第693話 ロマンティック・スピア

「ふぅむ、これは。ほほぅ、ふぅン……」


 ゲルハルトの付呪工房にて。弟子のジョセルが槍の穂先を舐めるような視線でねっとりと眺めながら唸り、その様子をゲルハルトは呆れ気味に見ていた。


「どうしたジョセル、今日は随分とテンションが高いじゃないか」


「それはもう、それはもうッ!」


 ズイとジョセルは身を乗り出し、同じ距離だけゲルハルトは迷惑そうな顔で身を逸らした。


 普段は常識人である、苦労人でもある。しかし一度テンションが振り切れると急に性格が変わるようなところがあった。あるいはそれこそ職人として大事な情熱であるかもしれないと、ゲルハルトはこの困った弟子を持て余しつつも否定はしなかった。


「で、何がお主の琴線に触れたというのだ?」


「お師様、私は騎士です」


「そういえばそうだったな」


「騎士といえば槍です、こんなにも素晴らしい槍を馬上で振るえたらと思うと心が震えます」


 欲しい、これが欲しいと顔に書いてあるかのようなジョセルに、ゲルハルトは微笑みながら首を横に振った。


「残念ながら予約済みだ、侯爵家の御令嬢にな」


「女性へのプレゼントとしては色気に欠けると思いますが」


「槍を引っ込めて花束でも贈れってのかい」


「それもよろしいかと……」


「よくねぇよ」


 ゲルハルトは笑いながら愛弟子の額をぺしりと叩いた。師に叱られ、ジョセルは渋々と引き下がり椅子に座り直した。


「まったく、付呪術師とは矛盾に満ちた存在よなあ。誰よりも武具を愛していながら他人の為に魔術付与をして、それがどれだけ上手く出来ようと結局は引き渡さねばならんのだ」


「いっその事、武具に興味のない人間ならば苦しまずに済むのでしょうか」


「ダメだな。武具を深く知ろうとしない、情熱を持てない奴はどれだけ要領がよかろうとも二流止まりだ」


「上を目指せば苦しむ事が宿命付けられているのですね……」


 そういう事だ、とゲルハルトは深く頷いた。


「だからなジョセル、お主が穂先を持って欲しい欲しいとおねだりする事自体は悪くない、それは一流の資質だ。ま、それはそれとしてやらんけどな」


「……耐えます。我が儘を言って申し訳ありませんでした」


 ジョセルは頭を下げて師に穂先を返した。これ以上持っていても苦しくなるだけである。


「ところでお師様。今の話でふと思ったのですが、客から預かった武具を持ち逃げする付呪術師というのはいなかったのでしょうか?」


「いるぞ。王国内だけでも毎年、三件くらいは起きてんじゃねえかな」


「そんなに……」


 歴史上で一件か二件くらいかと予想していたが、現実はもっとずっと酷かった。引いているジョセルとは対照的に、ゲルハルトは何故か楽しそうに語った。


「高価で見事な品を預り、魔術付与も上手くいったとなれば魔が差す事もあるもんだ」


「持ち逃げした後はどうなるのでしょうか。とても幸せに暮らしているところが想像出来ません」


「そりゃまあ、職人が理性を失うほどの武具を預けるのは大体が貴族だろう。兵を出して何としても捕まえるし、捕まえた後は容赦せんよ」


「ああ、やはりそうなってしまいますか……」


 貴族の多くは平民を人間扱いしていない。大事な武具を持ち逃げした職人を許しはしないだろうし、許す必要もない。むしろ見せしめの為に容赦せず残虐な刑に処するだろう。


 妻子も地位も倫理観もあるジョセルは当然、客から預かった品を盗むつもりなどないが、持ち逃げした職人の気持ちも少しはわかるだけに背筋が寒くなった。


 パン、と手を叩く音でジョセルは深い思考の沼から顔を上げた。目の前で微笑む師の顔が、『お主は相変わらずだな』と言っているようにも見えた。


「さてジョセルよ、そろそろ本題に入ろうかい。この穂先にどんな魔術付与を施すかだ」


「候補を挙げていきますと切れ味向上、耐久力強化、重量軽減あたりでしょうか」


「なぁんか、いまいちパッとしないな。どれも悪くはないが小さくまとまっているようで、この槍ならではという特徴がない」


「切れ味向上で悪くはないと思いますが、あまりにも万能過ぎて、困った時はこれにしておけば良いといった安直さがありますね」


「そうなんだよなあ。便利すぎて個性がなくなるというのも考えものだ」


 師弟は同時に唸り、しばし考え込んでいた。やがてジョセルが呟くように言った。


「槍の柄はパトリックさんが同時進行で作っているのですよね?」


「ああ、朱槍を作るって事で無駄に張り切っておるぞ。朱槍、朱槍か、クソッ。わしも欲しくなってきたな……」


「火属性などいかがでしょうか?」


「ほう、それは何故だ?」


 ゲルハルトが面白がるように聞くと、ジョセルは少し照れながら応えた。


「本当にくだらない理由なのですが、真っ赤な槍の先から炎が吹き出たら格好良いかなと」


「ほほう、良いではないか。使って格好良い、それは大切な事だぞ。美女が炎の槍をブン回して活躍すれば兵たちの士気も上がるだろうしな。槍を回転させて炎の輪を作るとか、ロマンがあるだろう」


「良いですねぇ!」


 それからふたりは職人というよりも、必殺技を考えて遊ぶ子供のように語り合った。しばし熱中し、必殺技の名前を考え出したあたりでようやく正気を取り戻したのだった。


「……いかんな、これではパトリックの奴を笑えんぞ」


「忘れましょう、今日の事は」


「そうだな」


 ジョセルは馬鹿な事をしてしまったと気まずそうに立ち上がり、師に一礼して工房を後にした。ゲルハルトは両手を挙げて身体を伸ばしてから大きく息を吐く。


「男の子の夢を一杯詰めて女の子にプレゼントか。それはそれで面白いんじゃないか」


 そう呟いてからゲルハルトは、テーブルに置かれた穂先に向かってニィッと笑って見せた。

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