第692話 三職人・with・木こり

 数日後、パトリック装飾工房の庭に二メートル程の角材が持ち込まれた。


 台座に置かれた角材を取り囲む四人の男たち。伯爵領の三職人と呼ばれるルッツ、ゲルハルト、パトリック。もうひとりは角材を用意した木こりの頭領バリオである。


 真剣な眼で角材を眺める職人たち、その様子を見ながらバリオは身を震わせていた。一流の職人たちが集まって名槍が作られる、その場に自分も参加している。彼らと同格の地位を得たと思うほど傲慢でも世間知らずでもないが、素材を用意したのが自分だという事だけは間違いない、この場で他人ではないのだ。


「ふぅむ……」


 パトリックがいつものニヤけ顔を消し、一流装飾師の眼をして角材を撫でていた。


 ……ああ、パトリックさんが俺の角材を見ている、じっくり確かめているッ!


 美女の群れに裸体を眺められ、品定めされたらこんな気分になるのだろうか。たとえ話としてはかなりおかしいが、バリオは羞恥と快楽を同時に味わっていた。


「良い木材だな」


 白髪の老人、ゲルハルトがぼそりと呟くように言った。感動している様子はないが、お世辞なども入っていない、事実を淡々と述べたといった感じだ。頑固職人の褒め方としてはむしろ上位に入るだろう。


 良い、そういう褒め方も良いとバリオはひとりで身を捩らせていた。


 パトリックが片眼鏡を外し、服の裾で拭いてからまた装着する。端から見ていると余計に脂が付いたようにも思えるが、そこは本人にしかわからぬ違いがあるのだろう。


「これ、朱槍にしたらどうですかね?」


 パトリックの提案に対してルッツはポンと手を叩き、ゲルハルトはニヤリと笑った。バリオだけがよく意味がわからないといった表情を浮かべていた。


「それは使い手が女の子だから赤にしようって事ですか?」


 バリオの疑問に三職人は顔を見合わせ、ゲルハルトが代表して手を振りながら言った。


「違う違う、むしろ逆だ。朱槍というのはマッチョイズムの体現であり、世間の求める女の子らしさとは対極にある」


 説明するのが面倒臭いと思うのと同時に、楽しくもある。そんな顔でゲルハルトは続けた。


「朱槍というのは当主から家中随一の武功を立てた者に与えられる名誉ある槍だ。あるいは自信過剰の馬鹿野郎が『俺こそ天下一の武辺者だ』とアピールする為に使う物だな。いずれにせよ戦場で朱槍を使うのは『俺を倒せば大手柄ですよ』と宣伝して回るようなものだ。武功狙いの馬鹿どもを片っ端から返り討ちにしてやる覚悟と自信がなければ到底扱えぬ代物だ」


「ははあ、なるほど……」


 バリオは朱槍について理解はしたが、そうなるとまた別の疑問が湧いてきた。


「それって、侯爵令嬢が持つような物なんですかね……?」


 令嬢という言葉のイメージからかけ離れていた。たとえば真っ赤な鞘のレイピアを腰に差しているなどであれば凜々しく勇ましいお嬢様の範疇であっただろう。しかし最前線に出て朱槍を振り回すというのはどこをどう考えてもお嬢様のやる事ではない、屈強な野郎どもからアネゴと呼ばれる山賊か何かだ。


 皆の視線が自然とルッツに向けられた。カロリーネの事を一番よく知っているのはお前だろう、どうなんだと。


 ルッツはカロリーネと共に戦った記憶を辿りながら語った。


「カロリーネさんに朱槍というのは合っていると思います。なんと表現したものか、彼女は最前線で槍を振るう武闘派レディで、エルデンバーガー騎士団のアイドルです」


「アイドルぅ?」


 戦場とはかけ離れた言葉が出て来たなと、ゲルハルトが眉をひそめて聞いた。


「騎士たちはその、カロリーネさんにビンタされたら『ありがとうございます!』って言い出しそうなタイプと言いますか。いえ、そういった場面に遭遇した訳ではないのですが、雰囲気的にそうだろうなと」


「そうか、うん、そうか……」


 あまり深く関わってはいけない世界だなと、ゲルハルトは眼を逸らして頷いた。


「ま、とにかくですね」


 パトリックがパンと手を叩いて皆の注意を引いた。


「カロリーネさんは朱槍が似合う系ガールだという事で、進めてもよろしいでしょうか?」


「お願いします」


 と言って、ルッツは深く頷いた。バリオだけがまだ不安げな顔をしている。


「似合うというのはわかりましたが、朱槍が特別な意味を持つというのであれば勝手にそんな装飾をして怒られたりしませんかね?」


「その時は『ありがとうございます』とでも言いますよ」


 ルッツが口元を歪めて言うと、ゲルハルトとパトリックがゲラゲラと笑い出した。


 彼らのやろうとしている事は無茶苦茶である。しかしバリオは彼らと共にいられる事が楽しく、どこか清々しいとすら感じていた。


「ではゲルハルトさん、これを」


 ルッツが足元に置いた大きな鞄から、白布に包まれた穂先を取り出し手渡した。ゲルハルトは穂先を台座に置き、布を取り払う。パトリックとバリオも歩み寄って覗き込んだ。


「おおぅ……」


 バリオは思わず唾を飲み込んで唸った。魂が鋼の中に吸い込まれそうな素晴らしい輝きだ。これが、これほどの物が、自分の用意した木材とくっつけられてしまうというのか。


「んん……、え、えっち過ぎるッ」


 出来れば自分が代わりたい、木材になってしまいたい。バリオが穂先を良くない眼で見始めたあたりで、ひょいとゲルハルトに取り上げられてしまった。


「ああん」


「悪いなお若いの、こいつはわしが貰って行くぜ。えっへっへ……」


 ゲルハルトはバリオが穂先に心奪われている事を知った上でからかうように言った。


「ルッツさん、あんな事を言われていますよ、いいんですかッ!?」


「そりゃまあ、魔術付与をしてもらわねばいけませんからね」


 バリオはルッツに訴えかけるも、当たり前だ、何が問題なのかと真顔で返されてしまった。それはそう、確かにそうだと正気に戻ったバリオは不承不承ながらも頷かざるを得なかった。


 こうして会合は終わり、現地解散となった。バリオは途中までルッツと雑談をしながら歩き、交差点で別れた。


 ひとりになるとバリオはまたブルリと身を震わせた。本当に素晴らしい穂先だった、素晴らしい職人たちであった。彼らは自分をたかが木こりではなく、良い素材を用意した一人前の男として扱ってくれた。


 一流の職人たちに認められるという快楽を味わってしまったのだ。


「もう、戻れないよなぁ……」


 バリオは夕日を背に浴びながら、誇らしげな笑みを浮かべて歩き続けた。

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