第681話 色褪せぬ思い出
ルッツは久々にロバちゃんの背に乗り、城壁の外に出ていた。特にこれといった要件があるわけではない、強いていえばただの気分転換である。
ゲルハルトと話した後、ルッツは刀を打ち続けた。結果は三、四、三、三。悪くない結果である。
最近少し感覚がおかしくなっているが、古代文字が三文字入る刀は紛れもなく名刀である。これで文句など言えば同業者たちに殴られて当然の行いだ。
高品質の刀を安定して打てる、そこまではいい。ただルッツとしては狙った品質の物を確実に打つ事が出来ないというのが問題であった。つまり今回は四文字が入る刀を打ちたいのに、言い方は悪いが数を打っていればそのうち出来るというやり方になっているのだ。それがルッツには不満であり、不安であった。
時間がかかってもいい、金がかかってもいい。四文字の刀を作ると決めたら確実に四文字が打てるようになりたい。それが自分の次なる課題、成長へのステップだと考えていた。
「なあロバちゃん、どう思う?」
「ぶもぉ」
「そうだね、ぶもぉだねえ……」
自分でも訳のわからぬ事を言いながらルッツはロバちゃんの頭を撫で回した。ルッツがどれだけ悩んでいようと、ロバちゃんの可愛らしさには変わりがない。
周囲の景色には見覚えがあるような、ないような。記憶がどこか曖昧になっていた。城壁外から城砦都市に引っ越して、もう結構な時間が経ったものだ。
……そうだ、以前暮らしていた家はどうなっただろうか?
おぼろげな記憶を頼りに向かってみると、懐かしき我が家は思い出の中よりも少し色褪せた形で残っていた。
中はどうなっているだろうかと進んでみるが、やがてルッツは眉をひそめ、ロバちゃんの首を優しくポンポンと叩いて止まらせた。
「ぶもぉ?」
旦那、行かねえのかい。ロバちゃんが不思議そうな顔をして、ルッツは小さく首を横に振った。
中から人の気配がする、内容までは聞き取れないが人の声がする。どうやら誰かが住み着いているようだ。売った覚えはない、要するに不法侵入である。
「……帰ろう、ロバちゃん」
「ぶもぉ」
ルッツは寂しげに言い、ロバちゃんを反転させた。
中にいる人間を追い出そうなどとは思わなかった。管理などしてこなかった、ずっと放置していたのだ。それを気まぐれで戻ってきて所有権を主張しようなどという気にはなれなかった。
住人がいなくなれば他の誰かが勝手に住み着く、城壁外とはそうしたものだ。
そもそも、ルッツの父であるルーファスだって誰かに許可を取ってこの家を建てたのかどうか怪しいものである。
ここで幼少期を過ごした、ここで修行をした。そんな思い出の家を手放して良いのか。自身に問うがこれもすぐに否定した。父から受け継いだ刀鍛冶の技術は我が身に宿っている、それだけでいい。
「あの、どなたですか……?」
見慣れた窓から見慣れぬ中年女性が不安げな顔を覗かせた。どうやら小綺麗な格好をしているルッツを役人か何かと勘違いしたようだ。
「いえ、赤の他人です」
それだけ言うとルッツは懐かしき我が家、我が家であった場所を後にした。
「ぶもぉ」
「これでいい、これで良かったんだよロバちゃん。多分ね」
時間は前へと進む、周囲の環境も変わってくる。それは当然の事だ。家に住み着いているのが野盗の類いではなさそうなので、それはむしろ喜ばしい事であろう。
日が傾きかけた草原を、ひとりと一匹は無言で歩き続けた。
工房に戻るとルッツはすぐ作業に取りかかった。四文字を安定して作る方法は見付かっていない、そんなものは存在しないのかもしれない。ただ、父が伝えてくれた技術が身に染み付いているという事を感じたかった。
炉に火を入れて、鉄を激しく熱する。揺れる炎を見ていると何だかとても落ち着いてきた。
……今回は初心を思い出して丁寧に打ってみよう。失敗を恐れ、炎に怯え、それでも前へと進んだあの頃のように。
真っ赤に熱せられた鉄を取り出し、鎚をしっかり握って叩き付ける。飛び散る火花を見ながらルッツは亡き父に語りかけていた。
父上、俺はまだ鍛冶屋を続けています。どうせすぐに飽きるだろうと言われていましたが、なんだかんだで死ぬまで続きそうです。
美人でケツのデカイ嫁さんをもらいました。鍛冶屋になりたいと言った事、彼女と結婚した事。このふたつが俺の人生で最大の分岐点だったと思います。後は全てオマケです。
伯爵家お抱えだなんで御大層な肩書きをもらいましたが、正直なところ実感はありません。むしろ邪魔です。名声を求めながら自由でありたいというのは矛盾していますが、そういう考え方をしている奴は結構多いんじゃないですかね。気が向いた時だけちやほやして欲しい、みたいな。身勝手であると自覚はしています。他所でこんな事を言ったりはしませんよ。
エルデンバーガー侯爵と勝手に和解してしまいましたが、父上的にはどうなのでしょうか。ふざけるなと怒り出すのか、それとも別にどうでもいいと言うのか。多分、後者ではないでしょうか。
鉄に語りかけながら打ち続け、段々と刀の形になっていく。良い出来だ、これは四文字が入る品質になるだろう。
……傑作が出来るという予感、この瞬間こそ職人の至福だな。
期待と情熱に後押しをされてルッツは鉄を打った。夜が明けても休まず、そのまま焼き入れ、研ぎと続けて行った。
全身汗まみれで、疲労で身体が重くなっている。それでも意識は冴えており、刀身の水気を拭き取ってじっくりと眺めた。
四字、狙い通りの大成功である。五字まで伸ばしたかったなと頭の片隅で考えてしまうが、それは贅沢というものだろう。四字を狙って四字が作れた、今はそれで良しとしよう。
「真面目と言うか、実直と言うか、何とも味のある刀だな……」
自分でもかなり気に入ってしまい、グエンにくれてやるのが惜しくなってきた。悪魔が耳たぶを舐めるように囁く、そいつは自分の物にしてしまえ、四字はまた別に作ればいいと。
職人の倫理、ルッツの美学に反する行為である。これはグエンの為に打った刀なのだから、グエンの物に決まっている。
いや、本当にそうだろうか。最終的に四文字を三本用意出来れば問題ないのではなかろうか。
いやいや、連合国のなんとか族の皆さんが奴隷にされるかどうかの瀬戸際である。仕事はなるべく早い方がいい。
いやいやいや……、とルッツの頭の中で倫理観がぐるぐると振り回されていた。まるで身体が刀を手放すことを拒んでいるかのように、柄を握る手に力がこもる。
「こんな時、父上なら何と言うだろうか」
ルッツはじっと刀身を眺めた。そこに映っているのは自分の顔であり、父の顔であるようにも思えた。
「好きにしろ。ただ、後悔のないようにな」
生前の父を思い出し、気だるげな声で言ってみた。結構似ていたような気がする。
言いそうだ、いかにも言いそうだ。実際は言った後で物凄く重いため息を吐いていただろう。いつも『人生に疲れました』という顔をして、何だかんだで良い事を言う。それが父、ルーファスという男だ。
「後悔か、するだろうなあ……」
不正をすればグエンに対する引け目が残る、それは後々自分にとって悪い影響を及ぼすだろう。
ルッツは苦笑を浮かべて立ち上がり、出来上がったばかりの刀を箪笥にしまいこんだ。そこには既に四字の刀が二本入っていた。これで合計三本、依頼完了だ。
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