第694話 炎舞
会合の後もバリオは村に帰らず、パトリック工房に泊めてもらっていた。名槍作りに少しでも多く関わっていたかったからである。
パトリックはバリオの申し出を快く受け入れた。工房には空いている部屋はいくつもあり、木材の扱いに長けた者に指導を受ければ自分にも弟子たちにも良い経験となるだろうと考えたのである。
職人とは頭の固い連中ばかりだという先入観を持っていたバリオは、パトリックの柔軟性に少し驚いてもいた。
……この人は自分の技術を高める事に誰よりも真剣なんだ。だから年下の、全く別の業種の人間に教えを乞う事に抵抗がない。頑固職人という言葉を他者から学ぼうとしない言い訳に使わない人なのだろう。
刀鍛冶ルッツとはまた違った形でこの人もまた一流の職人なのだとバリオは再確認した。
伯爵領の三職人は互いに尊敬しあい、良い影響を与えあっているのだろう。その中に自分も入れて欲しいという欲求はさらに強まってきた。正確に言えばバリオは職人ではないので四職人と呼ばれる事はないだろうが、三職人がいつも頼りにしている材木業者という地位に納まりたかった。
炎の魔人に村を焼かれ、頭領であった父はその地位を押し付けて出て行ってしまった。村を復興させるという大仕事がいきなり肩へとのし掛かって来たのである。
これは自分にしか出来ない事だ、責任を放り出すつもりもない。それでも、己の一生は村を復興させる事だけに消費されるのかと思えば鬱々とした気分になる事もあった。
それが今になって急に目標が出来たのである、目の前に道がパッと開けたような思いであった。
会合から一週間、それはバリオにとって新鮮で夢のような時間であった。
パトリックの弟子たちと木材の扱いについて語り、木片を使った彫刻に挑戦もしてみた。結果は酷いものであった。丸太から板を削り出すのは得意だが、それと彫刻は全くの別物であるらしい。
また、バリオが望んだ通り槍の柄作りの手伝いもさせてもらえた。槍の柄作りとなると大仕事なので、パトリックとしても木材加工の専門家がいてくれるのはありがたいようだ。
角材を削って丸くし、表面を滑らかにする。木材を十分に乾かしてから塗装、乾燥、塗装と繰り返した。こうして鮮やかで深みがあり、艶のある美しい朱色の柄が出来上がった。
出荷した木材が加工されるところをじっくり見たのは初めてかもしれない。自分の仕事がどのように社会と関わり、役に立っているのかを知るとバリオは嬉しいような照れくさいような不思議な気分であった。
「それにしても美しい、思わず舐め回したくなりますね」
バリオがおかしな事を言い出し、パトリックは、
「わかります」
と言って深く頷いた。
「でも、舐めちゃダメですよ」
「ダメですか……」
芸術品に対する奇行をパトリックが窘めるという、普段とは少し変わった光景であった。
「乾いたとはいえ塗料には身体によろしくない物も含まれていますし、何よりこの槍は侯爵家のカロリーネさんに贈る為のものですからね」
「まだ贈ってはいないので、少し楽しむくらいは……」
「たとえば道行く女性の、いえ、男性でもいいのですが、他人の乳首を勝手に舐めたりしたら犯罪でしょう」
「いけませんね、そうした行為を許容する社会は楽園とは呼べません」
「そういう事です」
「どういう事ですか」
パトリックのたとえ話は全く理解出来なかったが、とにかくやってはいけない事だけはよくわかった。
「さて、これから弟子を使いに出してルッツさんとゲルハルトさんに柄が出来たと伝えます。恐らくゲルハルトさんの魔術付与も終わっている頃でしょうから、近日中にお披露目会をする事になるかと思いますが、バリオさんはどうなさいますか?」
「俺が参加しても、よろしいのでしょうか……?」
恐る恐る聞くと、パトリックは微笑みながら頷いた。
「バリオさんも関係者ですから」
バリオはグッと拳を握り締めて俯いた。認められた、その言葉が欲しかった。声が震えてしまいそうになるのをなんとか抑えながら応えた。
「是非とも、よろしくお願いします」
ルッツもゲルハルトも、伯爵家お抱えという肩書きに似合わずフットワークが軽い。彼らにとってそんな肩書きは自己の本質を表す言葉ではなく、ただの道具としか見ていなかった。
柄の完成を告げに来たパトリックの弟子に対してふたりとも、明日にでも伺うと応えたのである。その言葉通り翌日の朝には三職人と木こりが再びパトリック工房に集まっていた。
ルッツは槍の石突き部分の金具を持ち込み、ゲルハルトは魔術付与を施した穂先を持参した。午前中にこれらを組み合わせて槍を完成させ、午後からお披露目会という流れとなった。
庭でゲルハルトが槍を構えると、完成したと浮かれた空気は消え失せ、辺りに緊張感が漂った。
槍を両手でしっかりと掴み、腰を軽く落として振るった。突く、振り上げる、薙ぎ払う、回転させてまた突く。一通りの動きを見せた後でゲルハルトは『フンッ!』と、気合いを入れて土を踏みしめた。
すると穂先から激しく炎が燃え上がり、ルッツたちは『おおっ』と驚愕の声をあげた。
ゲルハルトはまた槍を振るった。先程と同じ動きのはずなのに、先程とはまったく違って見えた。まるで赤蛇が踊っているかのような妖しくも美しい炎の軌跡に誰もが魅了されていた。
「どうだ、いいだろう?」
ゲルハルトは会心の笑みを浮かべ、汗ばんだ顔で呼吸を整えながら言った。
「いやあ、ロマンの世界ですねえ」
ルッツの評価にゲルハルトは黙って頷いた。ロマン、それは魔法武具の評価としては奇妙であるが、この槍の本質でもある。
「ところで、この子の銘はどうしますか?」
「まあ急ぐ話でもなし、持ち帰ってクラウディアに相談してみようかと……」
パトリックとルッツが話していると、ゲルハルトがスッと手をあげて言った。
「今回の銘、わしに決めさせてくれんか?」
「ゲルハルトさんが?」
珍しい事もあるものだなと考えつつ、ルッツは手を差し出して先を促した。
「炎が舞う槍、『
パトリックとバリオが顔を見合わせ、良いんじゃないかと頷いた。ルッツは良いとも悪いとも言わず、ニイッと笑って鞄から銘切りたがねを取り出した。
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