第697話 転がる岩のように
マクシミリアン・ツァンダー伯爵の私室にて、マクシミリアンとカロリーネが談笑していた。ゲルハルトも一応同席しているが、会話に加わるつもりはなかった。質問された時だけ応えればよいと。
ちなみにカロリーネを連れてきたルッツはこの場にいない。
『そうした場に平民が同席する訳にはいかないでしょう。それと俺は、長老やパトリックさんにも話を通さねばなりませんから』
などと言ってさっさと城から出て行ってしまったのだ。
言わんとするところはわかる、筋も通っている。しかしゲルハルトから見れば、
『あの野郎、じゃじゃ馬娘を押し付けてにげやがったな』
としか思えなかった。
「ほほう、新しい槍の受け取りに来られたか」
マクシミリアンは穏やかな表情で頷きながら、一瞬だけ鋭い視線をゲルハルトに投げかけた。おい、聞いていないぞと。ゲルハルトは視線に気付かないふりをしてこれをスルーした。
これはカロリーネとルッツの個人的な契約であり、ゲルハルトとパトリック、そして木材を用意したバリオなどもルッツの依頼を受けて仕事をしただけである。
と、言いたいところであるが貴族が絡んでいる以上、情報くらいは事前に仕入れておきたかっただろうし、相談役というゲルハルトの立場からすればそうするべきであった。
武具の性能を依頼人の許可なく、勝手に事細かく説明してしまうのは守秘義務に反するかもしれないが、カロリーネから依頼を受けたという事くらいは話すべきだった。謁見の間で畏まって報告などせずとも、雑談の中に混ぜておけばよかったのだ。
ゲルハルトは意識して話さなかったのではない、完全に忘れていたのだ。一字、二字が入る刀を大量に確保し、魔術付与し放題。その後でルッツの新作を扱えるという事で少々浮かれていたようだ。
「……それで、せっかくだから大規模なお披露目会をやろうという事になりまして。準備が整うまで滞在させていただければと」
「そういう事ならば喜んで。我が家と思っておくつろぎ下さい」
カロリーネの頼みをマクシミリアンは快く引き受けた。カロリーネとお付きの騎士たちの世話をするだけで、大事な取引相手であるエルデンバーガー侯爵家の好感度が稼げるならば安いものだ。
「実家と思うのは少しまずいですね、服とか脱ぎ散らかしてしまいそうです」
「あっはっは、ご冗談を」
マクシミリアンは愉快なジョークと思って笑い飛ばしていたが、ゲルハルトの感想は少し違っていた。このお嬢さんは本気で言っているのではなかろうかと。
「ルッツの新作、槍、お披露目会か。ふぅむ……」
マクシミリアンは急に俯いて唸りだした。
「カロリーネさん、私もその会に参加してもよろしいだろうか?」
「え?」
ゲルハルトとカロリーネの口から同時に驚きの声が漏れた。そして、その後の反応は真逆であった。
濃い連中に囲まれているせいで忘れがちだが、このお方は武具の好事家であったなとゲルハルトは思い出した。マクシミリアンが見たいと言い出すのにも納得がいく、しかし職人たちが集まる新作武具お披露目の場に伯爵が出向くというのはどうなのだろうか。警備の問題は自分と騎士たちが側にいればよいとしても、皆が伯爵に遠慮をして場の空気が微妙な事になったりはしないだろうか。
一方でカロリーネは最高のアイデアだと言わんばかりに、パンパンと手を叩きながら喜んでいた。
「素晴らしい、実に素晴らしいアイデアですマクシミリアン卿。いっその事、長老やパトリックの弟子たちのみならず、城砦都市に住む全ての職人を招きましょう」
いや、とカロリーネは軽く首を振って話を続けた。
「さらにおかわり、もう一声! 市民の誰もが見物できる大規模なお祭りにしてしまいましょう。飾り付けをして……、屋台なんかも出して。ねえ?」
「お待ちを、しばしお待ちを」
ゲルハルトが『こいつは何を言っているんだ』という戸惑いを抑えながら言った。
「パトリックの工房がいくら広いと言っても、全市民を出入りさせる事など不可能です。ましてや屋台などと……」
「城へ来る途中、大きな広場を見かけました。恐らくは布告や処刑などを執り行う場所なのでしょう。実際に祭りなども行っているのではありませんか?」
「それは、まあ、はい。しかし皆から見えるようにするとなると、ステージなどを用意しなければなりませんな。さらに一ヶ月ほどかかってしまうかもしれませぬぞ」
お前にも予定があるだろう、やる事やってさっさと帰れ。ゲルハルトが無言の圧力をかけるが、カロリーネはふふんと得意げに笑って受け流した。
「そんなもの、処刑台でも使えばよろしい。適当に飾り付けでもすれば見栄えも良くなりましょう」
「いやいやいや、侯爵家のご令嬢を処刑台に乗せる訳にはまいりませんぞ」
「何を言われますかゲルハルトどの。武具とは本来、人を殺す為のもの。人殺しの道具を持って処刑台に上がる事に何の問題がありましょうや」
「そう言われてしまうとそうなんですが、まいったな……」
「おいゲルハルト、納得をするなッ!」
マクシミリアンからのツッコミも入り、どうやってこの話を中止させようかと悩んでいると、トントンと控えめにドアをノックする音が聞こえた。
入れ、とマクシミリアンが声をかけると、背筋がピンと伸びた侍女頭の老婆が現れ恭しく一礼した。
「お部屋のご用意が整いました」
「ん、そうかッ」
カロリーネはガタリと大きな音を出して立ち上がった。
「それではマクシミリアン卿、お話の続きはまた後で」
「あ、はい……」
止める間もなくカロリーネは侍女頭の肩を抱いてさっさと出て行ってしまった。台風一過、男ふたりが取り残された部屋は気味が悪いくらい静かに感じられた。
「後でエルデンバーガー侯爵に怒られたりしませんかね」
ゲルハルトが聞くと、マクシミリアンは軽く思案してから応えた。
「ルッツが謝りに行けばいい、それくらいはあいつにやらせろ」
初めて意見が一致したなとばかりに、ふたりは頷き合った。
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