第579話 知恵の古井戸

「ふぅん……」


「あの、ルッツ様。ひとつお願いがあるのですが……」


「わかった、一緒に行こう」


「ふぁっ!?」


 仮面の奥でサムライマスクの瞳が驚愕に見開かれた。


 話が早いどころではない、まだ説明すらしていないのだ。即答を超えた即答、先読み即答であった。


「いや、実はアルドルさんからある程度の話は聞いているんだ。強化兵の残党が領内に潜んで困っている、騎士たちに命じてアジトを探させているとな」


「はい、その通りです。しかも奴らは筋金入りのチキン野郎どもで、大軍を率いて向かうとすぐに逃げ出してしまうのです。これがまた面倒なところで……」


「少人数で向かい、絶対に勝てると思わせねばならんのか」


「はい」


 自分たちよりも数が少ない、あるいは同等の場合にしか戦わない盗賊団。しかも奴らは肉体改造された強化兵である。個々の能力が高いので同数ならば絶対に負けない、という事なのだろう。このスタンスを徹底されるのはかなり厄介である。


「数は?」


「十名ほど」


 ルッツは唸り、爪を立てて頭を掻いた。強化兵で構成された十名の神出鬼没な盗賊団。こんな連中に襲われれば小さな村などひとたまりもあるまい。


 ……すいませんアルドルさん、俺が間違っていました。


 領内巡回の騎士から少し引き抜いて冒険者村に回してくれてもいいじゃないかと思っていたが、こんな連中が潜んでいる状態なら警備を少しも緩めたくないと思うのは当然だ。足りないくらいだと言いたいのはアルドルの方であろう。


「こっちの数が少なければ逃げないんだよな?」


「簡易的なアジトとはいえ、いちいち移すのは面倒だからやりたくないというのが本音かと。それと勝てそうな相手からも逃げていたんじゃあ頭領も部下たちに示しがつかないでしょう」


「むしろ勝てる戦いはしっかり拾っていきたい、と考えるかな」


「恐らくは」


 と、サムライマスクは同意するように頷いた。


 いくら慎重であっても奴らの本質は賊なのだ。力を示し餌を与え続けなければ舐められるし、誰も付いてこなくなる。


 少人数で行けば戦える。数の上で不利な状況で勝つ為には個々の能力で上回っている必要がある。だから魔剣持ちが向かう、そこまではいい。


「十人、あるいはそれ以上というのが厄介だな。さすがに俺たちふたりだけじゃどうにもならん」


「魔剣持ちが他にも必要だという事ですね。リカルドの奴でも呼びつけますか?」


 どうだろうかとしばし考えてから、ルッツは残念そうに首を振った。


「リカルドはツァンダー伯爵領にいる。本職で忙しいはずだ」


「リカルドの本職って何でしたっけ? 刀ガチ恋勢の変な兄ちゃんという印象しか残っていないのですが……」


 酷い言われ様だなと思ったが、リカルドの言動を思い返せば納得しかなく、ルッツが友の為にしてやれるのは、ただ曖昧な笑みを浮かべて話を流す事だけだった。


「冒険者で、勇者だよ。今は野良魔物の退治で伯爵領内を飛び回っている」


「こっちを優先しろとは言えませんね、それは」


「そうだな。しかし他の魔剣持ちとなるとこれも難しい。ゲルハルトさんもジョセルさんも忙しいだろうし、そう気軽にホイホイと呼び出せるような立場でもない」


「ついでに言えば何か問題が起こる度にツァンダー伯爵家に頼るのでは、エスターライヒ男爵家は何も出来ないお飾りなのかと責められかねません」


「むぅ……」


 非常時にそんな事を気にしている場合ではない、そう言いたかったのだがルッツは唸っただけで言葉にしなかった。


 ツァンダー伯爵家の援軍により戦争に勝利した。無能な前領主を追い出してもらった。復興資金を出し、物資を融通し、帰還兵たちを引っ張ってきてくれた。ここまでしてもらってなお、治安維持ひとつ出来ないとなればエスターライヒ男爵家の存在意義そのものが疑われてしまう。


 前回の話のような錬禁呪師がらみの話ならば大事になるのも仕方がない。だが敗残兵が領内に潜んで暴れ回っているというのは他の貴族に助けを求めなければならないような案件だろうか。それくらい自分で何とかしろと言われて当然ではなかろうか。マクシミリアン・ツァンダー伯爵とて暇ではないし、ボランティアが趣味という訳でもない。


 エスターライヒ男爵家が無能で傘下貴族としても相応しくないというのであれば、後はもう解体して吸収するしかないだろう。これはエスターライヒ領全体の自治権と誇りに関する問題だ。


「こうなったらまた、アルドル様ご自身に出ていただくしかないのでしょうか……」


「それは最後の手段にしておきたいなぁ」


 アルドルは五文字の強力な魔剣『紅』を所持しており、先の大戦『ヘンケルスの乱』においても大活躍し、錬禁呪師フォリーに致命傷を与えたほどの豪傑だ。戦力という点においては頼もしい事この上ない。


 しかし、彼の立場はもうあの時とは違う。雇われといえど男爵なのだ、エスターライヒ領の指導者なのだ。頼れる領主、強い指導者であるとアピールする効果はあるだろうが、やはり男爵自ら賊討伐の先頭に立つというのは軽はずみと言われて当然の事だろう。


 ルッツとしては冒険者村を大きくするので忙しい中、アルドルが家臣たちから責められるネタを増やすような真似はしたくなかった。


 ……ならばどうする、どうすればいい?


 わからない。特にこれといったアイデアは思い浮かばなかった。


 やはりルッツ、サムライマスク、アルドルの三人に騎士数名を加えたメンバーで行くしかないのだろうか。


「すっかり話し込んでしまったな。とりあえずアルドルさんに報告しに行こうか」


「はい」


 ふたりはエスターライヒ城に向けて歩き出した。恐らくアルドルにこの話をすれば自分が行くと躊躇ためらわずに言うだろう。逆に言えばそれはタイムリミットだ。城に着くまでに何か良い案を出さねばならない。


 ……ナイスアイデアなんて奴が、そうほいほいと浮かべば苦労はないよなぁ。


 せめてもの抵抗としてなるべくゆっくりと歩いていたルッツが、


「おや?」


 と呟いて立ち止まり、辺りを見回した。


「ルッツ様、何かありましたか?」


「いや、何というほどでもないが……」


 路地裏へと続く道がある、見覚えのある光景だ。


 ……馬鹿な事を考えてしまった。


 あいつが仲間になれば確かに頼もしいだろう、強化兵を相手に互角どころか優位に戦えるはずだ。しかしこんなところにいつまでもいるはずがないし、そもそもどんな理由で仲間になってくれるというのだ。それ以前の問題として敵だか味方だかわからない。


 やはりアルドルに参加してもらうしかないか。諦めたように首を振り、歩き出そうとするルッツの肩が後ろからポンと叩かれた。


「お姉ちゃんに会いたかったんじゃなかったのかなぁ……?」


 耳元で囁かれる、脳髄まで痺れそうな甘い女の声。事情を知らぬ者ならば聞くだけで男の部分が反応し、場合によっては暴発してしまうかもしれない。


 しかしルッツにとっては恐怖と面倒事の種でしかなく、思考が停止して咄嗟に振り向く事も出来なかった。

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