第696話 令嬢災害
ルッツはカロリーネと護衛の騎士たちを二階の居間に招き入れ、事情を説明した。以前、カロリーネの父であるベオウルフ・エルデンバーガー侯爵もここへ招いた事があると考えると、何とも感慨深いものがある。
「……と、いうわけで。槍が出来上がったのはつい最近で、侯爵領へ向かう日程を調整中だったのです」
「ふぅン」
嘘は言っていない。ただ、それが半年後くらいになりそうだという話である。カロリーネは疑わしいと感じているようだが特に何も言わなかった。結果として名槍が手に入ればそれで良しだ。問題はその槍が納得のいく出来かどうかである。
「よしわかった、ならばその槍を見せてもらおうじゃあないか。このカロリーネ姐さんに相応しい物かどうか」
カロリーネはテーブルに両手をついてズイと身を乗り出して来た。近い、顔が近い。距離感がおかしい美女というのも困ったものである。きっとこうやって多くの男を惑わせ勘違いさせてきたのだろう。
相手は侯爵令嬢である、適当にあしらう訳にはいかなった。そもそもルッツ自身、この状況に悪い気はしていない。つい『いい匂いだな』などと考えてしまっていた。隣に座るクラウディアが冷たい視線を向けてる事に気付き、ルッツはコホンとわざとらしく咳払いをした。
「ここにはありません、装飾師の工房に預けてあります。刀と違って大きいもので」
「そうかそうか。ならば行こう、すぐ行こう」
満面に笑みを浮かべるカロリーネに対して、ルッツは少し困ったような顔をしていた。
「その事なんですが、お披露目会にひとりお招きしたい人がいるのですが、よろしいでしょうか」
「武人の槍を赤の他人に見物させようってのか?」
「はい、実は……」
ルッツは鍛冶親方衆筆頭、長老という男に槍の製法を教わった件について語った。槍作りに関しては我が師も同然、是非とも完成品を見てもらいたかった。まだカロリーネに渡すまでに余裕があると考えていたので、どんな場を整えようかと先延ばしになっていたのだ。依頼人であるカロリーネが他人に見せたくはないと言えばそれまでである。
眉根にシワを寄せて聞いていたカロリーネが、急に表情を緩めた。
「うんうんなるほど。師に対して成果と成長を報告する、筋を通すというのはとても大切だ。このカロリーネ、お前の男気を確かに知ったぞ」
と言って、豊満な胸をポンと叩いて見せた。
「師弟の絆と礼節を無下にするほど私のケツ穴は小さくないつもりだ。そのご老人のみならず、工房の職人全員集めてやるがいい。職人にとって本物を眼にする機会は大事なのだろう?」
カロリーネの顔からルッツ工房を襲撃した時の苛立ちは完全に消えて、今はすっかりノリノリである。
こうした『話のわかる姐さん』というところが騎士たちに人気がある理由なのだろうと、ルッツは頭の片隅で考えていた。
「ありがとうございます、きっと長老とお弟子さんたちも喜んでくれる事でしょう。しかしそうなりますとお披露目会の規模がかなり大きくなります。長老とパトリックさんに話を伝えて準備を整えてもらうので、即日という訳にはまいりませんが」
「む、そうか。良いと言ったのは私だ、今さら撤回するつもりはない。男の前でパンツを脱いで、何もせずにまた穿くような無粋な真似はせぬ」
「吐いた唾は飲めない、くらいの表現じゃダメだったんですかねえ……」
「わかりやすいっていうのは大事だろう?」
「それはまあ」
何故か得意げな顔をしているカロリーネに、ルッツは反論する気力を失ったように頷いた。
「それで、どれくらいかかる?」
「三日ほどいただければと」
「わかった、それまでこの家に泊めてくれ」
「へ? いえいえ、いけませんよ。この家に貴人をお泊め出来るような部屋はございません」
ルッツは慌てて手を振って断った。
「おいおい何を言っているんだルッツ。私をダンスホールで腰を振るしか能のないお嬢様方と一緒にするなよ。魔物討伐の遠征で野宿する事など日常茶飯事だ。スイートルームなど要求はしない、屋根さえあれば上等だ」
「外にいるならそれも致し方ない事でしょうが、城塞都市内でそれは通じないでしょう。そもそもこの家に客間と呼べるものがないのです、侯爵家御令嬢を埃の積もった板の上に転がす訳にはいきません」
「客間がないのか? 貴族が訪ねてきた時はどうしているんだ?」
「カロリーネさん、お忘れかもしれませんが俺は平民ですよ。大貴族を居間にお通しするというだけでもかなり非常識な事です」
本当に何故こうなったのかと首を横に振るルッツであった。
「ならば何処に泊まろうか。あ、そうだ。娼館の中を一度見てみたいと思っていたのだが……」
「ちょっと待ったぁ!」
ルッツとクラウディア、そして護衛の騎士ふたり。計四名から同時にツッコミが入った。
「伯爵の城へご案内いたします。しばらくはそこに泊まってください」
ルッツがチラと騎士たちに視線を送りながら言い、騎士たちもそれならばと頷いた。
「そうか、面白味には欠けるがそれが妥当かもな」
続いて年嵩の騎士が城に泊まるメリットを補足するように口を開いた。
「はい、それとマクシミリアン・ツァンダー伯爵に一言ご挨拶しておくのもよろしいかと」
「個人的な用件で来たのだが、侯爵家の娘に素通りされて良い気はしないか」
「ご明察にて……」
意見を素直に聞いて取り入れてくれた上官に、年嵩の騎士は嬉しそうに頷いた。
「よしわかった、すぐに行こう。ルッツ、案内を頼む!」
そう言ってカロリーネとふたりの騎士はドタドタと音を立てて階段を降りて行った。
居間に取り残されたルッツが、酷く疲れた顔でクラウディアと顔を見合わせた。
「それじゃあ、行ってくる……」
「うん、気を付けて……」
ルッツはすっかり冷めてしまった食べかけのスープを一気に流し込むように食べて、愉快な主従の後を追った。
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