第685話 門外漢の憂鬱
「ところで、グエンさんにひとつお願いがあるのですが……」
「な、何だよ……?」
ルッツの申し出にグエンはつい身構えてしまった。この流れでルッツからの『お願い』である、グエンは面倒事であると確信していた。
「いえいえ、そう変な話じゃあないですよ。最高品質の革をもっと欲しいなあ、と」
「気軽に言ってくれるぜ。革製品がこれからうちの主要産業になるって事を理解した上で言っているんだよな? いや、知らない訳がないよな。お前がその立役者のひとりなんだから」
「無理を承知で、是非」
と言って、ルッツはテーブルに手を突き頭を下げた。
「ぬぅ……」
グエンは困り顔で唸った。伯爵領に来てからルッツには本当に世話になっている、それ以前からもだ。彼のささやかな願いに応えられないのは騎士として、人として男としてどうなのだろうかとグエンの中で疑問が渦巻いた。
村に戻って妻に、娘に、胸を張って言える行為だろうか?
『パパはねえ、世話になった人の頼みを一蹴してきたよ。まあ王国の人間だから構わないよな、ゲハハハッ!』
などと言って豪快に笑う自分を想像した。少々回りくどい感想だが、可愛い娘にはそういった人間に賛同して欲しくはなかった。
胸をドンと叩いて、『おう、俺に任せておけ』と言いたい場面であるが、革製品がこれから連合国内でどういった立場になるのか完全に予測は出来なかった。
そもそも最高品質の革がそう簡単に出来るような物ではない。最高の獲物を捕らえて皮を剥ぎ、職人の気が乗っていて、気温や湿度が丁度良い。そうした要素が全て完璧に絡み合ってようやく出来上がる物だ。
奇跡の産物と言ってもいい、とても安請け合い出来るような事ではなかった。
グエンは視線を左右に揺らし、沈思し、そしてようやく重い口を開いた。
「皮なめしの親方に話は通す、それだけは約束する。だが確実に手に入るとは言えないからな」
「それで構いません」
ルッツは不確かな条件であっさりと引き下がった。
「何だ、それでいいのか」
「急な話で職人を急かしてはいけませんからね」
「意外と根に持つね、お前も……」
苦笑を浮かべながらグエンはルッツと顔を見合わせて笑った。
話が一段落したとみて、ルッツは鞄を手にして立ち上がった。
「それでは、俺はこれで失礼します」
「何だもう行っちまうのか。忙しない事だな」
「他にも顔を出さねばならない所がありまして」
ルッツはぺこりと頭を下げて部屋を後にした。その背を見送り、グエンが呟くように言う。
「職人って奴はただ工房に籠もっていればいいって訳でもないみたいだな」
話しかけたつもりだが返事はない。眼を向けると、リカルドは頭を抱えて悩んでいた。
「俺がパトリックさんに弟子入りとか無茶苦茶だろ。どうしてこうなった……?」
ルッツの口から『なんちゃって、冗談だよ』という言葉が出て来る事を期待していたのだが、結局あの男はこの件には触れずに出て行ってしまった。恐らくは本気で『椿』の装飾をするつもりがないのだろう。
リカルドは幼い頃からずっと冒険者として生きてきた、他に生き方を知らない。それがいきなり装飾師に弟子入りしろなどと言われては戸惑うのも当然であった。無理だ、とても自分に務まるとは思えなかった。
ならば『椿』の装飾は諦めるのか。塗装の剥げはそのままにしておくのか。否、それだけは出来なかった。
見た目だけの問題ではない。鞘はいつか割れてしまうかもしれない。
リカルドが『椿』の所有者であり続ける為にはどうすればよいか。ルッツにドゲザ・スタイルで頼み込むか、パトリックに弟子入りするかの二択である。
多分、前者は通用しないだろう。やると言ったらやる、やらないと言ったら小指一本たりとも動かそうとしないのがルッツという男だ。
出来る訳がないが、やるしかない。
「ま、他人と違う力を持つ奴は、他人と違う悩みを抱えるもんさ。それが嫌なら力を手放すしかないだろう」
グエンが諭すように言うと、リカルドは眉根を寄せてゆっくりと首を横に振った。
「俺は冒険者だ、職人じゃない」
「人生が思わぬ方向に転がるなんてよくある事だ。一介の騎士が帰還兵を集めて村長やっているよりはマシだぜ、きっと」
「むしろあんたの人生が何なんだよ……」
俺にもわからん、と自嘲気味に笑ってグエンはテーブルに置かれた短刀を掴み立ち上がった。
「じゃ、俺もそろそろ戻る。邪魔したな」
「暇潰しは出来たか?」
「ああ、大の男が慌てふためく姿を見るのは最高に楽しかったな」
遠慮の欠片もないグエンの物言いにリカルドは顔をしかめるが、すぐ口元に笑みを浮かべて言った。
「奇遇だな、俺もそう思うよ」
「へっ、嫌な野郎だ。また来るぜ」
手をヒラヒラと振りながら騒がしい男は出て行った。
沈黙と静寂、そして孤独を求めていたというのに、それが手に入ったとなると寂しくなるものだ。
「とりあえず、寝直すか……」
リカルドはパンツを脱いで放り投げた。そして二本の愛刀を抱き抱えて布団に潜る。
指先が『椿』の鞘に触れると、やはり塗装の剥げが気になった。
「大丈夫、俺が何とかするよ。大丈夫……」
そう呟きながら眼を閉じると、すぐ深い眠りへと落ちていった。
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