第683話 立場と視点の相違

 小人閑居して不善を為す。バカが暇を持て余すと碌な事をしない。


 その日、グエンはリカルドの部屋に押しかけていた。


 リカルドは当初、居留守を使っていたのだが、グエンがあまりにもしつこくドアを叩くので根負けして鍵を開けてしまったのである。


「ふふん、やっぱり居たな。一流の剣士はドア越しでも相手の気配を感じ取れるものだ」


「そうか、その才能をもっと別の方向に活かして欲しいものだな」


 寝起きでパンツ一丁のリカルドはベッドに座り、得意げな顔をしたグエンは椅子を引き寄せて腰掛けた。


「で、今日は何の用だよ?」


「おいおい寂しい事を言うなよ。用がないと来ちゃダメなのか?」


「ダメだ」


「お前の顔が見たくなったってのは用事の内に入らんか?」


「入らん。それと心にもない事を言うな」


 塩対応、取り付く島もないとはこの事だ。夜勤明けで寝入っていたところを叩き起こされ、ヒゲ面のオッサンに訳のわからない世迷い言を吐かれればこうもなろう。


 グエンは困り顔で後頭部を掻きながら言った。


「実はその、暇なんだ」


 グエンがツァンダー伯爵領を訪れてから一ヶ月近くになる。やりたい事は特になく、路銀も心許なくなってきた。ここ数日は無駄に天井を眺めるか、用もなく外を出歩き何の収穫もなく帰ってくるのを繰り返すばかりであった。


 おじさんはもう、我慢の限界である。


「観光でもすればいいだろ」


「この街に観光名所なんてあったか?」


「いや、うん、まあ……」


 リカルドは反論出来ず、言葉を濁すしかなかった。ツァンダー伯爵領に歴史的建造物など何もなく、特筆するほど美しい景色がわる訳でもない。


「食べ歩きでもするとか」


「長い事この街に滞在してわかったが、王国の飯は薄い。不味いとかじゃないがとにかく味が薄い。グルメな俺のお口にゃ合わないぜ」


「蛙を生で食っていそうなツラでよく言うぜ」


「もっとこう、塩を使おうぜ塩を、ドバーッと」


「そうそう気軽に使えるかッ!」


 これも地域格差による意識の違いであった。連合国では岩塩がよく採れ、海岸では塩田が多く作られている。王国のように塩は高級品という意識はあまりなかった。


 汗をかけば塩分が流れ出す。塩分が不足すれば疲労感、頭痛、食欲不振などの症状を引き起こす。また、塩漬け肉を作る時に使う塩が少なければ水分が出きらず腐敗しやすくなり、それが食中毒を引き起こす原因ともなる。


 基本的に連合国の兵は王国兵よりも強いと言われているが、その理由のひとつが塩の地域格差であるかも知れない。戦場のような不衛生な場所で、『常にぼんやりとした体調不良』といった状態では勝てる戦争も勝てないであろう。


「そもそも散歩をするにしても、俺は外国人だからジロジロ見られて居心地悪いんだよなあ」


「つい最近まで戦争やってた相手だ、そうもなるだろうさ。俺だって連合国の村に行った時、いい気はしなかったぞ」


「そう言えばお前、殴られて鼻血出してたな」


 グエンはリカルドを指差し、ゲラゲラと笑い出した。リカルドはムッとした表情で言い返す。


「物事は正確に覚えろ。大男を殴り倒して俺は勝ったぞ」


「そうだったそうだった、そんな事もあったなあ。で、話を戻すが俺は暇だ」


「知るか。風俗にでも行け」


「おいおいおい、俺は既婚者で子持ちだぞ。そんな所に行ける訳ないだろうが」


 グエンは苦笑を浮かべて肩をすくめた。


「この街にはいないだろう」


「距離とか、バレなきゃいいという問題じゃない。裏切る事そのものが問題なんだ。それと嫁さんはカンが鋭いからすぐにバレそうだし、娘ちゃんに『パパ最低』とか言われたら俺はもう立ち直れんぞ」


「そうか、俺にはわからん感覚だな」


 リカルドはチラと枕元に置かれたふたつの刀に眼をやった。


 抱いて眠ればいつでも『彼女』たちに会える、それでいい、それだけでいい。生身の女に興味はなかった。


「用は済んだな、もう帰れ」


「何の解決にもなっていないんだが……」


「俺に相談しても無駄だって事がよくわかっただろう」


 仕方がないとグエンがため息を吐いて立ち上がったその時、ドアが叩かれ声がかけられた。


「おいリカルド、起きているか?」


 ルッツの声だ。リカルドは眉をひそめてグエンに眼をやった。一体何の用かは知らないが、この男が同席している事が吉と出るか凶と出るか。


「開いているぞ、入れ」


 開かれたドアの隙間からひょいと顔を出したルッツが、グエンの姿を見て小さく頷いた。


「グエンさんも一緒でしたか、これはちょうどいい」


「ほう、俺に用があるって事は刀が出来上がったのか?」


「半分正解といったところで」


 突然興奮するグエンに、ルッツは苦笑いを浮かべながら鞄から短刀を取り出しテーブルに置いた。


「皮なめし職人の親方に贈る、返礼品です。刀は四文字相当の物が三本出来上がり、今は装飾師に預けているところです。一週間から十日でお渡し出来るかと」


「三日くらいでなんとかならねえ?」


 無茶なお願いをするグエンを、ルッツがじろりと睨み付けた。


「いいですよ。その分、仕上がりは物凄く雑になるでしょうが」


「それはちょっと、困るな……」


「納期や予算を削れば品質だって下がる、当然の事です。何故か世の中にはそれで同じ物が出て来ると勘違いしている人が多いようですが」


「わかったわかった、大人しく待つ。だからそう怖い顔をするな。お前は本当に、納期を勝手に決められたり変えられたりすると怒るよな」


 当然だとばかりに頷き、ルッツは椅子を引き寄せドスンと尻を落とした。


「僭越ながら、この世の全ての職人を代表して言わせてもらったつもりです」


「そうは言うがなルッツ、村や軍隊を預かる身としてはいつもいつも予定通りとはいかんだろう。いや、予定通りに進む事の方が珍しいくらいだ」


「その皺寄せを誰が受けるかという問題です。職人どもに残業させればいいやと丸投げして、いつしかそれが当たり前になって、本格的に業務が破綻した時にお前らのせいだと文句を言われても困るんですよ。聞けば誰もが愚かと言うでしょう。しかし実際にそんな事がまかり通っているのです」


「管理職が仕事をしていないみたいな言い方はよせ。こっちはこっちで他所との兼ね合いがあってだな……」


「いや、しかし……」


「それでも……」


 村長のグエンと職人のルッツが答えの出ない言い争いをしている間、リカルドは短刀を手に取り見入っていた。


 吸い付くように手に馴染む、それは決してベタついているという意味ではない。右手で左手を握っているような感覚だ。ピタリとくっつくが離そうと思えばすぐに離れる。


「どうだリカルド、気に入ったか?」


 ルッツに声をかけられ、リカルドは自分が話しかけられたのだと気付くのに数秒かかった。それくらい短刀に心奪われていた。


「ああ、いいな。凄くいい。連合国にくれてやるのが惜しいくらいだ」


「そういうのはせめて俺のいないところで言ってくれ」


 グエンがツッコミを入れ、その様子をルッツは笑って見ていた。物の価値をわかってくれる相手との会話は本当に楽しい。

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