第580話 硝子の砂時計

「何故、お前がここにいる……?」


 ルッツは内心の動揺を隠し、振り向かぬまま聞いた。


「ベッドの上以外で女のプライベートを聞くのはマナー違反よ?」


 相変わらずの飄々ひょうひょうとした物言いである。無視して逃げるのも無理だろうと諦め、ルッツは身体を反転させた。


 目の前にいるのは左眼に眼帯を着けた金髪の美女、胸元と太ももを強調するような改造修道服を身にまとった女性。錬禁呪師ディアドラである。


「……よう、久しぶり」


 ルッツは暗い声で言うが、ディアドラは屈託のない笑顔で返した。


「うん、ルッツくんも元気そうで何よりよ。おサムライちゃんもね」


「お、おう。久しぶり……」


 サムライマスクはぎこちなく手を振った。サムライマスクはディアドラに対して異性としての好意を抱いている。また、『ヘンケルスの乱』において瀕死の重傷を負っていたサムライマスクを助けたのもディアドラであり、謂わば彼女は命の恩人でもあった。


「……それで、一体何の用だ?」


 ルッツが警戒を解かずに聞いた。


「あら、変ね。あなたが私を探していたのではなくて?」


 路地裏を覗き込んだのはほんの一瞬だが、そこもバッチリと見られていたらしい。迂闊うかつであったとルッツは眉根にシワを寄せた。


「まあ、そう言われてしまえばそうなんだが……」


 どうするのが正解なのだろうか、ルッツは悩んだ。


 錬禁呪師は恐ろしい相手だ、極悪非道の集団だ。それは何度も思い知らされた、つい最近もだ。


 一方でエスターライヒ領に巣くう賊どもを倒し平穏を取り戻す為には彼女の力を借りるのが一番の近道である。ディアドラは錬禁呪師の中でも話が通じるタイプのはずだ。


 ……名刀を奪われた事はあったけど。


 敵なのか味方なのか、その境界線が曖昧だ。どちらというよりも状況によってどうとでも変わるのだろう。ただ、彼女が子供たちの前で見せた優しい笑顔まで嘘だと疑いたくはなかった。


 ……よし、話すだけ話してみよう。それで断られたら仕方がない。


 そう決意してルッツは小さく頷き口を開いた。


「ひとつ頼みたい事がある」


「おや、おやおやおやおやぁ?」


 ディアドラは驚いたというよりも、面白がっているような表情でルッツの頬を両手でぺたぺたと触った。


「あなたが私に頼み事を? 名刀を奪った相手に頭を下げようと!?」


「そうだ」


「わぁお」


 一体何がそんなにおかしいのか、ディアドラは今まで見た事もないくらい明るく、にやにやと笑っていた。


「私が言うのもなんだけど、プライドとかないの?」


「男のプライドは役目を果たす為にある。役目を放棄する為の言い訳ではないはずだ」


「なるほどなるほど。そこまで言われちゃ、黙って去るのも女がすたる、話くらいは聞いてあげようじゃないの」


「すまん、助かる」


「ここで立ち話を続けるつもりじゃないでしょうね。話を聞いて欲しいならお酒をおごるくらいの事はしてもいいんじゃない?」


「むぅ……」


 ルッツは唸り、空を見上げた。まだ日は高い、ディアドラの勧誘に時間を使っても夜遅くなるという事はないだろう。


 また、立ち話を続けるというのも得策ではない。同行者が仮面の男と改造修道服の美女だ、あまりにも目立ちすぎる。


「わかった、要求に従おう。しかしいいのか、修道女が昼間から酒なんか飲んで」


「ミサにワインは付き物でしょう? つまり聖職者こそ最もお酒に近しい存在なのよ。まあ、そもそも私は修道院に所属していた事も神学を学んだ事もないけど」


「……じゃあ、何でそんな格好をしているんだ?」


「初めて殺した相手が聖職者で、その時に服を奪ってからなんか気に入っちゃって」


「オーケー、わかった。聞かなかった事にしよう」


 聖職者殺しの大罪人をどうしてその場で捕まえなかったのか、などと責任を問われても困る。危険な話には関わらないのが一番だ。


「さっさと移動しよう。ええと、この辺に何か良い店はあったかな……?」


 それならば、とサムライマスクが手を挙げて言った。


「行きつけの店が近くにあります。そこに行きましょう」


 案内してくれる地元民の存在とはありがたいものだ。ルッツとディアドラは素直に頷き、サムライマスクのお勧めに従う事にした。




「よう大将、やってるかい」


「ああどうも、いらっしゃいサムライマスクさん!」


 まだ昼間だというのに日の光があまり入らぬ薄暗い酒場。サムライマスクが慣れた様子で店主に話しかけ、店主の中年男性は明るい声で応じた。


 サムライマスクは城砦都市でも人助けに励んでいるのだなとルッツは微笑ましい気分、あるいは後方保護者ヅラとでも呼ぶべき顔でそのやり取りを見守っていた。


「大将、今日は大事なお客様と一緒だ。二階の部屋を貸してくれ」


 店主はチラとサムライマスクの言う『お客様』らしきふたりに眼を向けた。立派な刀を腰に差した職人ふうの男と、色欲の罪を振りまいて歩いているような修道女。どこをどう考えてもカタギではないが、店主なりのプロ意識を持ってその疑問をしまいこんだ。


 大事な客であるサムライマスクが、大事な客であると言って連れてきたのだ。ならば安酒場の店主としてはそのように扱えばよいだけの話である。


 酒場には怪しい者が現れたら騎士団や自警団に通報する義務があるのだが、そんなものを馬鹿正直に守っていたら今度は客からの信用を失ってしまう。俺は何も気付かなかった間抜けな店主だ、だから見逃してしまう事があっても仕方がない。店主はひとりで納得したように頷きながらサムライマスクに部屋の鍵を渡した。




 酒場と宿が一緒になったタイプの店であり、用意された部屋には簡素な椅子とテーブル、ベッドがひとつずつあった。


 店主が酒と料理、そして追加の椅子を運んでくれた。


 サムライマスク推薦の店なだけはあり、酒と料理はなかなかに美味かった。特にソーセージは数種類のハーブが練り込まれ、しっかりと燻製された絶品であった。


 ディアドラが味を褒めると、サムライマスクが照れたように笑った。


「こいつは私がご店主と一緒に研究したものなんだ、店の名物を作ろうってな」


「相変わらず料理は続けているのか」


 ルッツが聞くと、サムライマスクはテンションを高くして答えた。ここは恩人と憧れの女性に挟まれた空間、空気を吸っているだけでも酒が進みそうだ。


「もうすっかり趣味になりました。腰袋にはいつも香辛料とニンニクを入れて持ち歩いているくらいで」


「どハマリじゃねえか」


 生まれも立場も違いすぎる三人の酒盛りは実に楽しいものであった。小難しい話も血生臭い話もせず、等身大の若者たちとして笑いあった。


 山盛になっていた自家製ソーセージが段々と減っていく。それが楽しい時間の終わりを告げられているようで、どこか寂しくもあった。

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