炎の乱痴気騒ぎ

第688話 一本満足

「遅いじゃないかぁ!」


「あ、はい。すいません……」


 ルッツが鍛冶親方衆筆頭、長老の工房を訪ねるといきなり怒られた。怒られるパターンというのを想定していなかった訳ではないが、それはあくまで技術を教えろと申し出る事に対してであり、まさか来るのが遅いなどと言われるとは完全に予想外であった。


「モモスのところにレイピアの製法を教わりに行ったと聞いて、ならば次はわしの所だろうなと楽しみに待っていたのに、レイピアが出来上がるとさっさと王都に行っちまいやがって。ようやく帰って来たかと思えばいつもの刀作り。あんまりジジイを待たせるな、寿命が来ちまうぞ」


 少々反応に困るジョークを吐きながら長老はズカズカと足音を立てながら鍛冶場へと進み、ルッツはその背を追った。


「長老は技術を公開する事に抵抗はないのですか?」


 ルッツが疑問を口にした。確かに技術公開を先に始めたのはルッツの方であり、その借りを返すためにも親方衆はそれぞれの得意分野をルッツに教えるべきだというのは筋の通った話である。道理の上ではそうなのだろうが、技術は秘匿するべしという価値観の中で厳しい修行に耐えてきた職人たちにとってはそう簡単に割り切れるようなものでもなかった。先述のモモスなどはルッツの申し出に対して返事を保留し、半日悩みに悩んでようやく決意したほどであった。


「ああ、そんな事か」


 と、長老は軽い調子で言った。


「ルッツどのには本当に世話になっているからな、借りが多すぎてこちらから返せるものがないというのも心苦しく思っていたところだ。まあ、オリヴァーあたりなら借りは借りられるだけ借りろなどと言い出しかねんが」


「言いそうですねぇ」


 ルッツは苦笑いで応じた。


「それと人に何か教えるというのは自身を見つめ直す事にも繋がる、相手が名工なればなおさらだ。事実、モモスなどレイピアの一件でひと皮剥けたようだしな」


 本当によく人を見ているなとルッツは感心していた。付呪術師ゲルハルトから『わしがジジイになる前からジジイだった』と言われるほど年齢不詳の人物でありながら技術公開をあっさりと承諾するどころか心待ちにしていたあたり、この人は親方衆の中で一番感性が若いのかもしれない。


 いくつもある鍛冶場の中で一番広い部屋に入るとそこには既に高弟たちが並んでおり、ルッツの姿を見ると一緒に駆け寄って来た。


「ルッツさん、私の刀を見てください!」

「俺のもッ!」

「こちらを先に!」


 前のめりでルッツに迫る高弟たち。長老が呆れた顔をしながら間に入って引き剥がした。


「こらこら、今日はルッツどのに槍作りを見ていただく日だぞ。後にせんか、後に」


 親方にそう言われてはと高弟たちは大人しく引き下がった。長老も別に怒っている訳ではないようだ。弟子たちが熱意に溢れている事を嬉しく思っているらしい。


 炉には既に火が入っており、鉄が熱せられていた。長老は炉の前で屈み、鉄が真っ赤に染められている事を確認して小さく頷いた。


 鉄を取り出し、鎚を振り上げる。カァン、カァンと激しく鉄を叩く音だけが火事場に響き渡った。


 つい先ほどまでの『愉快なお爺ちゃん』という雰囲気は消え失せ、今は親の仇に剣を何度も振り下ろすかのような鬼気迫る表情をしている。鍛冶場内は異様な緊張感に包まれていた。


 槍の穂先が形作られ、もう一度強く熱してから水桶に浸けられた。水が破裂しているかのように激しく水泡が舞う。


 刀とは形が違う、当然熱の伝わり方も違うだろう。刀身にヒビが入ってはいないかと、ルッツは固唾を呑んで見守っていた。長老の顔も酷く強張っている。彼にとっても決して楽ではない、集中力を要する作業なのだろう。


 水桶から引き上げた穂先を見て、長老はほっと安堵の息を吐いた。ここでしくじれば何もかもが台無しだ。その様子から察するに、刀よりもヒビが入る危険性が大きいのだろうかとルッツは推測した。


 長老は全身汗まみれで椅子に腰を下ろした。今にも倒れそうなほど疲労しているが、口元には会心の笑みが浮かんでいた。


「ルッツどの、研ぎは任せた」


「よろしいのですか?」


 技術公開の場と言えどそこまで手を出してよいのかとルッツは念を押すように聞いた。


「わしはこの通り、限界だ。老人を助けると思ってやってくれ」


 これはルッツに遠慮をさせない為の軽口であろう。鍛え上げた刃を急冷する作業、焼き入れが終わった段階で一段落付いているのだ。研ぎは明日以降に回しても全然構わないし、ルッツもよくそうしている。


 固辞するのはかえって失礼だろうと、ルッツは長老の好意に感謝し一礼してから穂先を受け取り砥石の前に座った。


 鉄塊を砥石の上で何度も何度も滑らせると、次第に輝きが増してきた。刀との形状の違いに少し戸惑っていたルッツも次第に慣れてきたようで、やがて無心になって研ぎに集中出来た。


 刃を研ぐ音と職人たちの息遣いだけが聞こえる。研ぎに没頭するとやがてそれらも聞こえなくなった。


 ルッツの集中力を目の当たりにして高弟たちは驚き、こうした力があればこそ名刀が出来るのだと納得もしていた。


 やがてルッツの手がピタリと止まった。穂先の方からこれで十分だという声が聞こえた気がしたのだ。槍を作るのは初めてだが、名槍が出来上がったという確信があった。


「出来ました」


 ルッツは刃から水気を拭き取り、白布を敷いたテーブルの上に置いた。高弟たちが興奮した顔で一斉にテーブルの周りに集まった。


 ルッツは長老に視線を送り、頷き合った。


 これを言うべきかどうか、長老は顎に手を当てて少しだけ悩んでから口を開いた。


「ルッツどの、焼き入れの際の水と鉄の温度だがな……」


「はい」


「わしからは何とも言えん。いや、意地悪とか秘密主義で言っているのではない。本当に刀とは勝手が違うのだ。水桶に手を突っ込んでもいいぞと言いたいところだが、もうすっかり冷めてしまっているな。気が回らなくてすまなかった」


「刀とは違う、そのお言葉だけでも値千金です。心構えが違ってきます」


「そう言ってもらえると助かる。まずは十本割るつもりでやれ。ルッツどのならばそれで見えてくるものがあるだろう」


「はい、ありがとうございます」


 ルッツは深々と頭を下げてから鍛冶場を後にした。その背を見送り、ルッツが出て行った事を確認してから長老は全身から力を抜き、体重を背もたれに預けて天井を見上げた。


「やれやれ、若者の前で恥をかかずに済んだわい……」


 何もかもが綱渡りのような作業であった。長老はやり遂げたという達成感に包まれたまま目を閉じ、そのまま寝息を立て始めた。

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