第578話 矛盾と希望

「それで、追加の人員はどれだけ必要だ?」


「最低でも五名ほど。村が発展すればさらに増員する必要もあります」


 クラウディアの答えに、アルドルは眉間にシワを寄せてまた唸った。


「……増員は難しいでしょうか?」


「いや、やるとも。私の責任において必ず騎士たちを送ろう。今のエスターライヒ領には独自の産業と希望が必要だ」


「産業はわかりますが、希望もですか?」


 と、クラウディアは不思議そうに聞いた。


「そうだ。戦禍で荒廃したエスターライヒ領の民には希望を見せる必要がある。エスターライヒ領はこれからどんどん豊かになっていく、暮らしは楽になるはずだ。だから今は辛くとも頑張って生きていこう、とな。その為には説得力というか、わかりやすい象徴が必要なのだ」


「豊かになるはずですと言うのと、宝石の輸出が順調なので豊かになるはずですと言うのでは確かに説得力が違いますね」


「そういう事だ」


 にわか男爵は深く頷いた。貴族の職務に慣れないなら慣れないなりに、多くの人の声に耳を傾け様々な案を考えているらしい。


「サムライマスクがなぁ……」


 と、アルドルは急に別の名前を挙げた。サムライマスクは『ヘンケルスの乱』を共に戦った仲間であり、今は荒れ果てたエスターライヒ領とヘンケルス領の村々に支援物資を届ける仕事をしてもらっている。


「村を巡って領民たちを励ましてくれている、それはいい。おかげで領民たちが絶望し反乱を起こすという事もない、そこまではいいのだが……」


 苦悩するアルドルの話を聞きながらクラウディアは顔をしかめていた、元不良騎士であるサムライマスクが嫌いだからである。ルッツは苦笑いを浮かべていた、あの男が何をやらかしたのか大体の想像がつくからである。


「言う事がいちいち大袈裟で極端なんだ。『大英雄アルドル様の手によりエスターライヒ領は地上の楽園へと生まれ変わります。天国の扉を前にして絶望する必要はありません』とか。いや本当に、勘弁してくれよ……」


 男爵の椅子は座り心地が悪いと思っているような男に、期待だけがドンドン積み上げられていく。


 恐らくサムライマスクには彼なりの事情があったのだろう。明日への希望が持てない領民たちを励ますには、少しくらい大袈裟なことを言わねばならなかった、など。それはそれとしてアルドルとしては『勘弁してくれ』と言いたいところである。


「……まあ、そういう訳だ。私も冒険者村の発展には全力で取り組む。改めて言うが増員に関しては任せてくれ」


 はて、とルッツの頭にひとつの疑問が浮かんだ。ツァンダー伯爵家が第三王女リスティルの村からスカウトした帰還兵は数百名、そして百名近くがエスターライヒ家に送られたはずだ。


 何故そんなにも必要だったのかと言えば、先の戦争によるヘンケルス家の敗残兵たちが野盗と化したので奴らに対処する為である。


 錬禁呪師の手によって改造されたヘンケルス家の強化兵たちは両眼が赤く輝いているという特徴があり、ひと目でその素性が知られてしまうのだ。彼らはエスターライヒ領、ヘンケルス領、双方の領民たちから恨まれており、周辺地域にもその悪行は知れ渡っている。社会復帰など出来るはずもなかった。自害するか、野盗になるかしか道は残っていなかったのである。


 錬禁呪師フォリー、死してなお迷惑な男の最悪な置き土産であった。


「騎士たちを領内の巡回に出してからかなりの月日が経っています。賊どもの討伐は進み、人手にも余裕が出てきたのではないのでしょうか?」


「私も当初はそうなるだろうと思っていたのだが……」


 またしても予想は外れてしまったと、アルドルは眉をひそめて言った。


「調子に乗って暴れ回るような馬鹿どもは始末した、時には私自身が出動してな。それでかなり数は減ったが、用心深い連中だけは残ってしまったのだ。騎士団が現れれば散り、姿が見えなくなればまた村を襲うような連中がな。そんな連中に対抗する為には巡回を密にし、村や街にも騎士を数名置いておきたいのだ」


「そいつらを始末しないと、いつまで経っても余裕は出来ないのですね」


「奴らのアジトを探させてはいるが、これもなかなか上手くいかなくてな……」


 領内を発展させる為には冒険者村へ騎士を派遣する事が必要。領内の治安を守る為には巡回部隊を減らしたくない。明らかに矛盾している状況だ。


 クラウディアとしても、治安なんかどうでもいいからこっちを優先させろとは言えなかった。商人が安全に荷を運べる社会こそが彼女の理想である。治安維持の大切さはむしろ他の誰よりも理解しているつもりだ。


 申し訳ないがここはアルドルに任せるしかない。せめて自分に出来る事をしようと、クラウディアは脇に置いていた大きな道具袋から刀を取り出しテーブルに置いた。


「どうぞ、お納めください」


「私にか?」


「家臣のどなたかに」


「……賄賂を使ってたらし込めという事か」


「有り体に言えば、そういう事で」


 高潔な騎士に向かって賄賂を使えと言ったのだ、侮辱と取られても仕方がない。怒るだろうか、突き返されるだろうか。アルドルの表情からして、不快感を覚えている事は間違いないだろう。


 アルドルはしばし刀を睨み付けた後で言いたい事を全てを飲み込み、手を伸ばして鞘を掴んだ。


「……済まない。正直なところ、助かる」


 絞り出すようなその声に、ルッツとクラウディアは揃って無言で頭を下げた。




 数日後、ルッツはひとりで城砦都市内をあてもなくブラブラと歩いていた。


 アルドルが人を用意しクラウディアが物資を用意する間は特にやる事もなく暇なのである。


 街に観光名所がある訳でもない、特に買いたい物もない。目的もなく歩くという暇つぶしが段々と苦痛に感じられてきた。


 どうしたものかと首を捻っていると背後から、


「ルッツ様!」


 と、声をかけられた。聞き覚えのある声だ、そして自分をそんなふうに呼ぶ奴は数えるほどしかいない。ルッツは振り向いて軽く手を振った。


「やあサムライマスク、久しぶりだな」


 そこにいたのは奇妙な仮面を被り、漆黒のマントを羽織った青年であった。


「ああ、こんなところでお目にかかれるとは何という幸運、何という運命! 神に感謝したい気持ちでいっぱいです!」


「神に祈りを捧げるのは結構だが、やり過ぎはよくないぞ。ここの前領主みたいになっちまうからな」


「肝に銘じます」


 と言って、ふたりは軽く笑い合った。


「俺はクラウディアの付き添い兼、護衛だ。ほら、例の冒険者村がらみで。お前は何をしているんだ?」


「私はこれからエスターライヒ男爵に面会を申し込むつもりです。もちろん、今の男爵ですがね。そのう……」


 サムライマスクは声を落とし、そしてどこか誇らしげに言った。


「賊どものアジトをひとつ、見付けまして」

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