第691話 甘い夢

 木こりの村を訪れると、三十過ぎの男が満面に笑みを浮かべて快く迎えてくれた。


「ようこそお越しくださいました、ルッツさん!」


 頭領のバリオである。


 以前会った時はひげなど生えていなかったはずだ。今は顔つきもすっかり変わり、頭領としての威厳や余裕のようなものが全身から滲み出ていた。


 三十代というのは頭領の座を譲られるにはまだ若い。彼の父であるケヴィンは村を襲った魔人を討伐する為に頭領を息子に譲ったのだった。


 いくらクラウディアからの金銭的支援があったとはいえ、急に頭領の座を譲られた、より正確に言えば押し付けられた男が半壊した村を建て直すのは筆舌にし難い苦労があっただろう。それらを乗り越えたからこそ出て来た貫禄だ。


 元気でやっているようだなと、ルッツは安堵していた。


「急に押し掛けてしまい、申し訳ありません」


 ルッツが頭を下げると、バリオは恩人にそんな事をさせられないと慌てて手を振った。


「いえいえいえ、ルッツさんならばいつでも大歓迎です。我々に出来る事があれば何でもお申し付けください」


「では、お言葉に甘えて」


 ルッツは手短に、名槍の柄に使う木材が欲しいと伝えた。


「ははあ、なるほど……」


 そう言って唸るバリオの表情に迷惑さはない。むしろ恩人の力になれる事を喜んでいるようであった。


「一度村が焼かれたせいで何年も寝かせて乾かした名木というのはありませんが、それでもなかなかの物を取り揃えております。丸太を削って硬い芯だけを取り出しましょう」


「ありがとうございます。……って、あれ。削り出しもこの村で出来るのですか?」


「例の事件の後で、村に簡易的ですが製材所を設置しまして。木材は加工した方が高く売れるし、輸送するにも便利ですからね。もっとも、これはクラウディアさんが提供してくれた資金があってこそ出来た事ですが」


「俺が言うのも何ですが、本当に彼女は手広くやっていますね」


 と言って、ルッツは笑いながら何度も頷いて見せた。


「製材所も軌道に乗って、今はクラウディアさんに少しずつ借金も返せるようになりました。本当にありがたい事です」


 それからバリオはハッと気付いたように手を叩いて顔を上げた。


「立ち話が長くなってしまいましたね。どうぞこちらへ、まずは材木倉庫までご案内いたします」


「お願いします」


 バリオが先導して歩き出し、ルッツはロバちゃんの背を撫でてからその背を追った。ロバちゃんも慣れたもので、ルッツが手綱を握って引っ張らずとも並んで歩いてくれた。


 ……賢い子だ、本当に可愛いなあ。


 ルッツが微笑みかけると、ロバちゃんは普段と変わらぬつぶらな瞳を向けて、


「ぶもぉ」


 と、歯茎を剥いて鳴いた。


 材木倉庫への途中、見慣れた中央広場に見慣れぬ男がいた。男は回転砥石を使い、ぎこちない手付きで斧を研いでいた。


 そこは以前、自分が座っていた場所だ。


「契約したのか、俺以外の男と……」


「え?」


 ルッツの呟きにバリオが振り返って怪訝な眼を向ける。つまらぬ嫉妬をしてしまったと、ルッツは誤魔化すように首を横に振った。バリオはルッツが広場の男を気にしているのだと知り、軽く頷いてから説明をした。


「彼は城壁外に住んでいた鍛冶屋です。村に迎え入れ、斧の整備から鍋や包丁の修理を任せています」


「そうでしたか」


 木こりたちは毎日斧を酷使する。ならばいつ来るかもわからぬ出張研ぎを待つよりも村の中に鍛冶屋がいてくれた方がずっと安心だ。


 ……寂しいだなんて言うんじゃない、祝福すべき場面だ。あの男に嫉妬するんじゃない、木こりの皆さんをよろしくお願いしますと頭を下げるべき場面だ。別れたあの娘が綺麗になって、他の男と付き合っていた。そうした時にやるべき事は嫉妬や後悔ではなく、ふたりの幸せを願う事だろう。痩せ我慢だけが、フラれた男に残された最後のハードボイルドだ。


 まだ完全に納得出来た訳ではない、それでも少しずつ呑み込んでいくしかなかった。考え方が少しパトリックに似てきたかもしれない。頭をよぎる思い付きを、ルッツは無視する事にした。


「お待たせしました、行きましょう」


「あ、はい……」


 この客人が何を考えているのかサッパリ理解出来ぬまま、バリオは曖昧に頷いた。




「おぉ……」


 薄暗い材木倉庫の中には大小様々な丸太が積み上げられており、ルッツは思わず感嘆の声を漏らした。そんなルッツの反応にバリオは得意げな顔で笑っていた。恩人に認められるというのは実に気分の良いものである。


「バリオさん、正直なところ俺にはどれもが素晴らしい木材に見えます。どれが一番良い物か選んでいただけませんか?」


 材木倉庫に入った瞬間から知ったかぶりをしようなどという気は完全に消え失せていた。ルッツが素直に教えを請うと、バリオはぶるりと身を震わせた。


 恩人が、あの名工ルッツが自分を頼りにしている。自分を木材のエキスパートだと認め、教えて欲しいと願っているのだ。今まで感じた事もない未知の快楽がバリオの身を貫いた。


「んっ、んんん……ッ」


「どうしました、バリオさん?」


 急に恍惚の笑みを浮かべて固まるバリオに、ルッツが怪訝な顔をして語りかけた。


「失礼しました。ええと……、うん、これなどいかがでしょうか」


 それは両腕で抱えきれぬほど太く立派な大木であった。バリオが大木を叩くが、あまりにも重厚でペシリと間の抜けた音しかしなかった。


「しかし、これは……」


 立派すぎる、ルッツの言葉をバリオは手の平を向けて遮った。


「芯を取り出したとして、他の部位が無駄になる訳じゃありませんよ。ご心配なく」


 半分は事実で、半分は嘘である。確かに中心部分以外も板や棒、薪に加工できるが、柱などには使えず大きな壁板にも出来ない。大木である利点がなくなってしまうのだ。


 ルッツもバリオが嘘をついているなと薄々感付いていたが、これ以上の固辞はかえって彼の心意気、男気に水を差す行為だと考え、ありがたく受け取る事にした。


「槍が完成したら真っ先にお見せします」


 良い物を作る、それがバリオの好意に応える唯一の方法だと考え、ルッツは深く頭を下げた。


 それからまだルッツは何か言っていたが、バリオの耳に入っていなかった。自分がルッツの作る名槍に関わる事が出来る。ルッツの作品が、自分の作品にもなる。そんな甘美な夢がバリオの脳髄を痺れさせていた。

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