第687話 男の信頼

「何だ、本当に用意したのか」


 グエンが王宮に三本の名刀を持って訪れると、国王アルサメスは呆れたように言った。赤の他人を救う為にご苦労な事だと、その表情が語っている。


 グエンは革製品が交易の主力商品となる事を伝えようとしていたのだが、止めた。アルサメスが柄に使われた革の素晴らしさに気付き、何か質問してきたのであれば応えればいい。


 出来れば皮なめし職人たちの待遇向上も進言したかった。革の価値が高まる一方で待遇が悪いままでは、彼らは王国に流れてしまうかもしれない。


 ルッツは革の品質を手放しで褒めていた。恐らく伯爵領の三職人と呼ばれる装飾師と付呪術師も同じ感想を抱いているだろう。


 彼らは流れて来た職人たちを快く迎え入れるだろう。悪臭の問題は解決していないので城塞都市内に工房を建てる訳にはいかないだろうが、ここで問題となるのがクラウディアの存在だ。


 あの女ならば、皮なめし職人たちの為に村ひとつ建てるくらいの事はやりかねない。広い家を建て、風呂屋を作り、捌いたばかりの新鮮な肉が食える酒場を用意する。皮なめし職人たちは差別され追いやられたのではなく、むしろそこから出たくないと思わせるような快適な空間だ。


 何故そこまでするのか、結果として高品質の革が量産されればルッツが喜んでくれるからだ。彼女には第三王女リスティルが可愛いからという理由で金貨数千枚を投資し、相談役にまでなった『前科』がある。


 考えているうちにグエンの中で『あいつならやりかねない』という思いが、『あいつなら絶対にやる』という確信に変わった。


 ……ひょっとして、伯爵領で一番ヤバいのはあの女じゃなかろうか?


 とにかく優秀な人材の流出だけは防がねばならない。


 皮なめし職人たちにも生まれ育った土地に対する愛着はあるだろうが、自分たちを見下し搾取するだけの国家に無限の忠誠心を抱けというのも無理のある話だ。


 彼らはいつか国を売る、裏切られた結果としてだ。


 優秀な人材は正しく評価されねばならない。手っ取り早く、確実な方法は報酬を出す事だ。つまりは金である。グエンは最近、金というものを人間社会に生まれた矛盾、その隙間を埋める為のドロドロとした液体のようなイメージで考えていた。


 しかし為政者の中には『安く済むならば安く使わねば損だ』と考える人間が一定数存在する。経費削減と聞けば真っ先に人件費を思い浮かべる、彼らはそれを合理性と呼ぶ。


 グエンの見たところ、アルサメスもそのタイプの人間だ。今も刀を見る眼は芸術品に対するものではない。どれだけの価値があって、どこの豪族を懐柔するのに使えるかと考えているようだ。それはそれとして為政者として正しい資質なのかも知れないが。


 アルサメスはいかにして連合国を統一させるかを考えている、グエンは交易で国を豊かにする事を考えている。こんな状況で職人の地位向上を願ったところで適当に聞き流されるだけだろう。グエンはアルサメスに対して失望と納得を同時に味わっていた。


 ……ゴードンたちの囲い込みはこっちだけでやるしかねえか。逆に言えば、革製品の交易による利益は独占出来るとも考えられる。王家が興味を示していないんだ、そうしたところで文句を言われる筋合いはない。


 半ば開き直りに近い形でグエンは皮なめし職人たちの一件を終わらせた。連合国内には他にも皮なめし職人の工房は何十軒、何百軒とあるが、グエンの手が届かない場所ではどうしようもない事だ。


「陛下、俺は約束を果たしました。まさかガリーザ族の連中を奴隷扱いなどしてはいないでしょうね」


 グエンはもうひとつの問題に眼を向けた。反乱を起こし、後に降伏したガリーザ族の奴隷堕ちを防ぐという事だ。その為にわざわざ王国のツァンダー伯爵領まで出向き、献上品となる名刀を用意したのだった。


 一介の騎士にそこまでする義務があるかと言えば甚だ疑問ではあるが、腹を切って反乱の責任を取った族長に対して後は任せろと言ってしまったのだ。立場の問題ではない、男と男の約束だ。ならばやらねばなるまい、男なら。


 声をかけられたアルサメスは面倒臭そうに顔を上げた。


「奴隷にするにも何かと準備が必要だ、そんな面倒な事はせぬ。監視役の兵をいくらか置いているだけだ」


 計算高いアルサメスらしい物言いである。


 グエンはほっと胸を撫で下ろした。監視役とやらが横暴な振る舞いをしていないか気になるところではあったが、反乱の代償としてガリーザ族にはそれくらい耐えてもらわねばなるまい。


「兵どもは引き上げさせる。代わりに貴様が管理しろ」


「陛下の寛大なお心に感謝いたします」


「寛大、か」


 アルサメスはフンと鼻を鳴らした。それは皮肉の笑みであり、どこか面白がっているようでもあった。


「本当にわかっているのか。奴らがまた何かしでかせば、それは貴様の監督責任という事になる」


「陛下はそれを望んでおられるのでしょう?」


「まあな」


 と言って、アルサメスは口元を歪めて見せた。


「貴様は優秀だ。だがいい加減、首輪のひとつも付けておきたいところだな」


「そんな物がなくても逃げ出したりはしませんよ。この国を豊かにしたいという点においてのみ、俺と陛下の思惑は一致している事でしょう」


「ああ、それだけは信頼している」


「ほほう、信頼ですか。偉大なる国王陛下が、このゴミのような騎士を信頼ですと」


 グエンは大袈裟に驚いて見せた。殴ってくださいと言わんばかりの腹が立つ顔である。だがアルサメスは挑発には乗らず、真剣な表情のまま頷いた。


「信頼している」


「……そうですか」


 グエンは複雑に絡み合う感情を整理出来ぬまま一礼し、背を向けた。


 上位者から下がってよいとは言われていないので勝手に退室しようとするのは無礼な行為なのだが、アルサメスはあえて引き留めようともしなかった。

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