第682話 可能性の獣
翌日、ルッツはパトリック装飾工房を訪れた。以前預けた短刀を引き取る為に、そして四文字の刀三本の装飾を依頼する為に。
刀の製造と取り引きが始まってから職人街は大いに賑わっているが、中でも一番の恩恵を受けているのはパトリック工房であるかもしれない。弟子たちはルッツをまるで王侯貴族が訪ねて来たかのように丁寧に応接室へと案内した。
最近新しく購ったであろうソファに尻を沈め、ルッツがティーカップに手を伸ばした瞬間、バァンと勢いよくドアが開かれた。小脇に短刀を四本抱えたパトリックである。
「いらっしゃいませルッツさぁん! さあさあさあ、楽しい楽しいプレゼント交換会といこうじゃあないですか!」
いつも通りの非常識なハイテンションでパトリックが短刀をずらりとテーブルに並べた。続けてルッツも刀身のみの刀を三本並べる。まさに職人垂涎の光景、鋼の酒池肉林であった。パトリックの眼にはそう映っているだろう。
「ほほぅ、これがグエンさんご依頼の三本ですか。んんっ、これを連合国にくれてやるのは惜しくないですか?」
「俺もそう思います。でもそういう契約なんだから仕方ないですよね」
「くぅん……」
中年男が気持ち悪い拗ね方をするが、ルッツはいつもの事だと気にせず話を進めた。
「いまさらの話ですよ。連合国には既に『天照』、『蓮華』、『銀糸姫』と様々な名刀を贈っていますからね」
「まあ、それはそうですがねえ。嫁に出すならせめていつでも会いに行ける距離に居て欲しいというのが親心ってもんじゃあないですか」
「元気でやっている、という便りで我慢するしかないですね」
ふたりは苦笑いを浮かべて頷き合い、お互いの作品を鑑賞し始めた。ルッツは短刀を手に取り、パトリックは刀をじっくり眺める。
短刀の柄を握ったルッツの片眉がピクリと跳ねた。
「……パトリックさん。俺は今、人生で初めて『気持ち悪い』という言葉を褒め言葉として使います」
あまりにも奇妙な物言い。聞きようによっては侮辱とも取れるその言葉を、パトリックはニヤニヤと笑いながら聞いていた。ルッツが何を言わんとしているのか、その理由がパトリックにはよくわかっているからだ。
柄には連合国から贈られたなめし革が使われているのだが、これが実に良く手に馴染む。右手の表面がドロドロに溶けて柄と一体化したような錯覚をしてしまうほどだ。短刀を握っているのか、それとも指先が刃物になったのか、頭が混乱して気持ち悪いとしか言い様がなかった。
使いこなせばこれほど素晴らしい物はないだろう。これは武具装飾の、ひとつの到達点だ。
次にルッツは残った三本の短刀を手に取った。これも同じ革が使われた素晴らしい作品だ。パトリックの娘で愛弟子でもあるレオナが装飾したものであろう。
パトリックの作品に比べれば一歩劣るが、それはあくまでテーブルに並べ比べれ見ればの話だ。単体で見ればこれも素晴らしい作品である。十代前半のレオナ嬢はここまで成長したのかと、ルッツは口元を手で覆って『むぅ』と唸った。
「ところでルッツさん。お願いがひとつ、提案がひとつあるのですが聞いていただけますか?」
「どうぞ、言ってください」
はて、何の話だろうかと考えながらルッツはパトリックに話を促した。
「グエンさんにお願いして、この革をもっと仕入れられませんか。専属契約をして安定した仕入れルートを確保できればさらに良しですが」
「そんなに気に入りましたか」
「最高です。良い素材に出会えた、つまりこれで良い作品が沢山作れるという事です。自分の中で可能性がグワッと一気に広がった感じですね。わかりますか、この喜びが?」
「わかります」
即答するルッツに、パトリックは満足げに頷いていた。一流の職人として思いが通じ合う瞬間というのは本当に楽しいものだ。
出来れば同志の願いを叶えてやりたい。しかし、とルッツは小さく首を横に振った。
「それは難しいでしょうね」
「えぇ……?」
何故か、とパトリックは眼で問う。
「この革は皮なめし職人たちにとっての最高傑作、我々で言うところの五文字の刀みたいなものです。金を出せば手に入るという物ではないのです。実際、一緒に交易所に行った商人の皆さんも革や毛皮を大量に買い込んでいましたが、ここまで高品質な物はなかったはずです」
「奇跡の高品質かあ……、確かにそれは無理にとは言えませんね」
「この短刀の素晴らしさ、革の価値が広まれば、皮なめし職人たちの待遇も改善されるでしょう。連合国内における革の扱いも少し変わってくるかもしれません。贈答品として十分な価値が認められ、外交にだって使えると知られる訳です。最高品質の皮が手に入りづらくなる事だけは確実でしょうね」
「短刀プレゼント企画自体を中止するご予定は?」
「ありません」
「でしょうね。そういう人だ、あなたはそういう人だ」
パトリックは残念そうにため息を吐き、天井を見上げた。愚痴を言いながらもパトリックの口元には笑みが浮かんでいた。革が手に入らないのは残念だが、ルッツが誠実な人間である事が嬉しくもある。
「一応、グエンさんに頼んでみます。何とか手に入らないかと」
「お願いします」
「ところでもうひとつの、提案とは?」
ルッツが聞くとパトリックはすぐに気持ちを切り替え、よくぞ聞いてくれましたとばかりに明るい表情でポンと手を叩いた。
「そう、それですよそれッ! 良い事考えちゃったんですよねえ、私……」
聞きたいか、とパトリックがルッツの顔を覗き込む。
いいから早く言え、とルッツが咳払いをした。
「『桜花』ちゃんのですねえ、柄をこの革で作り直してはどうかと」
「リカルドの刀を、ですか」
勇者リカルドの佩刀『桜花』は五文字の魔術付与がされた名刀である。扱いやすさに特化した刀、その柄に吸い付くような手触りの革を使えばどうなるか。使い心地が良くなるというだけでなく、魔術的にも何か影響が出るのではないか。
装飾で刀を強化出来るかもしれないというのは実に面白い試みだ。新たな可能性を前にしてルッツの胸がざわついた。
「奴に話してみましょう」
と言って、ルッツは短刀四本を鞄に突っ込んでから立ち上がった。
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