増殖する脅威

第577話 思考の落とし穴

 ルッツたちがエスターライヒ城に行くと、すっかり顔なじみとなった門番が何も言わずに通してくれた。曰く、英雄に対して閉ざす門はないとの事だ。


「そのうち偉い人から怒られたりしませんか?」


 そう聞くと門番はカラカラと明るく笑って答えた。


「この仕事をやっていると、上からネチネチ文句を言われるのなんて日常茶飯事ですよ。小言のネタがひとつ増えたからといって、どうということはありません」


「そういうものですか……」


 どんな仕事でもベテラン特有のたくましさというのはあるものだなと、ルッツは妙な感心をしていた。


「私にとってはエスターライヒ領の英雄に礼を尽くす方が大事ですよ」


 面と向かって英雄などと言われてしまえば面映おもはゆいが、よくよく考えればそれだけの事はしているだろう。


 ヘンケルス男爵家の強化兵たちに襲われた村で子供たちを救い、ツァンダー伯爵家に報告して兵を動かし、元凶である錬禁呪師フォリーを倒したのだ。謙遜はかえって嫌みだろうかと考えルッツは黙ったまま頷き、門番の好意に甘えさせてもらう事にした。




 城内に入りアルドル・エスターライヒ男爵に面会を申し込むと三十分ほど待たされただけで、すぐに私室の通され会う事が出来た。未だ混乱が続くエスターライヒ領においてアルドルは多忙なはずだが、無理をして時間を作ってくれたのだろう。


 アルドルとは三つの貴族領を巻き込んだ『ヘンケルスの乱』において肩を並べて戦った仲である。彼はルッツとクラウディアを快く迎えてくれた。


 少し顔色が悪い、そしてあまり健康的ではない痩せ方をしていた。騎士団長から雇われ男爵への転身はなかなかに気苦労が多いようだ。


 大変ですねとルッツが言うと、アルドルは首を横に振って答えた。


「エスターライヒ領復興の為なら何でもすると誓った身だ。私には向いていないと投げ出す事など出来んよ」


 アルドルは騎士団長であった頃、怠惰な主君に押さえつけられ『ヘンケルスの乱』が起きた時も、その前にあった『オーク軍団襲撃事件』の時も動けなかったという苦い経験があった。


 主君持ちであり、雇われの身である。動けなかった件については仕方のないところもあっただろう。しかし、苦しむ民の姿を目にしながら何の行動も起こせなかったというのもまた事実である。


 二度とあんな惨めな思いをしたくない、民を見捨ててはならない。そうした想いがアルドルの胸の内で燃えており、彼を突き動かしていた。


 見た目はやつれている、だがその瞳には力強い光が宿っている事を確認し、ルッツは安心したように頷いた。


「それで、冒険者村についての話だったな」


「はい、それについては私から」


 と、クラウディアが椅子に深く座り直して言った。


「冒険者村の発展に伴い、治安維持の重要性も高まりました。是非とも騎士の増員をお願いしたいのです」


「増員?」


 アルドルは不思議そうな顔をして聞き返した。


「増員が必要なのか。正直なところ、五人でも少し多い気がしていたのだが……」


 はて、どこかで話の食い違いや勘違いがあるようだなとクラウディアは心中で首を傾げた。もっとも自分だって当初は人員配置の重要性を軽く見ていたので、他人ひとを責められるような立場ではない。


 クラウディアは丁寧に、冒険者村で見たものやマリーノたちから聞いた話を語り、冒険者村はこれからもっと発展するであろう事を説明した。


 黙って話を聞いていたアルドルはひどく気まずそうな顔をしてため息を吐いた。


「……私はひとつ、大きな思い違いをしていたようだ」


 何の事だろうかと、ルッツとクラウディアは顔を見合わせた。


「冒険者村という事はつまり、冒険者たちが集まっている村だろう?」


 それはそうだ、とクラウディアは頷いた。


「だから魔物や山賊が現れてもすぐに撃退できる、騎士を置くにしても城との連絡役がいればいいと、そう考えていたのだ」


「ああ、なるほど……」


 アルドルは冒険者たちを頼もしい味方だと考えていたようだ。彼らを管理する、時には罰するという発想そのものがなかった。


 迷宮が出来る前からエスターライヒ領にも冒険者たちはいたが、さすがに城砦都市内では大人しくしていたので、ならず者集団というイメージは薄かったのだ。


「アルドルさん、俺もひとつ気になったのですが……」


 と、ルッツが軽く手を挙げて言った。


「騎士団の中に字が書ける人はいるのでしょうか?」


「何を言っているんだルッツ、読み書きの出来ない騎士などいるはずが……。ああ、いるなぁ……」


 アルドルは口の中で唸り天井を見上げた。クラウディアも頭を抱えている。テストが終わった後で答え合わせをしていたら、ミスが次々と見付かったような気分だ。


 騎士の多くは一代限りの名誉騎士であり、正式な教育を受けてきた騎士ではない。彼らは元々帰還兵であり、さらにさかのぼればごく普通の平民であった。そのほとんどが読み書きなど学んでいない、そんな機会もなかった。


 人は時として自分に出来る事は一般常識で、他人にも出来ると思いがちである。しかしそれはあくまで自分にとっての常識なのだ。


 アルドルは代々高位騎士の家系に生まれ、クラウディアは生家こそ没落商人であったが英才教育を受けてきた。


 読み書きの出来ない騎士がいる事、そして読み書きが出来ない事によって生じる問題については頭からすっぽりと抜け落ちていたのであった。


 一応の読み書きは出来るが得意ではないというルッツにしても、冒険者村で覚えた違和感を今になってようやく言語化できたという具合であった。


 人は、己の目を通してしか物を見ることが出来ない。


「……いや、待った、ちょっと待った!」


 クラウディアが記憶を探りながら悪あがきをするように言った。


「詰め所には確か薄板がいくつもあった、鉄筆も転がっていたような気がする。多分、あの中には商家の次男坊とかがいて、家を継げないから開拓村に行きましたって人もいるはずだ。それに書き物が出来ずに困っているならマリーノさんだってそう言っていたはずだよ、うん」


 どこか自信なさげで、自分に言い聞かせるような口調のクラウディアであった。


 短刀をもらう事と人員補充をしてもらうだけでも申し訳なさそうにしていたマリーノである、さらに読み書きが出来る人材が欲しいとは遠慮して言い出せなかったという可能性だってある。


 人が常に正しい事を言うとは限らない、それが善意か悪意かは別問題だ。


「最初に気付くのがベストだが、過ちに気付いて修正出来たならそれはベターだ、そう考えよう」


 と、アルドルは何度も小さく頷きながら言った。男爵の地位に就いてから上手くいかない事だらけであった男の言葉には味があった。


「増員する騎士の中には読み書きが出来る者をひとりかふたり入れておこう」


 アルドルの表情を見る限りそれは容易い事ではないのだろう。しかし彼はやってみせると確約してくれた。

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