第679話 金の流れ

「いいですよ」


「む、そうか……」


 少し無理があるであろう依頼をしたらあっさりと承諾されて拍子抜けした。これはルッツ工房では度々見られる光景であるが、今回少し違うのは『いいですよ』と、どこかのんびりとした顔で言ったのがルッツではなくクラウディアであるという事だ。


「何ですかジョセルさん、そんな不思議そうな顔をしちゃって。宝石買い取りの契約をしに来た、相手は承諾した。それだけの話じゃないですか」


「まあ、それはそうなのだが……」


 軽く視線を揺らすジョセルに、クラウディアは笑って聞いた。


「私の事、いつもいつも反対したり面倒な条件を持ち出す女だとか思っています?」


「いや、そんな事は、ないぞ」


 声が一瞬、詰まってしまった。その狼狽えぶりはもう白状しているようなものである。こんな時ゲルハルトならば『まあな』と言ってニヤリと笑い、相手も同じように笑って頷いてくれるのだろうが、それはゲルハルトの人徳、あるいはキャラクター性というものがあって初めて出来る事であって、ジョセルがそれをやると喧嘩を売っているようにしか聞こえないだろう。


 生真面目な騎士団長と、冗談好きの不良老人とでは言葉の質が違うのだ。


 クラウディアも自身がどう見られているかは自覚しているようで、特に怒る事もなく微笑んだまま話を続けた。


「そう思われるだけの事はやってきました、そこはいいんです。ただ……」


 クラウディアは言葉を濁らせ、口元に皮肉な笑みを浮かべた。魅力的ではあるが、完全に好意的なものだとは言えない表情であった。


「断りたくなるような面倒事を持ち込んでいるのはそちらであるという事はお忘れなく。賊を倒せ、魔物を倒せ。王侯貴族に献上する為の刀を作れと、何処をどう考えたって一介の鍛冶屋の仕事じゃないでしょう。私が彼を守ってやらねばならないのです、貴方たちから」


「彼に頼りすぎていた事は認める、無理を押し付けてきた事も謝罪しよう。しかしなクラウディアさん、面倒事の半分くらいは彼が自分から首を突っ込んだ話だと思うのだが」


「それは……。いえ、確かにそうですね」


 クラウディアは反論しようとするも、数々の事件を思い出せばジョセルの意見が正しいと認めざるを得なかった。少なくとも、ジョセルひとりに責任を押し付けられるような話ではないだろう。


「……ルッツくん談義はこのくらいにして、宝石の話に戻りましょうか」


「そうだな、そうしよう」


 と言って、クラウディアとジョセルは頷き合った。


「まず、私が宝石の仕入れルートを持っているというのは事実です。お隣のエスターライヒ男爵領、そこの冒険者村に集まる宝石を安く大量に仕入れています。村の警備には元帰還兵の騎士たちが就いていますのでジョセルさんとも全く無関係という訳ではありません」


 ジョセルは少し複雑な顔をしていた。確かに書類上はジョセルの部下という事になるのだろうが、伯爵領の騎士たちとは違い何度か顔を合わせた程度の間柄である。道端ですれ違っても名前を思い出す事すら出来ないだろう。


 また、エスターライヒ領の冒険者村を建てたのはクラウディアであり、騎士たちはクラウディアからルッツ作の短刀を受け取っている。事実上、クラウディアの部下のようなものだ。


 ……まあ、そもそも帰還兵たちが一番に忠誠を誓っている相手は第三王女リスティル様なので、あまり深く考えるべきではないのだろう。


 なんとなくモヤモヤとした気分をジョセルは胸の内にしまいこんだ。今大事なのは自分にも多少の関わりがあるという縁で取引がスムーズに進んだという事だけだ。


「宝石の多くはロレンス商会の貸倉庫に預けてあります。明日にでもゲルハルトさんの工房に届けさせましょう」


「そうか、それはありがたい。私もお師様に良い報告が出来る。しかし、宝石を預けておくのに貸倉庫が必要なのか」


 ジョセルは首を傾げて聞いた。ルッツ工房には弟子も子供もおらず、空き部屋はいくつもある。宝石くらいならいくらでも置場所があるのでは、と疑問に思ったのだった。


 商人でなければいまいちピンと来ない話なのだろうなと考えながら、クラウディアは唇を指先でなぞっていた。


「倉庫を借りるというのは財産を預ける為ではありません、安全に財産を預ける為です。私もルッツくんも家を空ける事が多いですからね。そんな所に金貨数千枚だの宝石類だのを置いてはおけないでしょう」


「ならば警備をガチガチに固めている大商家の倉庫で預かってもらうのが良いと、そういう事か」


 貸し倉庫業を営む商人が客から預かった金を他所へ貸し出し利子を取る、つまり銀行という形を取るのはもう少し後の話である。今はまだ、客から金を受け取ってその財産を管理するというだけであった。


 自己防衛、自己救済が基本に世の中において、財産を安全に置ける場所があるというのは富裕層にとっては何よりもありがたい話である。それなりの金がかかったとしても、泥棒に狙われるよりは遙かにマシであった。


 ジョセルが貸し倉庫の話に興味を持ったようだと知り、クラウディアは話を続けた。


「ちなみに私は小さな部屋をひとつ借りるのに、年間で金貨五十枚を支払っています」


「ごじゅ……ッ」


 自分もひとつ借りてみようかな、などと考えていたジョセルは絶句した。銀貨五枚くらいと想像していたのだがまるで桁が違う。


「ちなみに一番小さい部屋でこれですからね。もっと大きく部屋、あるいは倉を丸ごととなれば金貨百枚や二百枚は軽く飛びますよ」


「物を預かってもらうだけでか?」


「安全に、です。安いものでしょう。ちなみに誰から守るのかと言えば泥棒や盗賊団だけではありません。権力を盾にして倉庫を開けろと要求してくる相手からもです。政治的な根回しが必要でこれがまた難しい。旧第一騎士団の時代はそうしたトラブルも度々あったそうですが」


「……そうか」


 商人たちが旧騎士団を敵視していたのは知っていたが、その理由についてはまだ認識が甘かったようだ。騎士団を一新して本当に良かった。後で詰め所に差し入れでも持って行こうかと考えるジョセルであった。

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