第689話 バブル・ダンシング
まず根拠のない自信を粉々に打ち砕く。それが修行のスタートラインである。
槍作りは刀作りとは勝手が違う、それは技術公開の場でよくわかっていたし、長老からもそう忠告された。忘れた訳でも甘く見ていた訳でもない、それでも心の片隅に自分ならば何とかなるという僅かな慢心があった事は認めざるを得なかった。
「何と言うか凄く、のっぺりとしているな……」
ルッツは出来上がったばかりの穂先を手に取り、様々な角度から眺めながら呟いた。
形も見た目も悪くない、ひび割れなどもない。強度と鋭さにも問題はない。それでもなお、この穂先からはどこか気の抜けたような雰囲気を感じるのだ。
じっくり眺めても胸が躍るような興奮がない、心が縛られるような恐ろしさも感じない。刃物を見ても『ああ、刃物だな』というごく当たり前の感想しか出て来ない。そういった無難な代物だ。
全力を出したつもりだった、この一回で傑作を作り上げるつもりであった。しかし心の何処かに失敗したくないという恐れがあり、それが鉄の温度にも影響してしまったようだ。鍛えた鉄を急速冷却したのではなく、ただぬるま湯に浸けただけであった。鎚を振るう腕にも気合いが入りきっていなかったかもしれない。
こんな物を侯爵令嬢依頼の品として納品する訳にはいかなかった。
ベオウルフ・エルデンバーガー侯爵とは父が追放された事件を切っ掛けとして仲良くなった。視点を変えれば、侯爵は常にルッツを通して父ルーファスの姿を見ているのだ。下手な仕事をすればそれこそ、父の名に泥を塗る事になってしまうだろう。
もっともこれはルッツが勝手にそう思っているだけであり、今は亡き無気力で冷笑家の父が聞けば『考えすぎだ』と笑うだろう。
「次はもう少し攻めてみるか……」
ルッツは自身へ言い聞かせるように呟き、失敗作を引き出しの奥に放り込んだ。別に溶かしてしまっても構わないのだが、それは証拠隠滅をするようであまりいい気はしなかった。処分するにしても、傑作が出来上がった後でいいだろう。
翌日、ルッツは再度槍作りに取りかかった。前回よりも調子が良く、鎚音もよく響いた。槍にはそれなりの厚みがあり、レイピアのように細長い訳ではない。同じ専門外の武具だが、槍の方がずっと作りやすかった。
……よし、これならいける!
鎚を振るいながら、これはなかなか良い物が出来上がるという予感を覚えていた。そうなると同時に、焼き入れに失敗して台無しにしてしまうことが恐ろしくなってきた。
……ここで怯えて引き下がったらさっきの二の舞だ、やってやる!
ルッツは意を決し、腹に力を込めて自信作を強く熱した。
視野の狭くなった勇気、人はそれを蛮勇と呼ぶ。向こう岸に渡りたいから川を飛び越えるのではなく、飛び越える事自体が目的となってしまった、今のルッツはそんな状態であった。
結果は散々なものであった。水桶に浸けた穂先から激しく水蒸気が立ち上るが、その途中でビシリと今まで聞いた事もないような不吉な音が聞こえた。
やっちまった。ルッツが苦い顔をしながら引き上げると、穂先は穂先であった物に変わっていた。中央にひと目でわかるほど大きな亀裂が入っていた。ルッツは無表情で手を離す、地面に落ちた穂先はそのまま真っ二つに割れてしまった。
「ふ、ふふ……ッ」
唇から薄暗い笑いが漏れ出した。ここまで酷い物を作ってしまうと逆に何だか吹っ切れてしまった。
「……ようやく自分の立場がわかった、俺は挑戦者なんだ。名工だの天才だのとおだてられた経験なんかクソの役にも立たないどころか邪魔ですらある。謙虚、ああそうだ、謙虚になる必要があるんだ」
何でこんな簡単な事がわからなかったのだろうかと自嘲しながら割れた穂先を拾い上げ、炉に放り込んだ。
……結果を焦らず、じっくり丁寧にやっていこう。こうなると長老の、まずは十本割れという言葉が身に染みるなぁ。
師の言葉というのはその場でピンと来なくても、後になってじわじわと染みこんでくるものだ。以前、ジョセルがそんな事を言っていたのを思い出す。
炉から鉄を取り出し、薄く伸ばして細かく割った。続けてもう一本打とうかと考え、すぐに改めた。
……焦っちゃダメだ、腰を据えてじっくり打とう。一ヶ月でも一年でも。
それだけ依頼主を待たせてしまう事になるが、それに関してはごめんなさいとしか言い様がなかった。むしろ名刀名槍を依頼して数年待ちなど、よくある話だろう。
寂しくもあり、悔しくもあり、それでいてどこか清々しい。そんな気分でルッツは鍛冶場の後片付けを始め、その後タライ風呂に入り汗を流した。
それから二ヶ月の間、ルッツはひたすらに槍の穂先を作り続けた。悪くないと頷きたくなる物、恥さらしとしか言い様がない物など、その出来は様々であるが少しずつ腕は上がっていったように思える。
長老が何度か工房を訪れてアドバイスをしてくれた。ゲルハルトが何度もやって来て、そこそこの出来の物を持っていってしまった。
無論、恥にしかならない物は死守した。いくら銘を入れないとしても、こんな物が世に出回ってはたまったものではない。
「いいじゃないかぁ」
「ダメです」
「今はとにかく素材が大量に欲しいんだよぉ」
「知りません」
「作者の名前は出さないからぁ」
「絶対にダメです」
こうしたやり取りをする時は大抵ルッツが根負けするのだが、この時ばかりは頑として譲らなかった。
ある程度までは『いいよ、いいよ』で済ませてくれるルッツだが、一度決めた事は譲らぬ頑固な面もある。ルッツのそうした性格を知るゲルハルトは穂先数本を抱えて渋々と引き下がり、ドアを開けてから振り返って、
「納得のいく物が出来上がったらわしのところにすぐ持って来いよ、絶対だぞ!」
と、言い残して出て行った。
こうして穂先を作り続けたある日の深夜、ルッツはもう何度目になるかもわからぬ焼き入れに挑んでいた。
形を整え熱した鉄をゆっくりと水桶に沈める。激しく踊る水泡、立ち上る水蒸気。バチバチと響く音は穂先の産声か、それとも断末魔か。
「……はて?」
ルッツは
これはひょっとして、ひょっとするか。逸る気持ちを抑え、水泡が収まるのを待ってから穂先を引き上げ確認する。ぱっと見でわかるようなひび割れはない。
焼き入れを終えたら寝ようと思っていたが予定変更だ。ルッツは鋼に取り憑かれたかのように穂先を研ぎ始めた。
いける、これならばいける。自分の息遣いと心臓の音が煩く感じるほどであった。
そして数時間後、ルッツは窓から差し込む夜明けの光で穂先を照らしていた。
「もう二度と槍なんか打たねえぞ、くそったれめ」
悪態をつきながらもルッツの口元には会心の笑みが浮かんでいた。彼の手に握られた穂先は、見れば誰もが唸るであろう紛れもない傑作である。
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