなと」
「何らかの特別扱いをしろと、そう言いたいのだな?」
はい、とルッツはハッキリと応えた。本来招待客であったはずの長老たちに、他の市民たちと同じ扱いをしろと言うのでは筋が通らない。自分の事ならば大抵は『まあいいや』で済ませるルッツだが、他者へのお礼となれば引き下がる訳にはいかなかった。
どうすればよいかと頭を悩ませるルッツとゲルハルト。そこに今回の元凶とも言えるカロリーネが口を出した。
「ならば最前列に席を用意しよう。伯爵の為に特別観覧席が用意されるはずだから、その下あたりにな。周囲の観客たちから、あの席に座っているのは誰だ、長老とその弟子たちではないか、伯爵のお側に席を用意されるとはよほどの功績を立てたに違いあるまい、などと噂される事になるだろう。どうだ?」
「それならば長老の工房も評判が上がるでしょうし、よろしいかと」
ルッツが納得し、カロリーネは嬉しそうに頷いた。ゲルハルトだけが『また仕事を増やしやがって』と苦い顔をしている。
「はてさて、ずいぶんと規模が大きくなったなあ」
カロリーネがニヤニヤと笑いながら言い、ルッツとゲルハルトは『あんたのせいだよ』と眉をひそめた。
「これで槍の出来がショボかったら何もかも台無しだな」
「はぁん?」
カロリーネの挑発に、ゲルハルトが即座に食い付いた。
「侯爵家のジョークとは面白いものですなあ。よろしい、今から見に行きましょう」
「アタシが槍を気に入らなかったらどうする?」
「祭りの出し物を職人総出の街一周全裸ランニングにでも変えればよろしい」
「自信たっぷりだな。それとも合法的に全裸を披露したいのか?」
「カロリーネ様こそ、ステージの上でポールダンスでもしてはいかがかな?」
「ははは、それも面白いな」
「あっはははは」
ゲルハルトとカロリーネは握手を交わし、睨み付けながら笑い合うという器用な事をやっていた。
そんなふたりのやり取りを見ながらルッツはぼそりと呟いた。
「職人総出って、俺も……?」
ゲルハルトが振り向き、当然だろうとばかりに力強く頷いた。
今このジジイを殴っても法に触れない気がする。ついそんな物騒な事を考えてしまうルッツであった。
「ははあ、そういう事になっていましたか」
工房に出向いて説明をすると、パトリックは多少の不満は抱えつつも頷いてくれた。
出来ればお披露目会は自分の工房でやりたかったのだが、依頼人であるカロリーネが派手にやりたいというのであれば従う他はない。また、伯爵家当主と侯爵家令嬢が絡んでいる話ならばノーと言えるはずもなかった。これは相談ではなく決定事項の伝達だ。
愛娘の結婚式は身内だけでひっそりやりたかったが、新郎側の都合で大々的に行う事になったような気分である。当人らが納得しているのであれば、親が首を突っ込んで自分の好みを優先させるような真似は野暮なのだろうと、パトリックは寂しげな顔をしながら受け入れたのだった。
「それにしても、カロリーネさんにお見せする為のお披露目会で、当のご本人がその下見をしようというのもおかしな話ですなあ」
「違いない。まあ、卒業式の予行練習みたいなものだ。何をやらされているんだという疑問は残るが、儀式を円滑に進める為には必要な事だぞ」
パトリックとカロリーネがそんな話をしていると、弟子たちが台座に乗せられた朱槍を引っ張ってきた。
「ほう、これは……ッ」
カロリーネは眼を見開き台座に駆け寄った。血とも花とも呼べる鮮やかな朱、見る者全てを魅了する素晴らしい色だ。
「皆朱の槍とは、趣味の世界だな」
「お気に召しませんでしたかな?」
ひと目で気に入ってもらえた、そうとわかっていながらゲルハルトは意地悪く笑いながら声をかけた。
まさか、とカロリーネが首を横に振った。気に入らないなら別の物に、などと言われてはたまらない。
「ゲルハルトどのが自信を持つのも当然だ、つまらぬ挑発をしたアタシが悪かった。これはアタシがお詫びに全裸マラソンをするべき場面だろうか?」
「我々が処刑台に乗せられますので、どうかご勘弁を」
この娘にはかなわんなと、ゲルハルトは苦笑を浮かべた。
カロリーネが槍を掴み、穂先を包む袋を外して軽く振って見せた。穂先に炎が宿り、振る度に真紅の軌跡が描かれる。
「気に入った。いや、ようやく出会えたのだな」
槍に優しく語りかけ、本格的に力強く槍を振り回した。槍と共に炎が舞い踊り、長く美しい銀髪が揺れ、上気した顔で艶めかしい肢体をくねらせる。まるで炎の精霊が舞っているかのような光景に、護衛の騎士や弟子たちは口を半開きにして見入っていた。
「誰もが精霊に恋をする、といったところでしょうか」
パトリックが眩しげに眼を細めて呟き、ロマンチックに過ぎるなと思いつつゲルハルトも同意するように頷いた。
「悔しいが『炎舞槍』はカロリーネ嬢にお似合いだ。もう、欲しいから寄越せとは言えなくなってしまったな」
ゲルハルトとパトリック、そこにルッツも加わって、寂しくも満足げな顔で精霊の舞を眺めていた。
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