第695話 野生の嗅覚

 銘を彫って完成させると、次にルッツは槍を構えてみた。決して軽いとまでは言えないが、重量バランスが良いので扱いやすい。依頼人である暴れん坊レディ、カロリーネはこれをどう評価するだろうか。


 武具というものはある程度の重さがなければ逆に扱いづらいものである。侯爵領でカロリーネと共に戦った事を思い出す。彼女ならばわかってくれるだろうという信頼が湧いてきて、あまり心配はしていなかった。


 力を込めると穂先から炎が吹き出す。振ったところで消える事もなく、大きく振り回して炎の軌跡を描くのが楽しくなってきた。


 いつまでも振っていたかったのだがパトリックがお菓子をねだる子供のような顔をしているので、仕方なく力を緩め炎を消してから渡した。パトリックは腰が引けて構えも無茶苦茶だが、それでも楽しそうに槍を振り回し出した。


「危ね、ちょっ、パトリックさん、危ねぇ!」


 と言ってバリオが逃げ回る、そんな彼の口調もどこか楽しそうであった。


「どうだ、ご感想は?」


 ゲルハルトがルッツの背後に歩み寄って聞き、ルッツは振り返らぬまま応えた。


「火遊びというのはいくつになっても楽しいものですね」


「今晩おねしょしなけりゃいいけどな」


 などと言ってふたりはゲラゲラと笑い合った。


「それで、あの破廉恥ガールは火遊びが好きなタイプだろうか?」


「大好きでしょうね、渡したらまずいレベルで。でも頭を抱えるのは俺たちじゃなくてエルデンバーガー侯爵なのでいいんじゃないですか」


「ひでえ話だ、最高だな」


 見ると今度はバリオが槍を持ち、パトリックがはしゃぎながら逃げている。中年男が槍を持ってキャッキャウフフ、なんとも奇妙で物騒で微笑ましい光景であった。


「それと、ひとつ問題があるのですが……」


 ルッツが声を落として言った。


「何だよ、おっかねえな」


「いえいえ、槍に問題があるとかそういう話ではないです。あの槍をどうやって届けようかなと」


「どうって、普通に馬車に乗せてだろう」


 こいつは何を言っているのかと、ゲルハルトが怪訝な顔で聞いた。


「槍を届ける為だけに馬車を出すのも何だかなあと。つい最近、王都方面に行ったばかりじゃないですか。特にこれといった用事がないんですよね」


 ゲルハルトは『むぅ』と唸って考え込んだ。依頼の品が出来上がったのだからすぐにでも渡したいところだが、エルデンバーガー侯爵領はとても気軽に行けるような場所ではない。槍を渡すだけでなく、他にも用事がある時に行きたかった。


「物が物、相手が相手なだけに他の行商人に頼むという訳にもいかないでしょうからねえ。賊に襲われて盗られましたというのもシャレになりませんし」


「直接渡すのが大貴族に対する最低限の礼儀だろうな」


「そう……、やっぱりそうですよね」


 別に痒くもない頭を掻きながら悩むルッツに、ゲルハルトは実にあっさりと言った。


「……ま、良いんじゃねえか。しばらく放っておけば」


「良いんですか、それ」


 大貴族が相手だと言ったばかりである、矛盾しているではないかとルッツは眉をひそめて聞いた。


「名刀名槍を依頼して出来上がりが数年後なんて事はよくある話だ。侯爵領から戻ってまた半年も経っておらんのだ、いくらでも言い訳は出来るだろう。それに、あのお嬢ちゃんに渡すまではわしらで遊べるしな」


 相変わらずとんでもない事を言いやがる、と思ったがルッツは指摘せずにいた。正直なところ自分も遊び足りないし、槍の製法を教えてくれた長老にも見せたかった。


「そうですね、カロリーネさんには悪いですがもう少し待ってもらいましょう」


 ルッツが半ば開き直りに近い形で頷いた。


「さてルッツどの、わしはもう帰るよ」


「あれ、もういいんですか?」


「中年男の珍妙なダンスをいつまでも眺めていられるほど暇じゃないからな」


 そう言って欠伸をしながら背を向け、さっさと工房から出て行ってしまった。徹夜明けだったのだろう、それでも槍の完成を一刻も早く見たくて来てくれたのだ。


「ありがとうございます、ゲルハルトさん」


 ルッツは遠ざかる老人の背に向けて礼を言った。




 名作が出来上がったという気配に対する嗅覚は職人だけが持ち合わせているものではないらしい。


 お披露目会から数日後の正午、ルッツとクラウディアが談笑しながら昼食をとっていると、無遠慮にドアを叩く音が聞こえてきた。


「おいルッツ、いるんだろう? アタシだ!」


 何とも面倒臭そうな客である。居留守を使えばそのうち帰るのではないかと期待していたが、ドアを叩く音はむしろ強まるばかりであった。


 ドアを壊されてはたまらないと、ルッツは仕方なく立ち上がった。少しだけ迷ってから壁の刀置きに掛けていた愛刀『夢幻泡影』を腰に差し、ゆっくりと階段を降りた。


「何処のどちらさんで?」


 ルッツはドアから数歩離れた地点で、刀の柄に触れながら聞いた。もしも相手がドアを破壊して入って来たならば、その場で斬り捨てるつもりだ。


「アタシの声を忘れたか!? カロリーネだ、エルデンバーガー侯爵家の! お前の依頼人だ!」


「カロリーネさん?」


 なんとなく聞き覚えのある声だと思っていたが、納得がいった。しかし彼女が何故こんな所にいるのかという点についてはまだ理解が追い付かなかった。


 いずれにせよ侯爵家のご令嬢をドアの前で放置という訳にはいかない。ルッツは慌てて内側に掛かっていた閂を外してドアを開けた。


 ドアの隙間から美しい銀髪の女性が顔を出した。深いスリットが入り艶めかしい太ももをさらけ出した改造執事服をこうまで着こなせるのは彼女しかいないだろ。間違いなく本物だ。


 身体を滑り込ませるように工房へ入って来たカロリーネが、いきなり指先でルッツの額をぺしりと弾いた。


「あたっ、何をするんですか」


「アタシの槍はどうした?」


 ルッツの抗議を無視してカロリーネが問い詰めた。


「いやぁ、それはまだせいさ……」


「制作中、などとは言うなよ。お前ほどの腕があればもう出来上がっているはずだ。待ちきれないから取りに来た!」


「はい……」


 カロリーネの圧力を前にして、ルッツは言い訳を考える事すら出来なかった。


 後から護衛の騎士ふたりが入って来た。彼らの顔には見覚えがあるような気がした。ふたりがルッツの顔を見て『うちの姫様がすいません』とでも言うようにぺこりと頭を下げた。


 通常、騎士は平民に頭を下げたりはしない。それが大貴族に仕える者たちならばなおさらだ。ならば彼らは個人的にルッツに対して敬意を抱いているという事になる。そこでルッツはようやく思い出した、彼らは共に錬禁呪師と戦った者たちだと。

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